のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

児童虐待夫婦の供述

2008年04月05日 16時49分30秒 | Weblog
3月30日付けの朝刊に、父親は「泣いたとき」、母親は「ミルクを飲まなかったとき」

にそれぞれ子供に暴力を振るったことを認めたと、奈良市の児童虐待事件のことが報

じられてあった。忘れられない・・・


戦争中、防空壕の中で赤ちゃんが泣き、兵隊さんに撃ち殺されたか、壕を追い出され

た母親の想いを綴った戦争体験のこと思い出した。


戦争中でもない今の世の中でも、同じような残酷な事件が兵隊さんによってでなく、

他ならぬ親によって引き起こされている! 

これは、言い換えたら、家庭が戦場になっているということだな。



さし当たって、悲惨な事件を回避するには、もっともっと、みんながジョーク巧者に

ならなければと思う。大きなストレスを軽減する方策として、笑いが引き起こす作用

を見逃せない。ところで、これに関して、その前に考慮すべきかな、と思う番組が昨

日、あった。NHKの「解体新ショー」だ。赤ちゃんを見て、大人が「可愛い」と感じ、

笑いかける。よく見る光景だ。可愛く感じるのは、自分との類似性を、つたない形で

赤ちゃんが再現するからだという。裏を返せば、「可愛くない」と感じるのは、自分

との類似性を認められないからだ。しかし、何故、類似性がない?



思うに、赤ちゃんが泣いて、何とかしてあげたいという愛情を感じられないのは、親

世代が泣くことを禁じられているからではないか。また、ミルクを飲まなかったから、

といって怒るのは、親世代が他人の好意を拒否する自由を持っていないからではない

か。つまり、親は、子が泣く自由を持っている、あるいは、ミルクを飲まなかったり

することに嫉妬する(?)。根本にそのような心の動きがあるから、子供に類似性を

認められないのではないか。



そう言えば、最近、デパートなんかで寝転びながら泣いている子供をめっきり見なく

なった。親に遠慮しているのだろうか。

「子供は、最強の弱者」(上記番組のコメンテイターがそう言っていた)ならばこそ、

大人の文化をいち早く反映しているのかま知れない。

自由は戦い取るものだ。まず大人が泣く自由を手に入れなくては! 飲みたくないミ

ルクは、飲まなくていいんだよ~♪

ジョークを言う楽しみを手に入れるのはそれからかな? 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして (トッペイ)
2008-04-07 18:30:01
 虐待する親の加害者としての側面ばかり目についていました。そういう親世代の心の中を思い描く視点が必要なんですね。
初めまして (忠太)
2008-04-08 21:07:27
コメント有り難うございます。

そうですね。悪いやつは、悪いやつと割り切りた

いですが、その人の立場で考えたら、憎めない

人って、結構いる気がします。

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