広島というと我々が思うのは、原爆投下の街であることと、広島カープの本拠地であることだろう。
サッカーファンの私としてはJリーグの優良チームであるサンフレッチェ広島も忘れずにいて欲しいと思いますが、まだまだ歴史が足りないことも分かります。
でも、それとは別に忘れずに覚えておいて欲しいのが、広島は水害対策に一世紀以上かけている河の街であることです。元々広島は急峻な山地より太田川が瀬戸内海に流れ込む三角州であった。そこに戦国時代、名将と名高い毛利元就が複数の川に囲まれた城を築いたことが始まりであった。
三角州を利用した城は防御に向いていたが、反面城下町は度々水害に悩まされた。それは江戸時代に幾度となく改修工事を行っても水害は無くならず、明治時代に入ってから太田川の一部を大きく掘り広げて放水路を作る計画が立てられた。
しかし、この放水路の建築は多難を極め、大正、昭和になっても完成しなかった。更に戦争により計画が中断されただけでなく、原爆を落とされて甚大な被害が出たことで、放水路の建築は遅々として進まなかった。
戦争が終わっても焼け出された避難民の生活復旧が第一であり、巨額の予算が必要な放水路の建築は反対意見も多かった。おまけに放水路予定地に無断で住み着いてバラック小屋を建てる被災者も出没してしまい、その立ち退きと新たな住居の確保にも手間取る始末である。
その間も水害は度々発生しており、放水路の建築は一世紀以上にわたる大事業となった。ようやく完成したのは平成の世になってからだ。これで一安心と思いきや、山間を無理に開拓して斜面に住宅を建てた業者が続出したため、線状降水帯によるお納めで斜面が崩れて土石流となって住居を押し流した。
比較的最近の事件なのでご記憶の方も少なくないと思います。近年は温暖化のせいか、規格外の大雨が降ることが珍しくないので、今後も油断は出来ないと思いますね。そんな訳で、広島はまだまだ水害対策に追われると思います。
この広島市の水害対策の歴史は、他の街でも十分参考になると思いますよ。特に経済成長期に山腹に無理に住宅を作った街は多いと思いますから。ただ、一点気になっていることがあります。拡張放水路予定地にわざわざ住み着いた連中です。
こいつら立退料目当てじゃないのかねェ。いや、証拠は一切ないのですが、職業柄そのような輩がいることは知っているものでね。
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