以前から気になっていた作品で、やっと手に取ることができました。
セックスに感じた不安や苦痛がきっかけになりうっすら男性不信になった夏子。結婚しないままアラフォーになった彼女が精子提供を知ったのをきっかけに、AIDで生まれた逢沢と善という2人に出会います。
逢沢は無精子症の父親のために母親が人工授精を受け産まれました。父の死後に祖母から血の繋がっていないことを罵倒するように明かされ、また結婚を考えた女性から「自分の半分が何処からきたのか分からない人の子どもを産みたくない」と拒絶され、失意によって自殺未遂をした過去を持つ逢沢。AID当事者の彼との出会いを皮切りに、様々な境遇の女性が登場し、精子提供で子どもをつくって良いのか?更にそれとも本当に命というものは親の都合で生み出してもかまわないのか?夏子に、そして読み手に考えさせる作品です。
夏子同様に、私も精子提供の事実が生まれた子どもを悲しませるのではなく、両親に嘘をつかれたこと隠されたことを悲しむのではないかということは、私も非配偶者間人工授精に関する書籍について全く同じことを思いましたし、AIDに否定的だった逢沢と善も同様の境遇で描かれていましたね。
テレビの精子提供番組は内容流れがクローズアップ現代ほとんどそのままですね。そしてヴィルコメンはクリオスさんがモデルでしょう。
で、夏子がWebやメールの上ではしっかりしていると思えた個人精子提供者の恩田。このドナーもやはりモデルがいると思います。元彼の成瀬とダブらせるような、相手のことを考えずに、早口で提供のことをまくし立てる描写は、読んでいる私さえも次は読み飛ばすと思えるような生々しさでしたね。連絡があったドナーがもし恩田のような人物であれば、子どもを産むという夢を諦めてしまう人が出てもおかしくない、非常に罪深い存在です。
しかし恩田のように自分の思いを一方的に伝えようとする方ばかりでなく、もっと提供希望者が望むような対話の仕方や資料の用意をする方もおられますので、このブログをお読みになった方は、失望し過ぎないようにして欲しいのと同時に、ひょっとしたら取材で大変な思いをされたかもしれない著者には本当に頭が下がります。
私だったら恩田の立場でどのような面談をするか?そしたら夏子はどんな反応をするのか?少し想像させられました。
「自分の子どもが絶対に苦しまずに済む唯一の方法は存在させないことなんじゃないのか?」
「人生は良いことも苦しいこともあるって言いながら、本当はみんな幸せの方が多いって思ってる。自分がその賭けに負けるなんて、生まれてきたことを後悔するかもしれないなんて思っちゃいない。だから子どもの人生を賭けられてしまう。」
善百合子は夏子にあまりに重く悲観的な、でも絶対に反論しきれない主張をします。
善が物語の都合上、AIDに限らず命をつくる行為を否定するため、壮絶な過去を背負わされた存在であることを差し引いても、
生まれてこれるだけで幸せなんて現実逃避をゆるさない存在である彼女を否定しきれないのは本当につらいです。
しかし今、AID当事者にとって状況は変わり始めています。
作中にも家族が幸福な状態でのテリングが望ましくあり、これから子どもは親たちにたっぷり時間をかけて考えてもらいながら告知を受けることができます。必要とされれば精子提供者と親がそろっていつどの様にして権利を使わせてあげられるか考えることもできます。
ネットやSNSに限ってもこれだけ個人の精子提供が行われ、同時に出自を知る権利の重要性が注目されているのですから、きっとこれからどんどん生まれた子ども達が自我に目覚めて、こういう方法で事実を知ることができて良かったというような後から子どもが生まれた親にとって模範となるケースを私たちは知ることができます。
自分のみの事に限っても、ドナーと提供した複数のご家族の繋がりがあることで、すでに2歳から絵本を使ったテリングを行うご家族がおられることですとか、こういう工夫があるよと言う様なちょっとしたことも各ご家族と共有させて頂きます。
本作の最後で夏子は子どもを産むことを選び、逢沢に精子提供者となってもらい選択的シングルマザーになります。提供者となった逢沢は奇しくも自身と同じ方法で子どもをつくることになりましたが、夏子が将来子どもが望んだときに彼に会わせることが物語の救いになっていますね。
自分は夏子のような、いわゆる選択的シングルマザーへの提供経験はほとんどありません。かつてご提供させて頂いた無精子症やトランス男性のご夫婦レズビアンのカップルは、もちろん精子提供について随分お悩みになってお話し合いされた後のご依頼であったことと思いますが、皆さん誰かから愛されていて生きてきて良かったんだなと思われるから、子どもを作ることを選んだ方達でした。
愛することを疎かにすれば善や逢沢のような存在を作ってしまうことから目を背けずに、私は望まれる方々のためにドナーとしての責任を全うさせて頂きます。