釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

「東海道四谷怪談」散歩・序章

2009年07月24日 09時04分50秒 | お散歩日記/東京地名の話
梅雨が明けましたが、なかなか真夏らしい日が来ませんね。
ただひとつ夏らしいのは、梅雨明けと同時に蝉の声が聞こえてきました。

さてさて暑い夏はクーラーのきいた部屋でビールなんていうのもいいですが、怪談話はいかがですか。

江戸を舞台にした怪談の王者はなんといっても鶴屋南北の「東海道四谷怪談」です。

文政八年(1825年)七月江戸中村座で初演、四世鶴屋南北71歳の晩年の作品です。

最近は「あづまかいどうよつやかいだん」と読むという学説が有力ですが、劇界では「とうかいどうよつやかいだん」と呼んでいます。
「甲州街道」にある四谷で起きた事件を、わざわざ別の場所であるかのように「東海道」にしたとか、この歌舞伎が、忠臣蔵の外伝であるので、義士の東下りを想像させるためだとか、いろいろ説はあるようです。

さて内容は、みなさんもご存知のように、お岩様(劇界ではあえて様をつけて呼びます。)が登場する怪談話です。
夫・民谷伊右衛門に裏切られた妻のお岩が憤死する場面は、雑司が谷四谷町の田宮伊右衛門浪宅の場です。この場面のもとになったの事件は四谷左門町で起こっています。
四谷怪談といっても、今の四谷ではないというのもあまり知られてはいません。

当時、歌舞伎では実名を使うことができなかったので、同じ名前の雑司が谷四谷(四ッ家とも表記する)に場所変えたのでしょう。
このあたりも現実と架空の話がごちゃ混ぜになった南北らしい歌舞伎だと思います。

さてさて、実はこのブログのネタは去年の春先に「東海道四谷怪談」を観劇したことに始まります。


上はその時のポスター(お岩:中村福助 伊右衛門:中村吉右衛門)

なぜか観劇の次の日にふらりと散歩途中で訪ねたのが、西巣鴨にあるお岩様のお墓。
なんか因縁を感じてしまいました。
その後もお岩様の死体が流れ着いたといわれる深川穏亡堀の岩井橋にも行ってしまいました。

そんなことをひとつずつブログに書こうと思ったのですが、ふと気になることがあります。
昔、私が劇界の端っこで生業を立ててるころに「東海道四谷怪談」の裏方をしたことがあります。私のいた劇団は迷信などというものをあまり信じない劇団なので、劇界で恒例のお岩様関係の社寺にお参りなどしなかったのです。
その公演中に私は交通事故を起こしてしまいました。それだけならいいのですが、公演中の舞台で、上昇するはずの幕が上がらず、回り舞台が回転して立て込んであった大道具がなぎ倒されてしまったという事故も起こりました。もちろん観客の前で・・・。
幸いけが人は出なかったのですが、本当に怖い思いをしました。

このブログを書くに当たってやはり決まりごとの社寺だけはお参りしたほうがいいのではないかと思ったのです。
そんなことを考えているうちにはや一年過ぎてしまいました。
そしてこの度やっとお参りしました。

その社寺とは信濃町駅と四谷三丁目駅の中間の四谷左門町にある於岩稲荷陽運寺と於岩稲荷田宮神社です。ここは歌舞伎の「四谷怪談」の舞台ではなく、その元となってた話の現場なのです。


於岩稲荷陽運寺


於岩稲荷田宮神社



なぜか向かい合わせに於岩稲荷を名乗る神社と寺があります。
外苑東通りから少し入った住宅地の中にあり、不気味な感じはまったくありません。
さすがに歌舞伎役者さんのお参りが多いようで、神社の石の瑞垣には役者さんや劇場の名前が多く見られました。
落ち度がないように両方にブログの行く末の無事をお祈りしてきました。
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