まつたけ山復活させ隊運動ニュース

マツタケの発生は里山復活の王道であり里山を再生することはマツタケの復活に繋がる.再生アカマツ林から日本で初めての快挙!

マツタケは林地栽培できる その2

2018年12月30日 |  マツタケの林地栽培 

今年も、いろんな方々に応援をいただき、すべての活動を無事終えました.感謝申し上げます!
 まつたけ山復活させ隊活動参加者の皆さん! 当ブログに付き合って下すった皆さん! 来る年も 元気でやりましょう.

 では、表題のことに戻ります.
 前編では、マツタケの分類学的位置づけを簡単にのべ、その寄主植物を、ついでマツタケの産地、やはりこのきのこの香を好むのは日本人などを紹介.本題として、人が豊かな生物の住まい・里山をつくり出し、そこにマツタケも生活をしていたことを書いています.今日はこの続き2回目です.計3回シリーズとなります.

マツタケとアカマツは相利共生
 日本では、まつ-たけと言うように松林に生えるきのこと考えている.英語圏では,日本語訳以外の何ものでも無く、Matsutake Fungi(or Mushroom)、Pine Mushroomと表現.
 マツタケはチッ素やリンというミネラル分をホスト植物に与え、糖類をホスト樹種からもらうなど相利共生関係を維持する.また、土壌病原菌からホスト根と自分を守る.感染するとホストの成長が良い.アカマツとマツタケは良いパートナーシップを築けるが、アカマツをホストとする菌根菌はマツタケモドキ、シメジ類、テングタケの仲間、イグチ類、クロカワなどいろいろある(200種以上というデータもある).
 マツタケは、アカマツなど寄主になる植物がなければ、その生活は成り立たない(子実体が出来ない).一方、アカマツはマツタケがなくとも生活できる(マツタケの代わり(上述きのこ)を準備).両者は、絶対的相利関係を築くまでに至っていない.どちらかといえば寄生的関係も保持している.

アカマツ林の登場とマツタケ
 花粉分析によると、日本にマツ属の花粉が急増した時期は、500年頃と考えられている(長野県野尻湖、大阪府羽曳野市).奈良時代になると、原生林の活用が激しくなり、はげ山が誕生、アカマツ林が内陸の山の尾根筋に侵入・定着したのである.奈良県高圓山にマツタケが発生し、まつたけ狩りの様子が万葉集にうかがえる.
 平安時代には、人口の増加とともに相変わらず寺院や住居、道具のための材や毎日の薪炭・柴や肥料としての刈敷や落ち葉などの需要も飛躍的に増えた.そのために、平安京周辺の林が破壊され、アカマツが都周辺にも登場し(7世紀頃)、マツタケも増えてきた(905年 古今和歌集 マツタケ狩りの歌が見られる).しかし、平安京周辺の山には林が無くなり、亀岡や周山から材など物資を持ち込んでいる.都は相当な物資不足であったらしい.
 鎌倉時代~室町時代になると、公家達も入浴がこの上ない贅沢と記している.しかし、全国的にもアカマツ林が増え、天皇や公家、高級僧侶がマツタケ狩りを楽しみ、盛んに贈答しあっている(三条実房 愚昧記).
 徒然草(吉田兼好、1330年頃)に、「きじ、松茸などは御湯殿の上にかかりたるもくるしからず、その外は心うきことなり」とあって、鯉とともに雉、松茸は高級食材であるとうかがえる.松茸狩りは、季節の移ろいを味わうという、大切で外すことが出来ない行事となった.定家が内裏に参内すると天皇は松茸狩りに出掛け、帰りは遅いとのことと日記に記している(藤原定家 明月記).関白近衛政家公は、「1467年9月28日宇治に行って椎の実を拾わせてまつたけをとったが、大層面白かった.一献かたむけて夕方帰参した」とある.応仁の乱の最中である.10月11日にも紅葉狩りに出かけて「余以外みな泥酔.正体も無く前後覚えなし」とある(後法興院日記).秀吉も伏見の稲荷山でまつたけ狩りを大いに楽しんでいる(翁草).
 江戸時代にも、“下﨟の口にはかなわない”しろものであったが、京都の錦小路や大阪天満にまつたけの市がたち、金持商人が買っていたようである(本朝文鑑、支考編).与謝蕪村に言わせると “松茸や食ふにもおしい遣るもおし”いものであったようだ.元禄の頃には、嵯峨産が良いとか北山産がいいとかブランド化している.
 明治以後の治山治水工事によって、はげ山がアカマツ林化し (千葉徳爾;はげ山の研究)、1930年代にその面積は極大となり、生産量が増えてくる.その頃、マツタケが「蹴飛ばすほど生えた」とか言われたが、1941年(昭和16年)の12,222tの生産量を最高に、戦中、戦後の木材伐採圧力増で減少し始め、1960年頃からその生産量が大きく減少している.直近の10年間の年平均生産量(2008-2017:52.5t)は、1930年代(7582t/年)の0.7%である.2015年、京都市場で30万円/Kgの値が付いた.いま、外国産も減っていて、輸入量は787tであるが、安価に売られている(2017).

全国的なアカマツ林の質の劣化
 全国のアカマツ林も、1950年代までは、適当な人の活用(人為的撹乱)が続き元気だった.今、林は放置され、広葉樹が鬱蒼と繁り、アカマツはそのような樹種との競争に喘ぎ、被圧されている.しかも、マツノザイセンチュウ病に見事にやられている.その被害は,太平洋側では岩手県中部まで、日本海側では青森県まで進んでいる.里山のもう一つの代表樹種・ナラ枯れも似たようなことだ.その結果、里山の景観は元の姿をとどめず無残である.
 現在のマツタケ生産日本一は長野県であるが、気候変動がこのまま続けば、長野県の産地は更に標高の高いところ(1,300m以上)に追いやられる.すると、岩手県にその主産地が移る可能性がある.更に温暖化が進めば、北海道のアカエゾマツやトドマツなどをホストとするマツタケが主となるのではないか.
 気候変動をストップできないと、中国雲南省と四川省の高地や吉林省、黒竜江省、朝鮮半島北部、スウェーデン、フィンランド、ノルウェイなどでないとマツタケにお目にかかることができなくなるかもしれない.

メタボアカマツ林では菌根性キノコは生活しない
 アカマツ林は遷移林(2次林)であり、人の手が入らず放置されると、その土地のクライマックス林にとって代わられる運命にある.簡単に言うと、西日本では照葉樹林に、東北地域ではブナ林やミズナラ林(夏緑樹林)に必ず遷移することを意味する.岩場や尾根の痩地には残るだろうが、残ったアカマツは、病原性線虫を運ぶマツノマダラカミキリの標的だろうから、それも安心はできない.
 放置されたアカマツ林内は、今まで活用していた広葉樹が残り、増加して、地表に落葉落枝が堆積し腐植層が厚くなる.その結果、アカマツ林土壌はメタボ化(富栄養化)する.
 このようなアカマツ林土壌には、乾燥した貧栄養土壌とは異なる微生物も多くなり、微生物との競争に弱いマツタケは生活しにくい.もちろん、他の菌根性のキノコの発生も少なくなるし、そこに生活するキノコの種が交代する.腐植が堆積し過ぎると、アカマツの細根がそこに伸長・上昇し、マツタケの生活空間である土壌中に細根が少なくなる.マツタケは褐色森林土壌(鉱物質層:深さ30cmくらいまで)に生活するキノコであり、腐植層では生活できない.マツタケの胞子は、雨水によって下へ移動する.落ち葉を通り抜け、腐植層にいたる.ここで問題が起こる.腐植はマツタケの胞子を掴んで離さないため、鉱物質土壌への胞子のさらなる移動が妨げられる.その上、富栄養化土壌では、ミネラルなど栄養吸収を助けるパートナー・マツタケは、アカマツにとって不要となり、アカマツの感染拒否にあう.腐植層があれば新たなシロができにくいのはこのためである.

人がマツタケの発生を減らした
 1960年代のマツタケ生産量激減の原因は、エネルギー源の変化による里山林放棄によるものである.高度経済成長で私達の生活が近代化し、農業の変化と丸太の完全自由化などによって林業が衰退したことも大きい.里山が宅地やゴルフ場に転用されたり、アカマツをパルプ材として伐採することはマツタケ生息地の減少となった.
 手入れ不足のアカマツ林の変質・劣化は,マツタケに決定的なダメージを与えている.また、現在、高齢アカマツ林にはマツタケは生活しないため、手入れをしても生産量回復が望めない林となってきている.
 昔、人は、材木や炭の材を得るために、また、毎日の煮焚き物用の薪や柴をあるいは水田に鋤き込む緑肥を採取するために、林を活用した.これによって山を健全に維持し続けた.すなわち、植物の茂りすぎを押さえ、土壌の富栄養化(メタボ化)を防いできた.
 里山を放置しておよそ60年になるが、最近、樹木の生長を助ける様々なキノコの発生量が減っている.山を活用しなくなったために、植物が茂りすぎ地表に落葉・落枝が大量に堆積し厚い腐植層を形成した.それらが分解を受け養分として土に還ったのである.マツタケの生活に不向きな、昔と異なる森林土壌となったことを理解せねばならない.こうなると、菌根性きのこは生活できないのである.
 また、富栄養化したアカマツ林土壌には、糸状菌、細菌、放線菌やそれらをエサとするセンチュウなどの微生物数がマツタケの発生するアカマツ林土壌のそれと比べると非常に多くなっている.これらのことは微生物との競争に弱いマツタケにとって致命的なことである.それのみならず、菌根性キノコと“共生する“「ヘルパーバクテリア」あるいは「ヘルパー菌根菌」が減少する.
 里山の放棄は里山という環境に適応していた多様な生物を追い出している.樹木と共生するキノコの発生減で、最近の森林は疲弊し公益的森林機能も不充分である.アカマツ林に続いてナラ林が、まず、菌根性キノコの生えない林となり、カシナガキクイムシの運ぶナラ菌によって枯死する.
 これらは、自然の警鐘と受けとめるべきだろう.この警鐘を軽視したりおろそかにすると、人類は自然から手痛い反撃を食らうことになりはせぬか.
生き物にとって、山に緑があれば良いと言うものではない、緑の質が問われるのである.

でも展望はあるのではないか!
 多くの林家がまつたけ栽培に意欲を持たないことがアカマツ林若返りのネックとなっている.しかし、岡山県は、備前焼産業がアカマツの薪を必要としたためにか県の努力のためにか、若いアカマツ林が多く、広島と比べるとマツタケ産業に勢いが見られる.2018年の生産量を3tと予想していた.
 広島県、岡山県、鳥取県や兵庫県など中国地域やまつたけ山復活させ隊BCや京都府南部、和歌山県高野町、岐阜県、石川県珠洲市などは、いずれもアカマツ枯損が激しい地域だが、アカマツ林に手を入れることによって枯損をまぬかれた美林がある.これはマツタケ林地栽培にとって大きな教訓である.  続く
 

 

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