釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

長谷寺(ちょうこくじ)

2009年08月10日 21時14分47秒 | 西麻布の昔話(西麻布の夕日)
今回は西麻布二丁目のランドマーク大本山永平寺別院補陀山長谷寺をご紹介しましょう。



長谷寺は永平寺の別院という名前でもわかるように禅宗の曹洞宗の寺院です。よく「はせでら」と読む方がいらっしゃいますが、正しくは「ちょうこくじ」と読みます。古くから観音様を祀るお堂があったようですが、寺として開山されたのは江戸時代の初めのようです。

西麻布の交差点近くの「浜の家」さんのところから登る坂が、江戸時代は参道だったようで、今でも「大安寺」「慈眼院」という二つの寺(塔頭)があり、大きな寺だったことがしのばれます。
(よく大きな寺院の参道の両側には子院(塔頭)が見られることがよくあります。)

坂を登りきった突き当たりに、昔、「あけぼの幼稚園」という幼稚園があって近所の子供たちが通っていました。私は卒園生ではないんですが、懐かしい思い出です。


あけぼの幼稚園の碑

その幼稚園のあとに戦災で焼けた観音様を再現した観音様が出来上がったのは昭和52年(1977年)です。最初は新しくて何か違和感がありましたが、先日お伺いしたら、落ち着いた色合いになり大きくて立派なお姿にあらためて感激しました。
観音堂には誰でも入れますからぜひ一度お参りに行ってみてください。


観音堂

まだまだ思い出はあります。長谷寺の境内は、以前は夏休みのラジオ体操や、秋祭りの踊りの会場になっていました。朝が苦手な私は最初の日と最後の日だけ行って、ちゃっかり皆勤賞のお菓子をもらっていました。
今でも祭りのときは観音堂の裏手でバザーや踊りが行われています。九月にはまた行われますからぜひ見に来てくださいね。

長谷寺には数十人の修行僧の方がいらっしゃいます。夜の西麻布でお目にかかることも多いと思いますが、朝早くから庭の掃除をしたり、座禅をしたり、修行に励んでいられます。もちろんご自分たちの食事も作られています。ここの前の典座(禅寺の料理長)さんは料理本を出されるほどの方で、もしかして長谷寺のお坊さんが西麻布で一番おいしいものを食べているのじゃないでしょうか。

以前は駒澤大学の仏教学部の学生さんもいらっしゃいましたが、今は学校を終えられた方のみ修行しておられるそうです。なぜ駒澤大学かというと、駒澤大学の発祥は、曹洞宗の修行所「栴檀林(せんだんりん)」であることに由来します。いってみれば長谷寺は現代の「栴檀林」なのです。

禅宗といえば座禅ですが、ここでは一般の方も参禅できますので、興味のある方はお寺までどうぞ。

長谷寺の右奥には、墓地があります。昔は墓地の突き当たりの塀が低かったので、乗り越えて、隣の根津美術館の庭と行き来をしていました。どこかのおかみさんもそんな話をしていました。

ここの墓所には有名人の墓が多くあります。エノケンこと榎本健一、坂本九、沖雅也、明治時代の元勲・井上馨、画家の黒田清輝、世界のソニーの盛田昭夫、明治一代女の花井お梅など・・・・・。そんなに大きな墓地ではありませんが枚挙に暇がありません。お墓については次回ご紹介します。

江戸時代からある大きな寺ですから、今でも西麻布二丁目の半分近くの地主さんでもあります。本当に西麻布二丁目とは切っても切れないお寺です。

*最寄駅は表参道駅・広尾駅・乃木坂駅・六本木駅ですが、どれも徒歩10分以上かかります。
 渋谷駅から新橋駅行き「都01」を利用すると、南青山七丁目バス停からすぐです。
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3 コメント

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鎌倉仏教 ()
2009-08-12 09:40:15
仏教思想の頂点とも言われる、ことがあるそうで、正法眼藏を勉強しようと考えています。
なんと、GONTAのそばに永平寺の別館があったとは。
返信する
道元の冒険 (ごん汰)
2009-08-13 20:26:29
正法眼藏ですか・・・難しそうですな。

私は「道元の冒険」でも読み返してみます。
返信する
9月に行きたいです。 (brosa)
2016-03-11 17:07:06
都会にありながら広い敷地の巨大な観音菩薩様!
圧倒されました。

すごいお寺の事に詳しいですね。
訪れる前に予備知識の参考にさせていただきます。
返信する

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