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森羅万象 ~ 歩く印象派

韓国ソウルの旅(その13)2日目、国立墓地

2005年12月25日 23時53分13秒 | 韓国 ソウルの旅
 戦争記念館で時間を食ってしまったため、三たびタクシーを利用する
こととなった。国立墓地の場所はほぼ掴めているのでNIがタクシーの運
転手に地図を見せて、車は走り出した。確か国立墓地は漢江(ハンガン)
を渡るはずだが、5~6分後にタクシーが停まった場所は何か立派な施
設の入り口であったが、どう見ても「墓地」ではなかった。タクシーの
運転手の案内したのは国立は国立でも国立博物館であったようだ。もう
一度NIが地図を取り出して「国立墓地か?」と問うてみたが運転手は不
思議そうな顔をするだけであった。
たぶん
「なんで?お宅らが来たかったのはここじゃないのかい?」
という態度だった。「他にどこがあるんだい?」とも思えた。
 もしかしたら、と思いザックの中から旅客機内で書いてもらったメモ
を探し出し、運転手に渡してみた。

 メモの文字を読むや否やタクシーの運転手は、一瞬驚き、即座に我々
の目的地を理解し、車をUターンさせた。
 つまりは、およそ我々のような日本人が行く所でない場所だったため、
「こいつらは国立墓地なんて言ってるが国立博物館のことを間違って言
ってるんだろう。」と思い運転手は善意に国立博物館に案内したようだ。

 観光スポットから外れている国立墓地とはいったい、どんなところな
のだろう?
やがて、漢江(ハンガン)にかかる長い橋を渡るとまもなく公園とおぼ
しき入り口でタクシーは停まった。
 すでに陽は傾き、 広大な公園に山の端影が長く落ちていた。

 入り口の表示にはNational Cemeteryとあった。
警備というほどの物々しさは感じられないが衛兵が2名立っていた。
時折、入門する車の運転手と声を交わしていたが、我々には特に注目し
ていない。誰でも出入りは自由なようだ。

間違いない。
ようやく、この旅の目的地にたどり着いた。。
 日本では思うように情報がつかめなかったこの地に今立っている。

入ってすぐ右手の公園の管理事務所らしき建物があったのでドアを
開け中に入ってみた。カウンターになっていて、我々の入室に気が
ついた女性と眼があった。落ち着きのある物静かな人だった。NIが
英語で (“We came from Japan”と言ったかどうかは定かでないが。)
我々が日本人であることを告げると彼女はパンフを取り出し、手渡し
てくれた。慌てて、もう2冊もらった。

事務所を出て、パンフを広げ奥にそびえるモニュメントの方へ向かった。
雪の残る広場を左から巻くように歩いて行く途中に売店らしき三角屋根
の白い建物があったので立ち寄ってみた。

 やはり売店でジュースやコーヒーなどの飲み物やスナック菓子などを
販売していた。テーブルでは散歩に来た韓国人の夫婦がカップラーメン
を食べていた。よく見ると給湯設備があった。カップ麺を買って自分で
お湯を注いで食べることができるようだ。
 喉が渇いていたのと空腹に気づき、我々もコーヒーとパンを購入し、
しばし休憩することにした。

 売店を出てしばらく歩くと立派な屋根付きの門があって、衛兵が2
人立っていた。車止めの柵もあった。どうやら、車はここまでしか入
れないようだ。門をくぐるとモニュメントがすぐ目の前に迫る。逆光
のせいか眩しい。

階段を昇ると焼香用の炉と香が置いてあった。
炉にはまだ火が残っていた。
順番に焼香した。


 驚いたことに、モニュメントの中に祭壇があった。内部は清掃が行
き届いており清潔で照明も明るかった。ここまで歩いてこなければわ
からなかった。壁という壁には墓碑銘が刻まれており、色とりどりの
花々で飾られていた。よく見るとみな造花であった。


外に出て、今度は元来た道の反対側を通って戻ることにした。左側の斜
面には奥の方まできちんと配列された墓が並んでいた。雪が溶けずに一
面を覆っていた。

1970年代に亡くなったことがうかがえる墓もあった。
「ベトナム戦争で亡くなった方かもしれない。」とNiが言った。
韓国はベトナム戦争時に米国からの要請で戦闘部隊を送り込んでいる。
その戦死者の可能性が高い。

 モニュメントそばの門に備えてあった記帳書に記帳しようと思っ
たが、NIの「ここは我々が記帳すべき所ではないようだ。」の一言
でやめることにした。2冊の記帳書を繰ってみたが日本人の筆跡は
一人もなかった。

 ところどころ残る雪の上で遊ぶチョウセンガラスの姿にここは韓
国なのだということに改めて気づいた。