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森羅万象 ~ 歩く印象派

アフガニスタンの警官給与を日本が半年間肩代わり

2009年09月05日 22時04分36秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
注文の多い日本になるだろう 「民主政権」に反応する米国
(フィナンシャル・タイムズ 2009年8月31日初出 翻訳gooニュース) ワシントン=ダニエル・ドンビー、北京=ジャミル・アンダリーニ

日本はアメリカの同盟国として、米政府に今まで以上に色々と注文をつける国になろうとしている――。民主党の歴史的勝利を受けて、ワシントンと北京のアナリストたちは揃って同じような分析をしている。

日本の政権交代を前にして、米中両国の首都では、一定の警戒感が呼び起こされているのだ。

一方の米政府には、とある国務省関係者の言葉を借りると「この不可欠な同盟関係をさらにいっそう強化するため、新政府と協力していきたい」という希望がある。対して中国政府は、世界第2位の経済大国が、これまでの日米関係偏重から離れてもっとアジア地域に深く関わってくれることを、慎重ながらも期待している。

「今後の日本は今までよりも、ずっと注文の多い同盟国になるだろう」 ブッシュ前大統領のアジア政策最高顧問だったデニス・ワイルダー氏はこう言う。

「日本はいわゆる『対等な日米関係』を求めてくる。これは異例のことだ。これまでアメリカはおおむね、日本は意のままになるのが当たり前だと思い込んでいたので。日本はこれまで、楽な同盟国だった。しかしこれからの日本は、中国の台頭を前に、色々なことをアメリカに要求してくるだろう」

ワイルダー氏は、日本の新政権は今までと違い、もっと定期的な高官レベル協議を米政府に求めてくるだろうと見ている。これは米国がすでに中国と定期的に開いている、米中戦略経済対話に匹敵するようなものだ。たとえばアフガニスタン援助などで米政府の要求に日本が応じるからには…と、こうした定期高官協議を日本が求めてくるだろうという。

自民党がこれまでいかに米政府の意向尊重を重視してきたかに言及し、ワイルダー氏は「アメリカに対する自民党のそうした姿勢は、冷戦思考に基づいてのものだった。それはもうここで終わるのかもしれない」と指摘する。

もしそうなったら、アフガニスタンの警官給与を日本が半年間肩代わりするなどの約束を、日本にこのまま履行してもらうのは、今まで以上に困難になるかもしれない。

ワシントンにあるシンクタンク「ニュー・アメリカ・ファウンデーション」のスティーブ・クレモンス氏は、戦後直後に米軍占領下で一部構築された日本のシステムは、終わりを告げたと語る。

「私が思うに、ドイツでかつてゲアハルト・シュレーダー前首相がやってのけたことが、今や日本でも行われようとしている。(シュレーダー政権時代に)ドイツは国民の目の前で主権を確立し、欧州におけるアメリカの衛星国ではなくなったのだ」

アメリカのアナリストたちは、日本の新政権下でこれからは、沖縄の米軍基地問題(日本の民主党はこれに反対している)や北朝鮮の核問題に対する方針などが、日米の懸案事項になるだろうと一様に指摘している。

未経験な政党への政権交代から生じる不確定性には、やはり中国政府も警戒感を抱いている。しかし同時に中国は、自民党の衰退を歓迎するはずだ。北京在住の中国政治アナリスト、ラッセル・モーゼス氏は、「中国政府からすると、自民党の破綻はかなりポジティブな展開だ」と言う。

「日本で政権交代があったのはつまり、日米関係の強化や防衛政策の強化など、中国政府が嫌っていた日本の諸政策が否定されたからだ――と、中国内ではそういう風に解説されている」

中国政府はこのほかにも、靖国公式参拝はしないという民主党の公約を歓迎している。中国外交学院の周永生(ジュウ・ヨンシェン)教授は、そのおかげで「中日関係における危険な火だねがこれで取り除かれた」と評価している。(翻訳・加藤祐子)

「何も録画できなかったんだ」

2009年09月05日 04時13分16秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
「日本にとって素晴らしい日」
(フィナンシャル・タイムズ 2009年8月31日初出 翻訳gooニュース) 東京=アジア編集長デビッド・ピリング(前東京支局長)

日本にとって素晴らしい日だ――。かつて公務員だったその人は嬉しそうに、そして少しいたずらっぽいまなざしでそう言った。「これで日本もやっと、台湾や韓国なみになったということだ」と。

台湾や韓国のように日本の有権者も、ひとつの政治集団から別の集団に、権力を平和的に移動させたのだから。これは1955年以来、初めてのこと。8月30 日の総選挙で日本の民主党は地滑り的勝利を収め、中国共産党に匹敵するほど権力を長く独占していた自民党の覇権的支配をついに打倒した。

すでに退官した某公務員氏の発言は、ほかの日本人を穏やかに挑発しようとしてのものだ。というのも日本人のほとんどは、東アジアでもっとも政治的に成熟している大人な国は日本だと、そう思い込んでいるだろうから。しかし実際にはある意味で、日本は未だにアジアでも政治的に遅れた国だ。1987年に軍政が終焉した韓国でも、そして国民党の半世紀にわたる一党支配が2000年にようやく終わった台湾でも、すでに何度も政権交代を経験している。しかし日本ではこれまで、一度しか政権交代できていなかったのだ。

今回の選挙以前、日本における野党の役割を最も端的に表現したのは、日本専門家のカレル・ヴァン・ウォルフレンだった。日本の野党はまるでギリシャ悲劇の「コロス」のような存在で、いくら政府を批判してもその声はあくまでも「儀礼的で実害はない」と、ウォルフレンはそう言っていた。しかし今回の選挙で日本にもようやく、「政党」と呼ばれるにふさわしい集団が二つ存在することになった。しかしこれで二大政党制が成立したのかどうかは、まだ実証されていない。

欠けているのは、思想だ。韓国や台湾と違って日本は未だに、分かりやすい政治理念をもつ政党や、国の未来像を独自に描くことのできる政党を欠いている。あまたの派閥に分断された自民党も、今回勝利した民主党も(見事なほどバラバラな意見が混在する、5つの政党の寄せ集めだ)、思想的な一体性をもっているとは言いがたい。そして現場レベルで言えば、日本の選挙戦というのは「私に入れてください。よろしくお願いします」と頼んで回る以外の、なにものでもなく、そこに政治的な洗練はない。とある自民党の政治家は必死のあまり「助けてください」と懇願したほどだ。

自民党はよく「中道右派」な政党だと呼ばれる。しかしそれは単純すぎる、いい加減なくくり方だ。確かに自民党は防衛や教育、そして一部の社会政策について本能的に保守的な感覚をもってはいる。しかしほかの民主国家の多くで同じことをやったならば「中道左派」と呼ばれるような、富の再配分的な政策を追求してきたことも事実だ。自民党にとって何よりも重要な政治課題は「権力」そのものだった。そして自民党の存在意義は、当選したいがためにその旗印の下に集まる人々のパトロンになることだった。しかし今となっては、自民党が何のためにあるのかよく分からなくなってしまった。

長年にわたり日本政治を見つめてきたコロンビア大学のジェリー・カーティス教授は、自民党について「分裂するとは思わない。これから党としてどうするのか、野に下り考える時間は、4年間もあるのだし」と言う。しかし常に潤沢な資金で潤っていたからこそ動いていた自民党の政治システムについては、「自民党は新しい党として再生しなくてはならない」とも指摘する。「ばらまき政策をばらまき続けることで政権復帰しようとしたら、自民党は二度と復帰できないだろう」と。

ゆえに今後の展望について、こういう展開もありえる(その可能性は確かに低いが)。つまり自民党はこのまま衰退して消えてなくなり、民主党はただ同じような政権与党として自民党の後釜に座るだけという展開だ。現時点で早くもすでに、来年の参院選で議席が危うい自民党議員たちが必死になって民主党に次々とくら替えするのではないかと、そういう話しも出ているほどなので。

そのほかにもう一つ、ありえそうなシナリオもある。利権誘導型の政治から解放された日本の有権者は、あっちの政党こっちの政党へと激しく行ったり来たりするかもしれない。なんといっても今回、野党に地滑り勝利を与えた日本の有権者は、わずか4年前、小泉純一郎氏率いる自民党を大々的に信任したのだから。与野党が激しく入れ替わる政治というのも、ある種の二大政党制なのだろうが、それは実に頼りない不安定な体制だ。

あるいはこうして書いてきたいずれも、日本では実現しないのかもしれない。政情は安定し、米英的な二大政党制が徐々に形成されていくのかもしれない。民主党はやがて社会民主主義的な政党として浮上するかもしれないし、自民党はそれに対する選択肢になりえる保守政党になるのかもしれない。しかし日本の有権者がこれまで疑いようもなくはっきりと示したことはただ一つ、「日本人も半世紀に一度は気が変わることもある」ということだけだ。

こういう事態になっても尚、自分たちには選択肢が本当にあるのかどうか、有権者は確信できずにいる。世論調査を見ても、個々の日本人に話を聞いてみても、日本の有権者は民主党の政策に心から同調して投票したというよりも、自民党に対して反乱を起こしたのだ。しかしそれでも日本人は、自分たちが本当の意味で主権を行使した、あるいは影響力を発揮したのかどうか、確信できずにいる。その証拠に30日の夜、こんなことがあった。あるイタリアのテレビ・プロデューサーが「民主主義の歴史的勝利をあちこちで祝っている日本人の画像をとってこい」と、カメラマンを外に送り出したのだが、そんな光景はどこにもなかったのだという。「何も録画できなかったんだ」とこのプロデューサーは嘆いていた。(翻訳・加藤祐子)