社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社民党 京都府連合 幹事長・政策審議会長(近畿ブロック協議会副議長) 野崎靖仁、49歳。
日々の思いを綴ります。
 



中田考『みんなちがって、みんなダメ』(KKベストセラーズ)を読む。



タイトルは金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」、
表紙はマンガ版『君たちはどう生きるか』のパロディです。

もっとも、「みんなちがって、みんなダメ」はハサン先生のオリジナルではなく、
「大司教」なる人物の「障碍者、みんなちがって、みんなダメ」が元ネタです。

この動画の4分くらいのところから、その話が出ています。

障碍者みんなちがってみんなだめ


この本はハサン先生へのインタビューを再構成したもの。
最後の第5章は、田中真知さんとの対談形式になっています。

ハサン先生の著書はラノベを除いてわかりにくい文章ですが、
語りおろしや対談形式にすると面白くなります。

『君たちはどう生きるか』の「おじさん」の役回りがハサン先生です。

西欧的社会システムを受け入れた我々が自明のものとしている
思考・価値観にイスラームの視点から疑問を投げかけています。

近代的ではない思考から近代を批判する、という点では
呉智英先生に似ています。

ただ、呉智英の「封建主義」は、あくまで批判のためのツールですが、
ハサン先生のイスラームは日常生活を含めたすべての根底です。

評論家・呉智英、「ビッグコミック」50周年メッセージ


この本の面白さは「読んでからのお楽しみ」ですが、
内容を理解するための補助線として、1990年に行われた
ハサン先生と田中真知さんとの対談が参考になります。

<「リアル・イスラーム『近代』を破す原理主義」>
(阿願宗総本山出版局、『月刊アガーマ』、No.120, Ù91年5月号)
http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2391709/rcthcs.doshisha.ac.jp/~knakata/newpage4.html

この対談の「はじめに」で田中真知さんはこう述べています。

そう感じたのは、個人的な話になるが、
この夏、人智学系の知人たちに会うためにドイツを訪れたときのことだった。
そこでは何かアイデンティティーの確立への脅迫めいた衝動が渦巻いていた。
インディヴィジュアリテート(個性)に向けてのたえざる自己啓発、
隠れた才能の探求、自己実現への努力等々。けれども印象的だったのは、
逆にそのような個性化への重圧に疲れ、苦しみ、
なかには神経症に陥る人も少なくないという事実だった。

(中略)

たとえば、女性に個性を生かした活躍の場がひらかれているというと、
一見聞こえはよいけれど、逆にいえば個性がその女性の評価の基準になるわけで、
個性を発揮できない女性にとっては苦痛になるケースも出てくる。
もちろん個性の発現というのが、
一人ひとりの内的衝動に基づいて起こるのならよいけれど、
ドイツで感じたのは個性化という傾向に
自分を無理にアイデンティファイさせているがゆえの苦しげな歪みのほうだった。
ハサン氏の言い方を借りれば「一匹の羊を救うために他の九十九匹を犠牲にする」
ような空気を感じなかったとはいえない。

(中略)

なにもその女性の個性を評価しないというのではない。
個性は大いにあってかまわない。
重要なことは、個性や能力のあるなしによって
その人間の価値や評価が決まるわけではないということである。
よく、イスラームでは女性は抑圧されている、との言い方がされるが、
むしろたえず個性を発揮していないと存在を許されないような西欧の女性のほうが、
逆に抑圧されている気さえした。現にエジプトやスーダンにかんしていえば、
女性は本当に生き生きしているし、存在感があるし、素直な意味で個性的である。

おそらく西欧的価値観と比べた場合、イスラームを特徴づけることのひとつは、
その人間がムスリムであるという理由だけで
とりあえずは肯定され尊重されるという懐の深さではないか。
何かを考えたから、何かを達成したから、
あるいは何かを創ったからすばらしいという発想は、基本的にイスラームにはない。
すべての価値はアッラーフに帰するからである。
また逆に、そのあたりが西欧のイスラーム・アレルギーの源になってもいるのだろう。

象徴的だと思ったのは、ドイツの人智学の一部の人たちが
イスラームを極端に嫌っているという話だった。
人間の営みに価値を見出さないイスラームは、悪魔の申し子だというわけだ。
しかしイスラームの立場からすれば、人間の営みに価値がないのではなくて、
それが最終的な価値ではないという点こそ重要なのである。


「何かを考えたから、何かを達成したから、
あるいは何かを創ったからすばらしいという発想」は、
『君たちはどう生きるか』の「コペル君」の考え方ですね。

「一匹の羊を救うために他の九十九匹を犠牲にする」という
ハサン先生の発言は、以下のくだりにあります。

スーフィズム(イスラーム神秘主義)にはそうした発想がないわけではありませんけれど、
オーソドックスなイスラームには自己実現という発想はないですね。

自己実現に価値を置ける社会というのは、結局、裕福な社会なんです。
いったい今の世の中で、どれだけの人問に自己実現などということが可能だと思いますか。
欧米や日本のようなごく一部の地域の人たちだけですよ。

その他のほとんどの人たちは生活するだけで精一杯で、
自分のくだらぬ悩みなどに浸っている暇なんてありません。

自己実現とは、私にいわせれば
百匹の羊のうち優秀な一匹を救わんがために他の九十九匹を犠牲にしてしまう考え方です。
自己実現に価値を置く以上、自己実現された個性なり能力なりによって人間が評価される。
つまりはエリート主義です。
自己実現という発想は西欧の局所的な状況から生まれた考え方にすぎません。
それを普遍化しようとするのは傲慢という以外にありません。

イスラームのめざす方向は、まったく逆です。
それはよしんば一匹の優秀な羊が犠牲になろうとも、他の九十九匹を救済するものです。
イスラームのすごさは万人のための教えである点です。


『みんなちがって、みんなダメ』では、
積極的にイスラームの内容が示されることはありません。

そこで、もう少しハサン先生の言葉を引用します。

イスラームという教えは、唯一絶対の神アッラーフが
預言者ムハンマドをつうじて人間にもたらした「慈悲」なんです。
全知全能であるアッラーフにしてみれば、この世が存在しようがしまいが、
たかが、一被造物にすぎない人間がどうなろうといっこうにかまわないわけです。
にもかかわらず、こうして万物が存在しているというのは、
ひとえにアッラーフが慈悲をかけてくれたゆえんです。

存在するとは、それだけでアッラーフに慈悲をかけられているということです。
逆にいえば、存在するものは、存在することによって
ひたすらアッラーフを讃美しているのです。
動物にせよ植物にせよ、存在することによってアッラーフを讃美している。
それがイスラームの世界観の基本です。

では人間はどうなるのか。人間もまた万物と同様、
アッラーフの慈悲によって創られた存在ですが、
他の存在とちがうのは自由意志を与えられているという点です。
自由意志というのはアッラーフを信じ・讃美するか否かを選びとれる自由意志です。
いいかえればムスリムになるか否かを自分で選択できる自由意志です。
人間にとって自由意志の存在理由はこれ以外にありません。
そして、そこでムスリムになることを選びとった者は最後の審判の後で天国に行き、
そうでない者は地獄に落ちるわけです。ひじょうに明確でしょう。


また、端的にこう述べています。

人間の存在する意味は、イスラームからすればただ一点しかありません。
つまりアッラーフを讃美することです。それ以外に人間の存在理由はありません。


呉智英先生の著書『バカにつける薬』は
「おもしろクリティーク」として読後に破顔一笑するようにつくられていますが、
ハサン先生の『みんなちがって、みんなダメ』は
逆説に満ちた社会批評の書であり、かなり遠回しなイスラームの入門書です。

まあ、呉智英先生の「封建主義」よりも、ハサン先生のイスラームの方が
批判の道具だけではなくオルタナティブな思想として有効なのですが。

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