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シリーズ政治とカネ(19)<守屋前次官夫人>オネダリ妻・守屋夫人は防衛省の「女帝」だった!

2007年11月03日 11時23分08秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
オネダリ妻・守屋夫人は防衛省の「女帝」だった (ゲンダイネット)

 今話題の前防衛次官、守屋武昌氏の夫人、幸子さんは夫の接待ゴルフに頻繁に同伴していたことが報じられているが、実は、接待される回数は次官よりも夫人の方が多かった。防衛省内では「女帝」と呼ばれていた次官夫人の素顔――。

 山田洋行元専務の宮崎元伸氏の守屋次官接待ゴルフは5年間で200回以上に上った。このほとんどに幸子夫人は参加しただけでなく、前次官抜きで宮崎氏らとプレーに興じたこともしばしばだったというのだ。

「夫人のゴルフの腕前はシングル級。100以上叩く守屋氏よりもはるかにうまい。宮崎氏はゴルフ狂いの夫人に巧妙に取り入り、食い込んだんです。宮崎夫人もゴルフ好きで、家族ぐるみの付き合いになった。そうやって、二女のニューヨーク留学でも便宜を図った。接待というより、宮崎氏と守屋氏は一心同体。日本ミライズは事実上、守屋氏の会社だという人もいます」(司法関係者)

 守屋氏は夫人に尻に敷かれていた。「あの守屋が頭が上がらないのだから、夫人の押しの強さは大したもんだ」と省内ではささやかれていた。

 その一端を示すのが「美鳩会」なる組織だ。

「防衛省の課長級以上の夫人が集まる親睦組織なんです。会合は年に数回開かれ、講師を呼んで話を聞いたり、ランチをする。時には慈善運動もやる。日本地雷処理を支援する会に寄付をしたこともあります」(事情通)

  この美鳩会で守屋夫人は顔だった。なにしろ、大物次官夫人だから、部下の夫人らは気を使う。夫の出世のために、多くの夫人が集まっていたようだ。夫人は当然、省内の人間関係や人事にも精通していて、いつか、「女帝」と呼ばれるようになったという。こうした背景があるからこそ、次官がいないときも、堂々とゴルフ接待にあずかったわけだ。

 夫人も当然、後ろめたさを感じていたはずで、プレーをする際は「松本明子」という偽名を使っていた。松本は幸子夫人の旧姓だ。

 旧厚生省の岡光序治の贈収賄事件でも、贈賄側に車やシステムキッチンを要求したおねだり妻がいた。歴史は繰り返すというが、コイツらの特権意識は許しがたいものがある。

【2007年10月25日掲載記事】
上記は
http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/28gendainet02034254/より転載。
[ 2007年10月28日10時00分 ]