トップの写真だが、米軍の上陸とその砲火、戦火
から逃れガマという洞窟の中に避難した住民たちと
それを監視、威嚇する日本兵が描かれている。
この写真を見て「どうして日本の兵隊が住民を?
そんなことが本当に?」と思う方がほとんどだろう。
私も今回はじめて詳細を知った。
「沖縄戦」は私たち本土に住むものにとっては歴史の
外にある。それはスパイ取り締まりの名の下に日本軍
によって住民達の処刑が行われたからである。
(以下は高文研「観光コースでない沖縄」より)
1945(昭和20年)6月27日から8月20日にかけて
久米島の海軍見張署分遣隊(鹿山正兵曹長、約30名)
がおこなった連続島民殺害事件がそれである。殺され
たのは郵便局員、区長、警防団長その家族など20名
(子供も5人含まれる。)にのぼる。
その背景には「沖縄県民は潜在的なスパイである。』
とか「防諜ニ厳ニ注意スベシ」という住民不信があ
った。
姑息にも全軍に「最後まで敢闘し悠久の大義に生く
べし」と命令したあと、あっさり自決してしまった第32
軍の牛島という司令官が神経をとがらせていたのが、
ほかでもない沖縄県民の「スパイ行為」である。
その論理はこうだ。(「観光コースでない沖縄」より)
「沖縄では国家総動員法を発動して、足腰の立つ住民は
ほとんどすべて軍の作戦に協力させられた。したがって、
住民は軍の機密を知りすぎている。そこへ敵が上陸して
来て住民を捕らえた場合、軍の機密はつつ抜けになって
しまう。そこで軍の論理からすれば『敵に捕まった者は
スパイと看做して処刑する』ということになるのである。」
さらに
「この命令は暗黙のうちに『スパイの汚名を着たくなけれ
ば自決せよ』と命じたことにもなる。これが美談風に伝え
られている『軍民一体の戦闘協力』の実態」であり、来る
べく「本土決戦』の「一億総玉砕」の究極の姿でもある。
この国を戦争へと導いたA級戦犯もひどいが、沖縄の住
民=日本の国民を殺した兵士(鹿山正)も靖国流にいえば
本土(国体)を守った立派な「英霊」なのかもしれない。
本土決戦引き延ばしのための「持久戦法」が住民を巻き
込み沖縄戦を3ヶ月もの長期にわたるものとし、20万人も
の命が失われた。
太陽の光を浴びて輝く海と青い空、この美しい海岸で60
年前に地獄のような惨劇が繰り広げられたのが嘘のようだ。