経済破局は来るのか?

経済破局がいつくるのかを、金貸し支配を読み解きながら、追及しています。

欧米型デモクラシーも、グローバル経済も、金融資本主義も似合わない。日本の原点=縄文に戻る気概を!

2015年06月03日 17時41分52秒 | 日記
あくなき経済成長=市場拡大を目指す国家の行き着く先はどのようなものか。
市場の果実を追い求めていたつもりが、結局のところ、社会としての拠り所を失い、市場に殺されることになりはしないか。
経済成長などなくとも、どんな時代もしぶとく生き残り存続できるのは、自主管理型の共同体社会しかないのかもしれない。

国家経営もさることながら、企業経営においても大きな時代認識=哲学が必要な時代となっている。
経団連大企業のごとく、日本民族の歴史と誇りを捨て、市場と心中する道を選ぶのか。
それとも縄文以来の共同体精神を取り戻し、新たな集団を構築する決意を固めるのか。
根本的な選択を迫られている。


世相を斬る あいば達也 外需依存国家は海外に殺される 内需依存国家は成長が僅かでも生き残る  リンク より抜粋引用。
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 安倍も石原も、同次元で“薄っぺら”な歴史認識の民族派である。明治維新以降の日本の歴史に学ぶべき処などありゃしない。欧州の真似事に汲々とした日本民族の姿を目の当たりにするだけではないか。戻るのなら、縄文時代まで戻る気概が必要なんだよ。まぁ徳川幕府でも構わんがね、少なくとも明治維新以降は、参考になる歴史は日本にはない。筆者は、正直欧米型デモクラシーと云うものが、日本人向きな制度だとは、コレッポッチも思っていない。

 仮に、日本でデモクラシー的な行為が可能だとすれば、一定の大きさの共同体自治でしか実行しえないと考えている。欧米型デモクラシーも似合わない、グローバル経済も似合わない、金融資本主義も似合わない、それが日本と云う四方八方海に囲まれた国家の原点なのだ、と筆者は思う。何も奪わず、何も奪われずが理想の国家だよ。

≪ 外需依存の危うさ
  新聞各紙は中国の経済成長の鈍化を伝えています。アベノミクスの売りの一つは「円安」です。
 つまりは、円が安くなり、輸出が増えれば、輸出産業が経済を牽引してくれるという「内需」ではなく「外需」に頼る考え方です。一方で、海外市場は中国のような新興国を中心に政治的にも社会的にも不安定な地域が数多くあります。中国も、一党独裁の政治体制を敷き、法の支配も十分ではありません。
 そういった国の市場の拡大をあまりに頼り過ぎることは日本国の舵取りのやり方として正しくありません。
 また、自動車や家電産業は勿論日本にとっては重要な産業ですが、一方で「派遣切り問題」に象徴されるように物づくり産業では非正規雇用で低い賃金で働かざるをおえない若者が増えております。
 その結果、若い労働者の消費意欲が下がり、国内経済の活気が失われている実態があります。いたずらに外需に頼るのではなく、しっかりと国内消費を増やし、日本経済の足腰を強くする政策が必要です。≫(松木けんこうのつぶやき)

 松木けんこうも政治家だから、筆者のような荒唐無稽なことは言えないだろうが、外需依存ではなく、内需中心の国家像を描くと云うことは、実は準鎖国政策に繋がっているのだ。松木や小沢一郎は気づいているけど口に出さないのか、気づいていないのか、それは別にして、経済成長を前提にした国家政策そのものが、幻想なのである。その幻想を追い求めようとしている限り、国家の病状は悪化の一途を辿るのである。合理よりも合意を求めてしまう民族には西洋デモクラシーは、丈の長いズボンを引き摺るような違和感を抱えて無理やり穿いている風情だ。

 このような民族の特性を利用して、維新以降官僚制が跋扈し、現在に至っているのだが、江戸時代においても似たような現象はあったのだろう。おそらく、縄文時代くらいまで戻らないと、日本を取り戻すことは出来ないわけで、開国により、日本と云う国が流浪の旅に就き、永遠に故郷に戻れない根なし草になったことは、明白なのだろう。名誉白人と言われた時代から、日本人は更に腐った。今さら戻る故郷がないのであれば、故郷をつくり直せば良いわけだ。取り戻すのではなく、新たな国家像を創造するしかないのだろう。

 そのためにやるべきことは、行政単位の縮小である。自治共同体が成立し得る大きさに変えることだ。押し並べて、そっくりの駅舎を造ったり、同じようなスーパーが林立する街づくりをするべきではないのだ。そのような国家を改めて創造する為には、アングロサクソンの文化をこれ以上取り入れる事は戒めるべきだ。アングロサクソンの価値感から脱出する思考、大きなビジョンを示すのが政治家の務めだ。本来であれば、そのような思想家が生まれるのが一番だが、日本社会では、かなり難しい願望になる。結局政治家が、それを担うしかなさそうだ。ただ、内需重視の政策を追求していけば、意外な形で、自治意識も目覚め、個性的共同体の姿が見えてくるのかもしれない。井上ひさしの「吉里吉里人」がモデルを提供している。
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匿名希望
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「田布施フリーメーソン悪魔カルト小泉純一郎安倍晋三 (通りがけ)
2015-06-03 19:50:30
は長州松下村塾靖国大和魂武士道失格の嘘つき破廉恥売国奴である」

>幕末・維新風雲伝
士規七則とは?吉田松陰が贈った言葉
www.jpreki.com/tamaki/

士規七則は、吉田松陰が従弟の玉木彦助に贈った言葉だ。
逸材中の逸材として玉木彦助を松下村塾の後継者と考えていたとされる。

士規七則の現代語訳

人として生まれたならば、人が鳥や獣と違う所以をしらないといけない。
思うに人には五つの道理があり、その中でも君臣の関係・父子の関係が最も重要である。
であるから、人が人である所以は忠と孝を基本とする。

万世一系の天皇を頂く我が国に生まれたからには、我が国が天下において貴重な存在であることを知らねばならない。
思うに、我が国は万世一系の大君を頂き、諸国の武士がその身分を世襲している。
大名が人民を養い、元の生業を継承し、それぞれが忠義を行い、父の志を受け継いでいる。
こうして、君臣一体、忠孝一致となる、これは我が国だけの特色と言える。

武士の道において最も大切なのは義である。
勇気は義を知ることにより大きく成長する。

武士の行いは、質素、実直、人を欺かない事が肝要である。
人を欺き、自分を飾ることは恥とする。
正しき道義を行い、身が潔白であることは、これらの理由からである。

人間として古今の出来事に通ぜず、聖賢を師としない者は、心の貧しい人間である。
書を読み、それらを友にすることは君子のなすべきことである。

徳を磨き優れた人間に達するには、恩師、友が多いことが条件であるから、君子は人との交流は慎重に行う。

死して後已むの四文字は言葉は簡単であるが意味は大きい。意思が堅固で忍耐強く、決断力があり、断固としてその志を変えないときは、これが最適の言葉である。

要約すると三つとなる。
即ち、「志を立てることを全ての始まりとする。交流する相手を選ぶことにより仁義の行為を学ぶ。書を読み先達の遺訓を学ぶ。」
武士は、誠このような言葉から得るものがあり理解できたならば、完成された人とするべきである。

(参考 Wikipedia)
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「天知る地知る我知る汝知る」

田布施フリーメーソン悪魔カルト「廃仏毀釈」伊藤博文作成の大日本帝国憲法では日本国の君主は天皇唯一人であったが、日本国憲法においては日本国の君主は主権者国民となった。

全ての公務員は主権者国民に忠義を尽くして国民の幸福のために滅私奉公することが日本人としての道である。

そして全ての日本人は親に対する孝行を尽くすことがもっとも肝要である。

日本人の人道において最も大切なのは義であり、質素にして実直、決して人を欺かず自分を飾らず恥を知り身を潔白にして、勇気を持って正しき道義を行う。

書を読み先達の遺訓を温故知新し、師友を選び仁義を尊んで人と交流する。

すなわち「敬天愛人」これが大和魂仏心日本人である。

靖国神社にはこの忘己利他武士道菩薩大和魂武士が祀られている。

しかるに。

嘘をつき、卑賤な身を扮飾し、先達の遺訓を踏みにじり、ただ私利私欲に基づき主君国民が与えた権限を悪用して下僕の分際で不忠にも主権者国民を欺き盗み、自己と一味の資産形成のみを唯一の目的とする恥知らずの安倍晋三と小泉純一郎らと一味は、大和魂のかけらも持たぬ不義不忠亡国の売国奴どもである。

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