日露戦争のときの海軍連合艦隊の旗艦です。日本海海戦でバルチック艦隊を撃破したとき、司令長官として三笠に座乗していたのは郷土の誇り、東郷平八郎でした。三笠は、NHKで放映された司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」にも登場しました。
海戦状況は無理ですので、勝利の後、波高い日本海を行く様子を想像してジオラマにしてみました。勝利したとはいえ、かなりやられました。
ハセガワの1/350模型です。
海戦状況は無理ですので、勝利の後、波高い日本海を行く様子を想像してジオラマにしてみました。勝利したとはいえ、かなりやられました。
ハセガワの1/350模型です。
元々は氷川丸級の貨客船ですが、戦争時、日本海軍に徴用され、潜水母艦に改装されました。潜水母艦とは、動く潜水艦基地として潜水艦乗員の休養や、潜水艦の修理、燃料、 弾薬、食料の補給等を行うものです。
ハセガワの1/700模型で、型はほぼ氷川丸です。
ハセガワの1/700模型で、型はほぼ氷川丸です。
戦争時、海軍に徴用され、貨客船から特設病院船に改装され、戦地の海軍病院と日本を結び、戦傷病者を収容して日本に帰国させる任務に就きました。戦後は、再び貨客船に改装されて、現在は、横浜港に日本郵便氷川丸として停泊しています。
ハセガワの1/700模型です。
ハセガワの1/700模型です。
帆船の持ちネタが切れそうなので、帆船以外の船を紹介します。このジーンバートは中型の航洋タグボートで、1956年に進水、主に英仏海峡で救難用のタグボートとして使われていたようです。特にこのタグボートに興味はありませんが、適当な大きさで値段も安かったので作ってみました。
船体の色は黒ではありませんが、どくろ旗、どくろ模様の海賊船です。パイレーツシップDとしました。自分とはかけ離れているだけに、七つの海を自在に暴れ回る海賊には何か惹かれるものがあります。
船体の全長は20cm強と比較的小さなプラモデルですが、写真では迫力があります。
船体の全長は20cm強と比較的小さなプラモデルですが、写真では迫力があります。
ゴールデン・ハインド号はこれまで2度紹介しましたが、今回はミニサイズを作ってみました。この船は、七つの海を駆けめぐり大活躍したので人気があり、いろいろな種類があるようです。ほとんどライターと同じ大きさですが、写真ではそのサイズを感じさせないほどの迫力です。
17世紀に活躍したイギリスの海賊ヘンリー・モーガン船長が率いた船団の旗艦です。 モーガンは当時、英本国から敵国艦船への略奪行為を認める私掠(しりゃく)免許を持っており、スペイン領だったパナマを攻略していたのは、これを根拠としていました。略奪がよほどひどかったのか、後世、モーガンは血に飢えた海賊と見なされるようになりました。
これは同名のプラモデルで作成しました。
これは同名のプラモデルで作成しました。
17世紀のイギリス艦隊の小型船です。小型、軽武装でしたので、大規模な海戦には参加出来なかったため、貨物船を護送したり、探検や貨物輸送にあたっていたようです。
元々の模型は別の名称でしたが、形が似ていたので船体の色をそれらしく塗ってペレグリンに仕立てました。細部の違いは多いですが、その雰囲気を感じてもらえたらと思います。
ゴールデン・ハインド号はこのブログの2で紹介しましたが、波の状態が気に入らず、再び作成したので、その2とします。変わり映えがしないといえばその通りですが、代表的なガレオン船ですので2 のままでは終われないと思い、荒波を行く姿に再度挑戦しました。
ジョリー・ロージャーシリーズの幽霊船、フライング・ダッチマン号です。 南アフリカの喜望峰近くで遭難したオランダ船が幽霊船となってさまよっているという言い伝えですので、実存していたかは疑問です。ジオラマは永遠に呪われる運命の船が、荒海をさまよっているという怖い設定です。
映画パイレーツオブカリビアンにも登場していますが、船員はたこ人間で、あまりにも現実離れしていたので、今回は映画の船をモデルにするのは止め、ほぼ組み立て説明書どおり作りました。
映画パイレーツオブカリビアンにも登場していますが、船員はたこ人間で、あまりにも現実離れしていたので、今回は映画の船をモデルにするのは止め、ほぼ組み立て説明書どおり作りました。
15世紀に始まる大航海時代は、ヨーロッパが世界中から莫大な富を獲得した時代です。カティ・サークもその一役を担った最高傑作クリッパー(大型帆船)といってよいでしょう。
船体は細長く、横帆と縦帆を組み合わせた全装帆船で、茶の運搬船として必要な速度を持っていたことは容易に想像できます。風の音と白波をザーッ、ザーッと切り裂く音のみで帆走する姿を想像しながら、模型を作りました。セマーの安いモデルですが、帆を自作するとそれなりに仕上がります。
19世紀の米国の代表的なクリッパー(大型帆船)で、貨物船です。「疾走する雲〔フライング・クラウド〕」の名の通り俊足でした。
フライング・クラウドが活躍したのはカティ・サークが進水する約20年前です。形はややずんぐりしており、排水量もカティ・サークの約2倍ですので、より多くの貨物を積むことができたと思います。
19世紀、米英戦争で活躍した帆走のフリゲート艦(偵察・警戒・護衛などに使用した軍艦)ですが、今も走行できる状態で残っており、れっきとした現役のアメリカ海軍艦とのことです。