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末日聖徒のコーランに対する見方 (教会員)
2014-04-18 11:46:02
世間ではあまり知られてはいないが、モルモン教会はコーランについて半絶賛しているようなところがあり、研究しても良い、あるいはした方が良い書物として扱われています。

で、私も少し挑戦してみたことがあります。で難しすぎて断念してしまったのです。

新旧約聖書と違って、登場人物や場面場面が何の脈絡もなく飛び出してくるので、慣れない人が何のガイドもなく読んだところで何のことだろうということになるのですよね。

あるコメントで、コーランは親父の説教みたいなものだったと表現している方がいて、最初何のことだろうと聞き流していたのですが、

それをしばらく聞いてああなるほどねと思ったことがあります。親父がガミガミと隣人に迷惑をかけた息子を叱ってる場合、のっけから学校のプリントを親に見せなかった過去の話からスタートして、息子は神妙に叱られながらも何それ?と思うあの感覚に近いのかと。

つまりコーランは福音のテーマテーマで章になっているのかとやっと分かった。 つまり例えばある章は「従順の律法」について、あたある章は「財産に関する律法」についての説教だと。 しかも分かってみれば福音の真髄をついている文章だったりするわけです。

例えば「商売なりでもうけた時は、最初から貧者の分を含んでいる」という発想。最初読んでも分からないが、なぜ施しや献金するときに惜しむ気持ちになってしまうのか、それは無意識に「自分の儲け」を人に施すと考えているからであって、それがそもそもの間違いであって、最初の儲けには自分の取り分と何パーセントかの貧者の取り分が混ざっているんだという教えだったりするわけです。

全世界がこの発想でいけば、数日のうちに世界中の貧困問題は解消するなと、神の視点を垣間見たような気持ちになり、正直感心しました。

これなんかは教会内用語の「分かち合いの精神」という福音を大幅に補強するというものになるでしょう。
 
 
 
こんな方が (沼野治郎)
2014-04-18 13:58:01
日本のldsでコーランを読んだ方がいたんですね。この記事は、大方の反応が冷たかったようで、少し残念に思っていたところでした。コメント大変参考になりました。有難うございました。
 
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