3/29(土)、北九州市と福岡市のほぼ中間に位置する宮若市を巡ってきました。
宮若市は平成18年2月11日、旧鞍手郡宮田町と若宮町が合併して誕生しました。かつては炭鉱で栄えましたが、現在はトヨタが進出するなど自動車産業またIC産業など近代産業の誘致が進んでいます。
桜も期待していたのですが、各社境内の桜はまだ大分早く、つぼみから3分咲き程度でした、見頃は来週位でしょうか。
最初は九州自動車道「若宮IC」(高速道路の標識は「若宮宮若」となっています、なんだかややこしいですね)近くの「山口八幡宮」です。
山口八幡宮(やまぐちはちまんぐう)
【鎮座地】〒822-0153 福岡県宮若市山口1723 旧筑前国 鞍手郡
【御祭神】應神天皇 神功皇后 武内宿禰
【例祭】10月7日 例大祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
山口八幡宮 由緒
鎮座地 福岡県鞍手郡若宮町大字山口一七二三
御祭神 主祭神 應神天皇
相 殿 神功皇后 武内宿弥
明治五年十一月三日村社に被定
社説に曰く昔、神功皇后此の村を行幸ましましける折柄此処にて休ませ給う。
夫より見坂越に赴き給ひ遙かに海原をながめさせ給う。
その後延喜二年(西暦九〇二年))九月九日始めて小方隼人と言える者、皇后の行幸の例に任せ八幡宮を建立す。今の宮所これなり。
昭和七年九月九日鎮座一〇〇〇年祭を執行す。詳細なるは宗像神社の末社記にあり。又筑前早鑑及び筑前国続風土記拾遺付録に見えたり。年中数度の祭事あり。
宝永三年丙戊年(西暦一七〇六年))四月二十八日神殿造営の棟札あり。時の神主小方左右ヱ門藤原光次代なり。
その頃より、神幸、湯立神楽等ありて三十三人の宮座祭あり。今日迄、例祭日に執行す。三座共に本膳一式の神饌を供する例なり。
昔より若八幡宮と申しけるを正徳二年(西暦一七一二年)大宮司小方左右ヱ門藤原光次の代、鳥井神名額に八幡宮と記したるに付き、其後村人は山口八幡宮と申し奉る。
当村を山口郷又は奥宗像とも申し奥宗像郷の産神にして大社なり。幸福厄除の神として御神徳顕著なり。
主祭日
一月 一日 元旦祭 十月 七日 例祭
二月 11日 紀元祭 十一月 十五日 七五三祭
四月 上旬 春祭 十一月二十三日 新穀感謝祭
七月 上旬 夏祭 十二月三十一日 大祓式
七月三十一日 大祓式 十二月三十一日 除夜祭
山口八幡宮奉賛会
(社頭由緒掲示板より、*原文のまま)
九州自動車道「若宮」ICから県道30号線を山口川沿いに西に(福岡方面)1.5km進むと左手に一対の大きな燈篭が見えます。そこから橋を渡り、九州自動車道の下をくぐって数百mの道路沿いに大鳥居があります。すぐ前に「里公民館」です。
二の鳥居
昭和3年の一の鳥居に続いて、昭和9年正月建立の二の鳥居です。
手前に正徳二年(1712)の鳥居の下の部分が残っています。
由緒に「正徳二年(西暦一七一二年)大宮司小方左右ヱ門藤原光次の代、鳥井神名額に八幡宮と記したるに付き、其後村人は山口八幡宮と申し奉る。」とありますので、この鳥居と思われます、傍には「八幡宮」の扁額もありました。
綺麗に整備された石段を上ると、三の鳥居
昭和11年8月奉納の境内入口の鳥居、鳥居をくぐりさらに石段を進むと、右に小さな手水舎、正面に数mで拝殿です。
拝殿と扁額
真っ暗な拝殿内を高感度で撮影、「敵國降伏」とあり、「筥崎宮」と同じです。
本殿
当社も神功皇后がお立ち寄りになられたゆかりの社です。延喜二年(西暦九〇二年))の創建と伝えられています。
社殿全景
拝殿内部はかなり広く、右側の軒下に「神楽殿」の額が架かっています。
社殿右にある境内社「五良七神社」
福岡縣神社誌にも記載がなく祭神等不明です。
境内右側の鳥居
境内右側にも細い参道があります。鳥居には明治廿?年5月とあります。
境内から参道
社叢全景社域の杜は典型的な神奈備を形成しています。
宮若市は平成18年2月11日、旧鞍手郡宮田町と若宮町が合併して誕生しました。かつては炭鉱で栄えましたが、現在はトヨタが進出するなど自動車産業またIC産業など近代産業の誘致が進んでいます。
桜も期待していたのですが、各社境内の桜はまだ大分早く、つぼみから3分咲き程度でした、見頃は来週位でしょうか。
最初は九州自動車道「若宮IC」(高速道路の標識は「若宮宮若」となっています、なんだかややこしいですね)近くの「山口八幡宮」です。
山口八幡宮(やまぐちはちまんぐう)
【鎮座地】〒822-0153 福岡県宮若市山口1723 旧筑前国 鞍手郡
【御祭神】應神天皇 神功皇后 武内宿禰
【例祭】10月7日 例大祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
山口八幡宮 由緒
鎮座地 福岡県鞍手郡若宮町大字山口一七二三
御祭神 主祭神 應神天皇
相 殿 神功皇后 武内宿弥
明治五年十一月三日村社に被定
社説に曰く昔、神功皇后此の村を行幸ましましける折柄此処にて休ませ給う。
夫より見坂越に赴き給ひ遙かに海原をながめさせ給う。
その後延喜二年(西暦九〇二年))九月九日始めて小方隼人と言える者、皇后の行幸の例に任せ八幡宮を建立す。今の宮所これなり。
昭和七年九月九日鎮座一〇〇〇年祭を執行す。詳細なるは宗像神社の末社記にあり。又筑前早鑑及び筑前国続風土記拾遺付録に見えたり。年中数度の祭事あり。
宝永三年丙戊年(西暦一七〇六年))四月二十八日神殿造営の棟札あり。時の神主小方左右ヱ門藤原光次代なり。
その頃より、神幸、湯立神楽等ありて三十三人の宮座祭あり。今日迄、例祭日に執行す。三座共に本膳一式の神饌を供する例なり。
昔より若八幡宮と申しけるを正徳二年(西暦一七一二年)大宮司小方左右ヱ門藤原光次の代、鳥井神名額に八幡宮と記したるに付き、其後村人は山口八幡宮と申し奉る。
当村を山口郷又は奥宗像とも申し奥宗像郷の産神にして大社なり。幸福厄除の神として御神徳顕著なり。
主祭日
一月 一日 元旦祭 十月 七日 例祭
二月 11日 紀元祭 十一月 十五日 七五三祭
四月 上旬 春祭 十一月二十三日 新穀感謝祭
七月 上旬 夏祭 十二月三十一日 大祓式
七月三十一日 大祓式 十二月三十一日 除夜祭
山口八幡宮奉賛会
(社頭由緒掲示板より、*原文のまま)
九州自動車道「若宮」ICから県道30号線を山口川沿いに西に(福岡方面)1.5km進むと左手に一対の大きな燈篭が見えます。そこから橋を渡り、九州自動車道の下をくぐって数百mの道路沿いに大鳥居があります。すぐ前に「里公民館」です。
二の鳥居
昭和3年の一の鳥居に続いて、昭和9年正月建立の二の鳥居です。
手前に正徳二年(1712)の鳥居の下の部分が残っています。
由緒に「正徳二年(西暦一七一二年)大宮司小方左右ヱ門藤原光次の代、鳥井神名額に八幡宮と記したるに付き、其後村人は山口八幡宮と申し奉る。」とありますので、この鳥居と思われます、傍には「八幡宮」の扁額もありました。
綺麗に整備された石段を上ると、三の鳥居
昭和11年8月奉納の境内入口の鳥居、鳥居をくぐりさらに石段を進むと、右に小さな手水舎、正面に数mで拝殿です。
拝殿と扁額
真っ暗な拝殿内を高感度で撮影、「敵國降伏」とあり、「筥崎宮」と同じです。
本殿
当社も神功皇后がお立ち寄りになられたゆかりの社です。延喜二年(西暦九〇二年))の創建と伝えられています。
社殿全景
拝殿内部はかなり広く、右側の軒下に「神楽殿」の額が架かっています。
社殿右にある境内社「五良七神社」
福岡縣神社誌にも記載がなく祭神等不明です。
境内右側の鳥居
境内右側にも細い参道があります。鳥居には明治廿?年5月とあります。
境内から参道
社叢全景社域の杜は典型的な神奈備を形成しています。
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