のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

知ってましたか?

2008年12月13日 13時58分12秒 | Weblog
日本は昔、「倭の国」と呼ばれてました。しかし、現代人の我々は、

倭国をもって、自国名とは思ってません。

何時から倭国が日本国になったのでしょうね。ずっと疑問でした。

しかし、この度、疑問氷解! 謎が解けました。

何とね、遣唐使の働きで名前の変更が認められたようですよ。

知ってました~?

粟田真人(あわたのまひと)という遣唐使がおりましてね、

その人のお蔭らしいですね、どうも。

遣唐使が派遣された当時、中国では則天武后が皇帝をしておりました。

則天武后が残虐なのは知ってましたけど、性豪でもあったのですね。

旦那の高宗が56歳で死去したとき、

それまで被っていた貞節な妻という仮面をかなぐり投げ捨て、

本性をさらけ出しました。

例えばですね…

男ハーレムを作って、好みの男性を囲い込みました。

上に述べた粟田真人も囲い込まれた一人です。

巨根の持主であったのでしょうね、彼を見た則天武后は、

「あら、『倭』というけど、みみっちくないじゃない。

分かったわ。これからは、あなたの希望を入れて、

これからは『日本』でいいわよ」と言ったとか言わなかったとか。。。

とにかく、この出会いが縁で、倭国が日本国になったとのことです。

遣唐使は、文化使節とばかり思ってましたが、

実態は、必ずしもそうではなかったようです。則天武后一点狙いの

「男」という貢物、性愛玩具だった節があるらしいのです。

中国に残された漢詩に「日本使節」という言葉が出てきます。

それは、今で言うところの“イケメン”を指す用語だそうです。

要するに、頭の中は、空っぽでいいんです。

「大和朝廷、平安王朝も、とにかく美男子を選んで、中国に差し出していた」と、

井上章一さん(国際日本文化研究センター教授)という方がおっしゃってます。


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2 コメント

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イケメンね~ (mu-mamu)
2008-12-13 23:00:51
初めて知りました。面白いお話ですね。
遣唐使というと優秀な人材が選出派遣と思ってました。

イケメンとは、恐れ入りました。平安時代、光源氏のような
良い男が.....。。。。
うーん、羨ましい(^_-)~☆ ☆
(うちにもいました、イケメン武蔵が・(≧◯≦)・)
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今でも (忠太)
2008-12-14 13:08:55
外交使節は、イケメンに限るという考え方があるようですね。「日本からくる外交使節って、男前じゃないし、テーブルスピーチのときも、ポケットから作文を出してきて棒読みするだけ。あれでは日本の国益になってないんじゃないか」と。外交官の仕事は、パーティで相手国の人たちをうっとりさせることなので、ブラジル人から不思議がられたそうです。本文で紹介した井上さんがそう報告なさってました。
僕にはよく分かりませんが、中曽根弘文外務大臣は、その点、評判がいいようです。これは、鹿島さんのお言葉。
しかし、カッコいいのが一人というのは、問題ですね。チアーとか、イケメン武蔵君に頑張ってもらいたいところです。
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