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森羅万象 ~ 歩く印象派

閉塞感のほぐし方(1)「徒党を組む」社会の基本もう一度

2009年04月08日 23時52分28秒 | 歩く印象派
2009年4月1日14時56分(朝日COM)

百年に一度かどうかは、分からないが、世界同時不況の中で、この国の空気は沈んだままだ。出先がみえない、この閉塞感(へいそくかん)は列島の空を蓋(ふた)のように覆う。即効薬がないなら、今、一見ネガティブにもとれる言葉を手がかりに、そのほぐし方の糸口を、各界の人びとに聞いてみる。

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 東京・日比谷公園に昨年末設けられた年越し派遣村は厚労省や自治体をも動かした。「あれが、派遣宿舎とかいった名称ならどうだったろうか。村という名称に共同体的なものが感じられたから、多くの人びとの関心を引いたのでは」と山室信一教授は今思う。それは百姓一揆のように「徒党を組む」ことの力を思いおこさせもする。

 この国で「徒党を組む」ことは、古くから良くないこととされていた。「だから福沢諭吉が初めてイギリスに行って、議会を見たときびっくりしたわけです。みんなが徒党を組んで、議論しあっていたから」と山室教授。いや、今だって徒党の最たる物である「派閥」の評判は極めて悪い。広辞苑の「徒党」の説明にも「ある事をたくらんで集まった仲間・団体」とある。

■近代化の原動力

 でも、日本近代の法制史・思想史を研究する山室教授は「人びとが誰にも強制されずに、ある思いをもって集まること、つまり徒党を組むことが、日本の近代化に大きな力となった。単なる連帯とは違う。それを、もう一度組むことが、行方の見えない今の状況を変える一つの道になるのでは」と思っている。

 例えば、明治、法政、中央、獨協(どっきょう)……。日本の私立大学の多くも、自発的な結社である私立の法律学校にそのルーツを持つ。「若者たちが、自分たちが学んできた独、仏、英、米の学問を世に広めたいという情熱だけで手を組み、学校を作った。世界でも珍しい大学の出来方です」

 その影響は地方にも及ぶ。彼らの作った新聞・雑誌を地方の素封家やお金持ちが取り寄せて読む。地元の字が読めない人びとに話して聞かせ、同時に本を集め、図書館のような物もつくる。それに興味を持ち、能力も秀でているが、貧しくて上京して学べない若者がたくさん出てくる。手助けするために、富裕層がお金を出し合い、県や地域単位の奨学金制度や、東京に学舎をつくり、送り出してやる。いわば、地域単位で、徒党を組んだわけだ。

 「国家の指示ではなく、ボランタリーで知識を広め、人材を育てようとしたこの動きがとても重要だった」

 でも、権力は徒党を嫌う。明治13年には演説会や、集会・結社の自由も奪われ、大正14年の治安維持法制定から国家総動員法に至り、事実上、徒党は組めなくなる。戦後、新しい社会の出発と共に、徒党は地域のサークルという形で復活し、労働運動、学生運動、市民運動という形で生き延びたものの、それもいまや、かつての勢いはない。

■閉じた閥に堕落

 確かに、徒党を組むことの弊害も多い。高い志でスタートしたはずの大学も学閥を作り、単なる学歴の免状発行機関のようなところも多い。地域単位の動きも、単なる地域閥や県人会のようなものに変わる。そして、学生運動末期のリンチ殺人……。

 「自発的な結社のことを考える時、常に英語のインタレストが持つ三つの意味のバランスが大切だと思う。一つは利益、二つ目は興味・関心、三つ目が勢力です。自分が素晴らしいと思っている興味・関心の対象も、力にならなかったら広まらない。それが広がることで利益も出てくる。明治の様々な結社は、この三つを追求しているが、このバランスが崩れ、勢力拡大や利益追求だけになってくるとまったく別のものになる」

 ただ、持続するだけが目標になり、特権化し、閉鎖的で、内部の勢力争いだけに汲々(きゅうきゅう)とする集団に堕する。例えば、今の、派閥や、かつての大労組、そして戦後、消えていった徒党の数々……。

 しかし、民主主義や社会の基本は、人が集まることだ、と考える山室教授は、「だから今、再び」と思う。「大きな理想や解決策が見えないからこそ、明治の結社がそうだったように、最初は私的な強い興味や関心でいいのです。それを同じくするものが、集まって徒党を組んでみる。そんな私的な関心の集まりが、どこかで公的なものに転化すればいい。そして、問題が起これば、また、初発の意思にもどって、結び直してみる」

 「だって、社会が変わるということは、徒党の組み方が変わるということですから」

(編集委員・四ノ原恒憲)

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