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【訃報】輪島さん死去(70歳)

2018年10月09日 18時58分01秒 | 訃報
〔資料〕

「大横綱・輪島死去 記者に生前、明かした日大の田中理事長に絶対に譲れないネタとは?〈週刊朝日〉」

   アエラ(10/9(火) 17:13配信)

☆ 記事URL:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181009-00000087-sasahi-spo&p=1

 第54代横綱、輪島大士さんが10月8日、亡くなっていたことがわかった。享年70歳。日本大学から角界に進み、花籠部屋に入門。「黄金の左」と呼ばれる強烈な下手投げで一世風靡し、入門から3年で横綱に昇進。日本相撲協会理事長も務めた北の湖親方とともに「輪湖時代」を築き、相撲を支えた。1981年に引退し花籠親方を襲名したが、年寄株を借金の担保に入れていたことが判明して、無期限謹慎処分受けた。この騒動が影響し、角界を去った。

【若かりし日の田中英寿・日大理事長の写真はこちら】

 その後、プロレスラーとして、全日本プロレスのリングに上がり活躍。タレントや相撲解説としても、人気を博した。現役時代から、稽古前にジョギングしたり、休日にはゴルフをするなどそれまでの角界の常識を打ち破り「型破り」だった輪島さん。筆者は引退後に何度か、食事をしながら話を聞く機会があった。

 その言動はまさに「天真爛漫」で、子供がそのまま大人になったような人だった。現役時代、北の湖と舌戦を繰り広げたことがあった。北の湖が輪島に対し、「もう力が落ちてきたから相手にならない」とコメント。それを見た輪島が激怒した。「北の湖は糖尿病でもうダメだ。俺の方が強いことがよくわかるはずだ」と反撃した。

 そのことについて聞くと、こう笑った。

「あはは、あれは記者から聞かれて思わず言っちゃったんだよ。実は北の湖は雑誌に俺の悪口を言っていたんだけど、俺は本とか雑誌とかぜんぜん、読まない。漢字も難しいのはダメだからね。まあ、ちょっとくらい土俵外で盛り上げたら面白いだろうとしゃべったら、大変なことになった。まあ、それが相撲人気につながったからいいんじゃないか。北の湖と仲が悪いとか言われていたが、そうでもないんだよ。ただ、輪島か北の湖かって言われた時代。仲良くなってちゃ、ファンは面白くないでしょう。(初代)貴乃花は、まあ相手として弱かったから、仲良く酒を飲みに行ったりしていたんだよ」

 輪島さんが、角界を去らざるを得なかったのが、親族の経営する料亭の借金のために年寄株を担保に入れていた事件だった。協会から厳しい処分が下されたが、その件も豪快にこう笑い飛ばした。

「俺、ずっと相撲が強くてごっつあんですってやってきたでしょう。本を読むのも嫌いだが、数字の計算はもっと嫌なんだよ。ごっつあんですで通じて、それでやってきたのが気が付けば、自分の借金にされちゃったんだよ。引退したばかりのときは、また懸賞金ががっぽり入るって感じでやってたからな。現役時代は懸賞金が担保だって、一晩で500万円とか散財していたよ。そこで、払うために金を借りた。年寄株を担保にって言われて、いれたんだ。最初、担保って言葉もよく知らなかった。後で聞いて、ちょっとまずいなと思っていたんだよ。それが、本当にまずくなっちゃった。高い授業料だったよ。わはは」

 だが、そこは天下の横綱、全国各地に後援者がいた。輪島さんの有力後援者だった会社社長によると、輪島さんの引退相撲の時だった。髷に多くの人がハサミを入れて、最後は大銀杏を切り落とす、断髪式。

「各界の有名人が土俵にあがってゆく。すると急にざわつきはじめた。怖そうな若い衆が続々とまわりを囲み、なんだろうと思った。土俵にあがっていたのは、任侠の世界で有名な親分。各界で立場ある人がくる中でいくら時代が違うとはいえ、よく親分を断髪式に呼んだよな。輪島さんの人柄だから、みんないいじゃないって大目にみていた感じでしたね」

 輪島さんは日本大学時代、田中英寿・日大理事長の1つ後輩だった。

「自分はプロに行きます、先輩はアマチュアで頑張ってください」という言葉は有名だ。輪島はかつて筆者に田中理事長について次のように語っていた。

「相撲をクビになって、プロレスに行って、そこからも引退。テレビなどでメシを食っていたが、うまくいかなかった時、田中先輩が助けてくれた。キューバの相撲の監督だとかを紹介してくれたり、助かった。田中先輩は『もし自分もプロに入ったら輪島より強かった。あいつは横綱になれなかった』とネタにしているようだが、絶対に俺の方が強かったよ。そこだけは、今も田中先輩には譲れないぞ」

 こう話すと立ち上がり、相撲の立ち合いの恰好をし、おどけていた輪島さん。

 先の後援者によれば、角界を離れても相撲への情熱はかわらず、最近でも、テレビで相撲中継は欠かさず、チェックしていたという。

「咽頭がんで声を失うまでは電話でよく白鵬の取り口だとかをよく解説してくれました。相撲への熱い想いを感じました」

 合掌。(今西憲之)
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