コメント
管理本部
(
エリちゃんの元HT
)
2013-09-15 11:13:27
私も阪神淡路大震災の被災者のひとりでした。当時活発会員でしたが、教会からの助けなんて、はなからアテにはしていませんでした。
まず教会に力がないことと、管理本部の強烈な「お役所体質」を十分承知していたからです。
管理本部は、地元の意見に耳を貸さず、つまらんことに口出しして偉そうにふんぞり返ることを、目の当たりにすると、監督以外(立場上そうなる)は、そっぽ向いて誰が来ても歓迎はしません。
もし、管理本部の体質を変えることが出来れば、
このような災害が起こっても他宗教並みに的確に素早く対処できるのではないかと思います。
管理本部は、自分達が偉いと勘違いしていると思います。会員の献金で養われていることを知る必要があります。
官僚
(
恵理の父親
)
2013-09-15 22:02:36
コメントに感謝いたします。
物事を実施運営する人々はどの組織にも必要ですが、いわゆる「官僚的」になっては、末日聖徒の名にふさわしくないですね。最近、東京管理本部の教会職員が官僚的になっているようで残念であるという声を耳にしました。その人は監督職にあった人物です。
皆がそうだとは思いませんが、応対が事務的で配慮や丁寧さが後退しているのでしょうか。組織や職員個人の身に着き始めた保身、最小限のサービス、出費で済まそうとする傾向でしょうか。
また、組織(lds教会)の利害とそこに属する教徒個人のニーズや判断は一般的原理の示す通り、一致しないのでしょうか。サービス精神に欠けると一般社会よりも劣ることになりかねません。郵便局、市役所などの窓口も親切になっているからです。
民の心が離れてはいけないと思います。
Unknown
(
Unknown
)
2013-09-20 15:30:07
組織には指揮系統というのがあります。例えば小学生がクラスの掃除のことについて意見具申する場合、いきなり校長にいってもコーヒーをのみながらふんぞりかえることしかできません。まず担任にいって担任が学年主任に上げて学年主任が必要に応じて校長などに伝えます。個人で支援活動を行っている人は監督ではなくいきなり管理本部などに言ったのでしょうか?
ごもっとも
(
nj
)
2013-09-20 15:41:28
なるほど、そのように具体的に問われるとその場にいなかった私は確認しなければなりません。
ただ、阪神大震災の場合もそうですが、管理本部に直接言ったのではなく、地元の関係者(教会)を通じて伝えたものと受けとめていました。というのは、個人で支援活動を行なっている会員が管理本部の人とすぐ連絡を取る態勢にない(電話番号もいつ現場に来るかも知らない)からです。
Unknown
(
アンノウン
)
2013-09-20 19:30:33
ビショップの仕事は上から言われたことをそのまま下に伝えることだと、あの伝動で功績をたてられた70人の方がいったそうですが、ビショップが上に伝えてないのではないでしょうか?
救援物資に教会の名前を入れた張り紙を入れたのは伝動のためだと広報の人が言っていました。教会は救援活動を伝道の機会とみていたようなので、たとえ会員の要請を聞いても公的機関のほうにお金を送ったほうが伝道になると考えたのかもしれません。
常に従順に従うという上意下達の式系統下の中で個人で活動を行うのは無理なのではないでしょうか?
アンノウンなことが多い
(
nj
)
2013-09-20 21:29:53
個人(の資格)で支援活動を行なうことを奨励しないとすれば、残念なことです。
救援物資に教会の名前を入れた紙を貼るということですが、もし、提供者が分からないとすればどうでしょうか。救世軍、セブンスデ―、カトリック、日基教団の教会、仏教会など、素性が分かった方が自然なのではないでしょうか。私はこの点については、文言が布教を感じさせない淡泊な表記であれば問題ないと思っています。
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まず教会に力がないことと、管理本部の強烈な「お役所体質」を十分承知していたからです。
管理本部は、地元の意見に耳を貸さず、つまらんことに口出しして偉そうにふんぞり返ることを、目の当たりにすると、監督以外(立場上そうなる)は、そっぽ向いて誰が来ても歓迎はしません。
もし、管理本部の体質を変えることが出来れば、
このような災害が起こっても他宗教並みに的確に素早く対処できるのではないかと思います。
管理本部は、自分達が偉いと勘違いしていると思います。会員の献金で養われていることを知る必要があります。
物事を実施運営する人々はどの組織にも必要ですが、いわゆる「官僚的」になっては、末日聖徒の名にふさわしくないですね。最近、東京管理本部の教会職員が官僚的になっているようで残念であるという声を耳にしました。その人は監督職にあった人物です。
皆がそうだとは思いませんが、応対が事務的で配慮や丁寧さが後退しているのでしょうか。組織や職員個人の身に着き始めた保身、最小限のサービス、出費で済まそうとする傾向でしょうか。
また、組織(lds教会)の利害とそこに属する教徒個人のニーズや判断は一般的原理の示す通り、一致しないのでしょうか。サービス精神に欠けると一般社会よりも劣ることになりかねません。郵便局、市役所などの窓口も親切になっているからです。
民の心が離れてはいけないと思います。
ただ、阪神大震災の場合もそうですが、管理本部に直接言ったのではなく、地元の関係者(教会)を通じて伝えたものと受けとめていました。というのは、個人で支援活動を行なっている会員が管理本部の人とすぐ連絡を取る態勢にない(電話番号もいつ現場に来るかも知らない)からです。
救援物資に教会の名前を入れた張り紙を入れたのは伝動のためだと広報の人が言っていました。教会は救援活動を伝道の機会とみていたようなので、たとえ会員の要請を聞いても公的機関のほうにお金を送ったほうが伝道になると考えたのかもしれません。
常に従順に従うという上意下達の式系統下の中で個人で活動を行うのは無理なのではないでしょうか?
救援物資に教会の名前を入れた紙を貼るということですが、もし、提供者が分からないとすればどうでしょうか。救世軍、セブンスデ―、カトリック、日基教団の教会、仏教会など、素性が分かった方が自然なのではないでしょうか。私はこの点については、文言が布教を感じさせない淡泊な表記であれば問題ないと思っています。