赤坂八幡宮(福岡県福智町)を掲載しました。
赤坂八幡宮(あかさかはちまんぐう)
【鎮座地】〒822-1211 福岡県田川郡福智町伊方字宮ノ脇4485-1 旧豊前国 田川郡
【御祭神】應神天皇 (配祀)仲哀天皇 神功皇后
【例祭】9月19日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
赤坂八幡社 由来
誉田別尊(ホンダワケノミコト)
祭神 足仲彦尊(タラシナカツヒコノミコト)
息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
由緒
当社は仁和三年(西暦887年)肝等庄(カトノショウ)(伊方の旧称)の荘司(荘園の役人)が八月放生会の日に袈沙丸という幼児を伴って宇佐八幡宮に参詣いたおり袈沙丸に八幡宮の神の神託(おつげ)があった。
その託宣には昔隼人征伐のおり国司よりの従軍の要請により人々此に応じて従軍した。此の中には多くの戦死者もあった。大神 神慮(ミココロ)を痛められこれを哀しまれて此の伊方の守護神となられることを望まれた。
此の神託に荘司いたくその神恩に感謝申しあげて神祠を赤坂山に造営して宇佐八幡宮の神を勧請し崇め奉った。
このような神縁によって伊方荘の人々は例年宇佐八幡宮の神役に加わっていた事など宇佐宮造営日記に記録されている。
(境内入口の案内板より)
福岡県中央部に位置する筑豊の福智山の麓に広がる福智町伊方(旧方城町)にあります。
社号碑と参道の鳥居
社号碑は昭和6年1月建立、当時の松本学福岡県知事の揮毫によるものです。
参道の鳥居
参道から拝殿
石段の参道の両脇のつつじが満開でした。
猿田彦大神
参道の左手にあります。
拝殿 本殿
石段の参道を上ると正面一段上にきれいに整備された社殿。
仁和三年(西暦887年)、宇佐八幡宮を勧請して創建されました。
社殿全景
拝殿から本殿まで一体になっています。まわりは瑞垣で囲まれています。
境内から参道
赤坂八幡宮(あかさかはちまんぐう)
【鎮座地】〒822-1211 福岡県田川郡福智町伊方字宮ノ脇4485-1 旧豊前国 田川郡
【御祭神】應神天皇 (配祀)仲哀天皇 神功皇后
【例祭】9月19日 例祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
赤坂八幡社 由来
誉田別尊(ホンダワケノミコト)
祭神 足仲彦尊(タラシナカツヒコノミコト)
息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
由緒
当社は仁和三年(西暦887年)肝等庄(カトノショウ)(伊方の旧称)の荘司(荘園の役人)が八月放生会の日に袈沙丸という幼児を伴って宇佐八幡宮に参詣いたおり袈沙丸に八幡宮の神の神託(おつげ)があった。
その託宣には昔隼人征伐のおり国司よりの従軍の要請により人々此に応じて従軍した。此の中には多くの戦死者もあった。大神 神慮(ミココロ)を痛められこれを哀しまれて此の伊方の守護神となられることを望まれた。
此の神託に荘司いたくその神恩に感謝申しあげて神祠を赤坂山に造営して宇佐八幡宮の神を勧請し崇め奉った。
このような神縁によって伊方荘の人々は例年宇佐八幡宮の神役に加わっていた事など宇佐宮造営日記に記録されている。
(境内入口の案内板より)
福岡県中央部に位置する筑豊の福智山の麓に広がる福智町伊方(旧方城町)にあります。
社号碑と参道の鳥居
社号碑は昭和6年1月建立、当時の松本学福岡県知事の揮毫によるものです。
参道の鳥居
参道から拝殿
石段の参道の両脇のつつじが満開でした。
猿田彦大神
参道の左手にあります。
拝殿 本殿
石段の参道を上ると正面一段上にきれいに整備された社殿。
仁和三年(西暦887年)、宇佐八幡宮を勧請して創建されました。
社殿全景
拝殿から本殿まで一体になっています。まわりは瑞垣で囲まれています。
境内から参道
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