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傭兵企業が肩代わり  米軍の8月撤退後のイラク

2010年06月07日 18時12分17秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2010年06月07日 松本仁一 ジャーナリスト、元朝日新聞編集委員

 米国政府は、イラク駐留の米軍地上部隊を8月31日までに撤退するとしている。

 イラクの治安改善の見通しが立ったというのがその理由だ。

 03年の開戦いらい増え続けていたイラク駐留米軍の死者は、この数年、増え方が大きく鈍化した。5月26日現在の米国防省発表では4403人だが、この数字は昨年12月からほとんど増えていない。米政府が「治安はよくなった」としているのはそれを根拠としているようだ。

 しかし、その論理にはちょっとからくりがある。

○傭兵企業が肩代わり

 武装集団にもっともねらわれやすいのは、トラックによる補給輸送業務だ。図体が大きく、小回りの利かない輸送トラック車列は、開戦初期からロケット砲攻撃や待ち伏せ攻撃の格好の標的となり、米軍補給部隊に多くの損害が出た。兵士の犠牲を増やしたくない米軍は、補給輸送の危険な業務を民間警備会社、つまり傭兵企業に任せてしまった。

 イラクでトラック部隊や官公庁の建物を標的としたテロ攻撃は相変わらず続いており、傭兵には多くの死者がでている。しかしそれは米兵ではなく「民間人」の話であり、米軍の被害としてはカウントされない。そのため「米兵の死者数」は増えていないのである。

 米軍は、そうした危険な業務の外部委託費用としてすでに850億ドルを支出したとされる。その金に多くの傭兵企業が群がった。傭兵は米国関係だけで2万人、他の外国企業を入れると7万人に上るという。

 彼らは米軍司令部から「先制攻撃と無責任の特権」を保証された。つまり「怪しいと思ったら先に撃っていいし、その判断が間違っていたとしても裁判で責任を問われることはない」というルールだ。このため多くのイラク市民が、ただ「あやしく見えたから」というだけの理由で殺された。

 たとえば07年9月に起きたブラックウォーター事件である。バクダッドの大学生が、医師の母を病院に送っていく途中、米国の傭兵会社ブラックウォーター社の装甲車列と遭遇した。傭兵たちは大学生の車が「あやしく見えた」ため銃撃、大学生と母親は数十発の弾丸を受けて即死した。興奮した傭兵たちがさらに撃ちまくったため、あたりにいた通行人ら計17人が殺された。調査した米軍が「周辺で敵の活動はまったくなかった」と報告したにもかかわらず、その大量殺人は不問となった。

 「米兵の犠牲」を減らすため、米国はイラクを、ガンマンが支配する無法地帯にしてしまった。傭兵会社はそのままにして、泥沼のイラク情勢から軍だけは撤退するという。残されたイラク市民の安全はどうなるのだろうか。

○寄せあつめ国家

 イラクは寄せあつめ国家だ。バグダッド中心のスンニ派イスラム教徒、南部のシーア派教徒、北部のクルド人。何の共通点もない三つの集団が、それぞれ異なる利害をかかえて対立しあっている。それをかろうじてひとつにまとめてきたのが、サダム・フセイン大統領の恐怖政治だった。

 91年の湾岸戦争のとき、シュワルツコフ司令官はバグダッド進攻を上申する。それを当時のパパ・ブッシュ大統領は止めた。

 米軍がフセイン体制をつぶすのは容易だったろう。しかし求心力を持たぬ国家で「恐怖の脅し」を取り外したときに何が起きるか。イラクはばらける。開いたパンドラの箱からはあらゆる不幸が飛び出してくる――。

 当時のベーカー国務長官、パウエル統合参謀本部議長が停戦を進言し、パパ・ブッシュはそれを受け入れた。中東ウォッチャーの間では「ブッシュはパンドラの箱を開ける愚を犯さなかった」と評価された。

 さて、03年に始まった「イラク戦争」。国際社会の多くが開戦に批判的だった。とくに独仏は、息子のブッシュ大統領の怒りを買ってまで反対した。にもかかわらず、米国は戦争を始めてしまった。結果はご承知のとおりである。

○「楽に勝てる戦争」のはずが

 ブッシュ氏に中東情勢の知識や戦術論があったとは思えない。大統領に「イラクは大量破壊兵器を隠して持っている」と吹き込んで戦争を始めさせたのはチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官らだった。

 ラムズフェルド氏らは、01年に始めたアフガン戦争が泥沼化していることに焦り、「イラクならポキリと折れるから」と大統領に対イラク開戦をうながした。それはボブ・ウッドワード著「大統領の戦争」で明らかにされている。彼らは「楽に勝てる戦争」をし、ついでに石油利権も支配したかったのだ。大量破壊兵器はその口実にすぎなかった。

 米軍の撤退後に何が起きるか。それは、うその理屈をでっちあげて戦争を始めた人たちが引き受けなければならない。




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