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森羅万象 ~ 歩く印象派

原爆は本当にもう落ちないのか

2007年08月05日 09時23分59秒 | 平和憲法9条
ニュースUP:現場で考える 「ピカドン」の子どもに会う=毎日新聞広島支局・井上梢

 広島に新人記者で赴任して2年目になる。23歳の私は千葉県育ちで、原爆のことは机の上で学んだにすぎなかった。今年、平和報道を担当することになり、たまたま書店で手にした「ピカドン」(講談社)という本に引き込まれた。原爆投下当時の子どもたちが、ある小学校で書いた作文集だ。肉親を失った悲しみや原爆のない世界への願いを淡々と書き連ねた子どもたち。彼らの声を今、聞きたい。そう思った。

 ◇悲しみ、受け継ぎたい

 「ピカドン」の基になった作文集は原爆投下時に4~6歳だった子どもたちが小学5、6年生になって書いたものだ。00年、爆心地から約3キロの広島市立己斐小学校(同市西区)の倉庫から約50年ぶりに見つかり、15編にまとめられ、03年に出版された。

(写真:現在の己斐小学校)
 私は何度もページをめくる手を止めたが、中でも6年生の男児が残した記述にくぎ付けとなった。避難してきたおばさんが祖母に問われている光景だった。

 「もう1人の二つ(2歳)の子はときかれたとき、おばさんはなみだをこぼしてあれは、どこへおるのかわからないのでよんだら、ハイとこえはしたがどこにおるのかわからないので、川から水をくんでどんどんかけたが、とうとうまにあわずやけしんでしまったとおっしゃった」

 迫る火の手の前で、子どもを見殺しにして逃げなければ、もう1人の子どもを助けることができない。子どもの泣き声や炎にまみれて目を伏せる母親が目に浮かんだ。母親は目に見えぬ一生の傷を負ったはずだ。

 「やけどだらけの子どもがくろこげでしんでいる」「足がない人、目、耳、口、手がない人」「顔も手も足も皮がむけて、目だけきらきら光っていて」「ずるむけになった人たちが、うん、うん、うなって」……。当時の惨状をつづった子どもたち。彼らもまた、心の傷を負ったのだろう。

 時が経過して執筆したこともあってか、姉や親せきを奪われた子どもらが感情的にではなく、「私は、もうこんなおそろしいめにあわないように、心からいのっています」など冷静にまとめていることにも驚いた。一方で、その日の夜に食べた夕飯のおかずまで触れた作文もある。子どもたちにとって忘れられない1日の細部まで脳に焼き付いていたのだと思う。

      ◇

 己斐小は爆風で屋根瓦や窓ガラスが飛び散ったが、半壊ですんだ。しかし、そこで起きた惨状はここから始まる。同小の記録などによると、学校には1日で1000人を超える重傷者が運ばれた。しかし、医師は少なく、薬品もわずか。ひん死の重傷者は最後の力を振り絞って坂道を上がってきたという。

 当時の校長の手記にはこう記されている。「教室という教室には全部、廊下や路面にも避難者がいっぱいころげている」

 己斐小は火葬場と化した。校庭には幅2メートル、長さ20メートルの穴を7筋堀り、薪(まき)と一緒に遺体を置いた。軍の石油で3、4日後から連日焼かれ、燃え切らない死体の一部は野犬が荒らした。火葬した遺体は800体とも2300体とも言われる。その時のにおいは1カ月たっても消えなかったという。

 その校庭で、元気に遊ぶ今の子どもたち。私は不思議な思いで見つめた。

      ◇

 作文を書いた一人、西岡憲治さん(67)に会った。当時5歳だった西岡さんはあの時、学校近くの自宅の庭で母親とじゃがいもを選別していた。作文には「パッとまぶしい光が目にはいったと同時に、お母さんがぼくをだいてかげにはいられた」と書いている。

 避難者の手当てをした西岡さんの母は1カ月後に調子を崩し始めた。結核を併発し、「なんぼええ薬があっても血がないからダメだ」と言った医師の言葉が、幼い西岡さんの胸に突き刺さったという。

 翌46年4月の小学校入学式のことだ。西岡さんがきれいな服を着て、自宅の座敷で寝たきりの母の横に立つと、やせ細った母が涙をこぼして喜んでくれた。母はそれから間もなく亡くなった。

 西岡さんは、原爆のことを話す時に母の話を一番にする。「それが原爆だと思うから」。私は涙があふれた。重い証言であり、言葉だった。

 「ズッコケ三人組」の作者で知られる児童文学作家の那須正幹さん(65)=山口県防府市=も己斐小が母校だ。3歳で被爆した。被爆から半年たっても野犬が人を襲いに来たことを怖くて覚えている。中学2年の被爆者健診。要精密検査と出た。同級生が原爆症で亡くなり、死が現実のものになったという。

 検査で問題なしと分かっても、「風邪をひいた時、子どもが生まれた時、万が一を考える、それは被爆者にとって当たり前」と、60年を超えて続く恐怖を話す。

      ◇

 「原爆はもう落ちないと思っているでしょ」。全国で被爆ピアノの演奏活動をする被爆2世を取材した時、彼がふと問いかけた言葉を、私は忘れられない。「はい」と答えた私に、彼は「いずれ憲法が改正され、そのあとで戦争が起きますよ。そうなると、いつ原爆が落ちてもおかしくない」と憂えた。

 日本が巻き込まれる戦争がそうたやすく起こるとは思わないが、いや起こしてはならないが、危機意識をもって原爆のことを知るのは大事だろう。その大切さを教えてくれた。そして自分のことに置き換えて取材する大切さも。

 体験を語り継ぐ被爆者が高齢化で少なくなり、どう継承していくかが深刻な課題となっている。でも、那須さんは私にこう話してくれた。「悲しみが伝われば、直接の被爆体験じゃなくても継承は可能です」。被爆から62年。私が手にした「ピカドン」の子どもたちの作文もまた、同じことを教えてくれたのだと思う。

毎日新聞 2007年8月1日 大阪朝刊


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6 コメント

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si-chanはえらい! (tateyokonaname)
2007-08-05 11:06:21
大好きな「ずっこけ三人組」の那須さんが、被爆者とは知りませんでした。世界中では、いつ原爆が落ちるかわからない現実を・・・認識して、声を出して、人に伝えて・・・を繰り返し繰り返しが大事。戦争反対、憲法9条を守れ。
まずは、8/11(土)の館林芸術ホールの映画「日本の青空」を観る誘いに・・・後三人!だね。
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語り継ぐこと (賽目)
2007-08-05 14:57:40
とにかく「語り継ぐこと」は大切だと思います。戦争もそう、バブルもそう、バブル崩壊もそう、コイズミもそう。メディアが主導する「今日のことは明日には過去にする」忘却の力によって、おおくのことが「なかったこと」になってしまう。

むかしは「なかったこと」にならないように、新聞報道を週刊誌が検証し、さらに月刊誌が深く追求するという構造があったのだけど、いまはそんな構造なんて崩れたどころか、月刊誌の存在意義すら問われているようにも思います。

刹那的にネットに流れる情報ばかり。「語り継ぐ」というよりも、デマゴーグの力に近いです。
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コメントありがとうございます♪ (>tateyokonanameさん      ZERO)
2007-08-06 12:32:16
8/11(土)の館林芸術ホールの映画「日本の青空」。観たいのですが、仕事が最終日で時間的に間に合いそうもありません。他の機会を探して観てこようと思います。
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語り継ぐことの大切さ (>賽目さん       ZERO)
2007-08-06 13:06:36
昨夜深夜(11時40分~)は昨夏放送された「硫黄島」のドキュメンタリー「硫黄島 玉砕戦 ~生還者 61年目の証言~」を観ました。
続いてNHKアーカイブス「赤紙が来た村 ~誰がなぜ戦場へ送られたのか~」(47分)も観てしまいました。
こちらは1996年(平成8年)8月11日放送のもの。解説は加賀美さん、ゲストは保坂正康氏でした。
富山県庄下村(現砺波市)に現存する246枚の赤紙(召集令状)。当時の徴兵の資料が燃やされずに数多く残されています。軍・警察・役所が連携して人々の仕事や能力、そして性格や思想信条までを詳細に調べ上げ徴兵していくという召集の仕組みが次々と明らかになります。召集された人たちの証言が貴重でした。4回も徴収を受けた人もいました。各役場には「兵事係」という事務方が置かれ、徴兵対象者の全てを把握し、軍からの命令一過で郵便などではなくその係本人が一軒一軒回って「赤紙」を手渡しするんですね。

イラク派遣などに反対する市民の活動を監視対象とした自衛隊情報保全隊の情報収集活動を思い出しました。http://blog.goo.ne.jp/ns3082/e/179bf503402d4f68ad69d5894efe6fe6

「戦後レジームからの脱却」などと国民にはわかりにくい表現を安倍氏は叫んでいますが、実態は「戦争が出来る国への回帰」にほかなりません。

私達が語り「継いていく」ことの大切さ、重要さをひしひしと感じる毎日です。


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民と官 (賽目)
2007-08-06 17:11:04
民と官の対立なのでしょうね。赤紙の話で、従軍慰安婦を取材したときの話を思い出しました。女子学生が成長するのを警察官・憲兵が監視し、「食べ頃」になったらまず彼らが「味見」、そして慰安婦として送る。より具体的な描写もあり、聞いていて吐き気がしてきました。

「戦後レジームからの脱却」という方向によってアメリカからの脱却を目指しているように一見みえるけれども、そうではなくアメリカへの完全依存を強めているのですよね。石油政策がまさにそれなんだよねえ。

どうしてあんなにばか見たく高くなったガソリンを消費しながら、みんな疑問を感じずにクルマに乗っているのか、どうもよくわからないなあ。
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「とりあえず」の毎日に流されて行く (>賽目さん   ZERO)
2007-08-06 21:49:20
その中では「ばか見たく高くなったガソリンしながら、みんな疑問を感じずにクルマに乗って」いけてしまうんでしょうね。

スクラップ&ビルドではありませんが、情報の「更新」が速過ぎて、ゆっくり事態を咀嚼する余裕はないのが正直なところだと思います。賽目さんがおっしゃったように国民は「「今日のことは明日には過去にする」忘却の力」に強く支配されていますね。

仕掛ける側は水面下で「着々と」
国民の方は「あれれ、いつの間に?」

このレジームをたたき壊さない限り、事態はさらに悪化の途をたどるだけでしょう。
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