経済破局は来るのか?

経済破局がいつくるのかを、金貸し支配を読み解きながら、追及しています。

デフォルトの可能性

2015年12月31日 11時05分17秒 | 日記
過去の歴史の中で政府が巨額債務に苦しんでいた場合の対応は以下の3つの選択肢がある。

第一の選択肢は、財政再建である。19世紀のイギリスは、ナポレオン戦争で急増した政府債務を、物価下落期にも均衡財政の考え方のもとに長い期間をかけて削減した。1821年にGDPの2.9倍あった国債残高は、1914年にはGDPの30%に減少した。
第二の選択肢は、政府にその明確な意図があったかどうかは別にして、インフレーションだった。国民大衆の予想を越えたハイパーインフレーションの結果、政府債務の実質価値が著しく削減された。事例に第一次世界大戦後のドイツ、太平洋戦争後の日本などがある。
第三の選択肢は、デフォルトである。国債を強制的に帳消しにする方法や国債保有者に課税するという方法がある。GHQ占領下の日本は1946年に戦時保障を打ち切った。それは国債ではないが、戦時中に政府が軍需企業、財閥系企業に対して約束した支払いであり、今日でいうところのオフバランスシート債務である。放棄された戦時債務は960億円で、1945年度末の国債残高1408億円の約7割相当であった。
それ以外にはイタリアで1926年にデフォルトの一形態である強制的な国債整理を選択している。

現在の日本では第一の選択肢は事実上あり得ない。そこで第二の選択肢のインフレターゲット論が現在議論されているが、インフレは実は実現したくでも(この物的飽和状況の中では)実現できない構造である。
そこで日本政府は第三の選択すると、当然のことながらその国の信用は内外で大きく低下し、将来の国債発行が事実上不可能になる。また、国債の所有者に巨額の損失を与え、もし銀行が大量に国債を保有していると金融危機を招き、いっそうの経済混乱をもたらすことになる。こうしたデフォルトのコストが、増税や歳出削減のコストを大きく上回っている限り、そして国債の借換発行が可能である限りは、デフォルトは先進国では発動される可能性はほとんどない選択肢である。
つまり上記の例で先進国(イタリアや日本)でデフォルトが発生したのは戦争という混乱の中で可能であったと考えるべきである。そう考えると今の日本の状況では当面(10~20年)はデフォルトが発生しない。

しかし国債残高が増大し続けると例えばGDP比300%になると国債金利にリスクプレミアムが発生し破綻する可能性はどこまでも否定できない。結局は、このデフレ状況の中で金融機関がどこまで国債購入余力があるかに規定されている。その当たりは実態の数字をもう少し調べてみる。

(参考:日本国債の研究 富田俊基)




安冨啓之
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日本におけるデフォルトの影響を甘くみているのでは

2015年12月30日 12時49分06秒 | 日記
容易にデフォルトが起こることを仮定して議論を進めることに怖さを感じます。

先進国のデフォルトは、市場経済の存在自体に影響を及ぼします。
もし、日本でデフォルトが起こると円は国際的に信用を失い、石油をはじめ海外に依存している物資を輸入できなくなります。オイルショックを上回る買占めが行なわれ、人々は日々の生活の食料すら手にすることはできなくなるでしょう。当然、暴動により多数の死者が出る、又餓死することすら考えられます。もちろん、石油が入ってこなくなると経済自体が崩壊してしまう。

個人金融資産がなくなって困るという次元の話ではないと思います。

日本は死んだ都市となり、東京のビルディングは廃墟と化します。
どこの国よりも日本がデフォルトすることが如何に危険なことかを知る必要があると思います。市場経済の恩恵を最も受けているのが、自給自足を放棄した日本なのですから。

私権統合からの統合形式のパラダイム転換が、デフォルトよりも先に行なわれなくてはならないことを前提に議論する必要があるのではないでしょうか。




齊藤直
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アメリカ経済が破綻する理由

2015年12月29日 12時48分12秒 | 日記
アメリカ経済が破綻する必然的理由は、根本的な点から言えば、「自らが働いた以上に消費はできない。」ということと「人類が共認動物である以上、自分さえよければいいということは成り立たない。」という点にあります。もっと突き詰めて言えば、「自然の摂理に逆らった奢れる者は、滅びるしかない。」ということではないかと思います。

経済分析で言えば、アメリカはニクソンショック(金・ドル交換停止)の前後から30年余りに渡ってずーっと貿易赤字を垂れ流し続けており、今や累積の対純債務は2兆3000億ドルにも膨れ上がっています。とりわけバブル崩壊後のこの2~3年は毎年4000億ドルもの赤字幅へと急拡大しています。財政赤字についてもバブル景気で一時的に黒字転換した年度がありましたが、基本的にはこれまたずーっと赤字で、この1~2年はバブル崩壊で赤字に転落しています。ブッシュ大統領になって減税策と向こう10年間にわたって何千億ドルかの景気対策を行うことを打ち出していますが、もとよりアメリカ国内の貯蓄率はゼロに近く、そのような大盤振る舞いができる財源はありません。

重要な点は、ここまで赤字が累積されるまで、アメリカは赤字・借金体質を改善する努力をしてこなかったし、現在にいたってもなお改善する努力をしようとする姿勢が見られないという点です。ニクソンショックによって、アメリカはドルと金の交換責任を放棄し、変動相場制に移行したわけですが、アメリカは国際収支の節度を保つということをも放棄し、ドルを印刷するだけで、自ら働いて借金を返すということをしてきませんでした。そして、今また軍事力にものを言わせてイラクに攻め入り、石油の利権を拡大することによってぼろ儲けをすることを画策しています。人のため、相手の国のために役に立とうというような思想はほとんどなく、あくまで相手を脅すことによって有利な立場に立とうとする姿勢は一貫しています。そこにあるのは、つきつめると自分中心の思想でしかありません。

ドルが返ってくるあてのない(返すつもりのない)単なる紙切れになってしまっている以上、ドルは必ず暴落します。歴史の教訓から言えば、滅亡は周辺の弱い部分から崩壊が始まりますから、日本を代表とするアメリカの属国の経済が破綻することによって、アメリカ経済も破綻する流れになると思われますが、それは大きな視点からみると因果応報というものであり、そのことによって新たな歴史が始まるとみるべきであろうと思います。その意味では、「質素を旨とし、まわりの人や社会に役に立つように努力する。」というような日本人が本来的に持っているような当たり前の資質が見直される時代が必ずくると思います。




雪竹恭一
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国家の寄生虫が国家を裏切ることはできない

2015年12月28日 12時47分11秒 | 日記

>公的機関が投売りすることはありませんから、金融機関が投売りでもしない限り日本国債が大きく変動する可能性は低くそうです。少なくとも、今までは金融機関は国の指導下にありますので、国債を表立って放出することは出来ないのが現実のように感じます。<
(46448 日本国債の特殊性 沼田氏)

市場の敗者であるロシアやアルゼンチンがデフォルトを起こし、一部の投資家が損失を出したり、その国民に貧困や混乱が生ずることは、企業の倒産と同様に市場原理の枠内での出来事として消化されます。

しかし、市場の中心である日本やアメリカの国債を放出することは、金融市場そのものの崩壊を意味することであり、市場に巣くう投資家・投機家自身がそのような自殺行為を選択するとは思えません。

>そこで確実になされるであろう、日銀の国債引受が長期金利にどれだけ悪影響を及ぼすのか疑問に思います。
>現在は既に金余りであるにもかかわらず、インフレは起こらず、むしろデフレが進行しつづけています。
>楽観論の立場をとるとどこまでも数字のマジック=観念世界のできごとであり、皆がその状態を問題視しなければどこまで財政赤字が増えてもパニックには至らないという仮説も成り立つような気がするのです。 <
(10333長期金利の上昇は本当に起こるのでしょうか?

私権が衰弱したからデフォルトが起こるのではなく、衰弱したから金が行き場を失い国債を買い支えるしか選択肢がなくなったのではないでしょうか。



辻一洋 
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貯蓄投資バランスのわな(1)

2015年12月27日 12時46分14秒 | 日記
貯蓄は裏を返せば誰かの借金なわけですが、マクロ経済の観念から言えば、その借金は投資され、貯蓄と投資はバランスすることになっています。そして、投資によって生み出された利益は、利子となって貯蓄に返ってくることになっています。銀行預金や株式・債権などの貯蓄は、企業の生産設備や公共施設などに姿を変え、それらの投資を通じて生産が拡大することによって所得が増大するというわけです。ところが、現状はいくら貯蓄をしても所得は上がらず(市場は拡大せず)、利子率は低下する一方です。これはどう考えたらいいのでしょうか。仮説ですが、これには、貯蓄が投資に回され貯蓄と投資がバランスするという前提条件に重大なわながあるのではないかと思います。それは、投資が市場拡大=拡大再生産を前提にしており、貯蓄は生産を拡大するために使われるという点です。

ところが、実態は、貯蓄とバランスするだけの投資需要はなく、しかも、投資(=借金)の中身は必ずしも生産力を増強するものではなく、生産を合理化して縮小するためのものであったり、不良資産を処分するものであったりと、肥大しすぎた生産力を縮小した消費需要と均衡させるための投資に多くが費やされています。つまり、市場拡大停止の現状においては、貯蓄はその多くが生産の拡大ではなく、過去の負債の穴埋めに使われているというのが実態であり、それ故、貯蓄と投資がバランスするという前提条件が成立していないのではないかと思われます。(貯蓄が生産力拡大に寄与していないとすれば、貯蓄をしても所得が上がらず利子率が低下するのも当然です。)

このことは、過去の貯蓄を食いつぶし、新たな利益を生まないガラクタに使ってしまったということを意味しています。私達が銀行などに預けている貯蓄は、すでに売れる見込みのない生産設備であったり、殆ど使われることのない道路や空港や文化ホールなどに姿を変えてしまっており、今後はそれらの利息を返済したり、過剰な設備を合理化したり、莫大な施設の維持管理費を穴埋めしたりするのに多くの貯蓄が使われてゆくのです。世代論の話で言えば、老後をあてにして貯蓄をしてきたつもりが、その貯蓄はとっくに誰かの浪費に使われてしまっており、若い世代の貯蓄はその浪費を穴埋めするために使われてゆくわけですから、ご指摘のように、若い世代が現在の貯蓄を原資に老人の生産を支えてくれるという保障はありません。



雪竹恭一 
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