波折神社(福岡県福津市)をフォトギャラリー(福岡)に掲載しました。
当社は平成17年1月24日、福間町と津屋崎町が合併し誕生した「福津市(ふくつし)」の玄界灘に面した津屋崎地区の中心部に鎮座されています。
社号の由来は
その昔、漁師3人が沖合で釣りをしている時海が荒れ、神様に祈ると三神が現れ、その助けによって、「荒波を折って」やっと鼓島に漂着し助かったことから波折神社というようになったとのことです
境内案内板に
「祭神"瀬織津大神、住吉大神、志賀大神の三座、縁起によれば神功皇后の新羅を遠征せられ凱陣し給いし時に、三神当浦渡村鼓島に現われ給いしにより皇后この浦の岡分河原崎の宮之木という地宇に神垣を造りて斎祀せらる。
昔この浦の漁夫三人沖に出て釣せしが大風荒波に遭い雷鳴さえも加わり海大いに振動す故に漁夫諸共にこの三神に救いを祈りし処、忽ち御姿を現し給い隆起する波穂の上に立ち給いて雲の如き波頭を御袖を上げて打ち払い給うと見えしが逆巻く荒波は見る間に治まりて遥かの沖に過ぎ、暫時海上静かとなりし故荒波を折って辛うじて船は鼓島に漂着、風待ちすること三日飢え迫りし折柄再び先の三神現われ給い飲食を与え給う。これを食すと覚えしが、忽ち人ここちつき力の限り波涛を凌ぎてこの浦に漕ぎ着けたり、初の三神の舟上に現れ給し跡に三個の石あり捧持して帰り御神体として祭れり、これより波折大神と称し奉る。
かくていにしえ彼の河原崎の宮之木に祭られれしより時移り八十四代順徳天皇の承久三年(1221)此処に移し給う。」
境内には本殿の周りに多数の境内末社が鎮座されています。
境内末社:蛭子社・鷺大明神社・稲荷明神社・荒神社・須賀神社・六之神社・天満宮・皇大神宮・秋葉明神社・大海積神社
当社は平成17年1月24日、福間町と津屋崎町が合併し誕生した「福津市(ふくつし)」の玄界灘に面した津屋崎地区の中心部に鎮座されています。
社号の由来は
その昔、漁師3人が沖合で釣りをしている時海が荒れ、神様に祈ると三神が現れ、その助けによって、「荒波を折って」やっと鼓島に漂着し助かったことから波折神社というようになったとのことです
境内案内板に
「祭神"瀬織津大神、住吉大神、志賀大神の三座、縁起によれば神功皇后の新羅を遠征せられ凱陣し給いし時に、三神当浦渡村鼓島に現われ給いしにより皇后この浦の岡分河原崎の宮之木という地宇に神垣を造りて斎祀せらる。
昔この浦の漁夫三人沖に出て釣せしが大風荒波に遭い雷鳴さえも加わり海大いに振動す故に漁夫諸共にこの三神に救いを祈りし処、忽ち御姿を現し給い隆起する波穂の上に立ち給いて雲の如き波頭を御袖を上げて打ち払い給うと見えしが逆巻く荒波は見る間に治まりて遥かの沖に過ぎ、暫時海上静かとなりし故荒波を折って辛うじて船は鼓島に漂着、風待ちすること三日飢え迫りし折柄再び先の三神現われ給い飲食を与え給う。これを食すと覚えしが、忽ち人ここちつき力の限り波涛を凌ぎてこの浦に漕ぎ着けたり、初の三神の舟上に現れ給し跡に三個の石あり捧持して帰り御神体として祭れり、これより波折大神と称し奉る。
かくていにしえ彼の河原崎の宮之木に祭られれしより時移り八十四代順徳天皇の承久三年(1221)此処に移し給う。」
境内には本殿の周りに多数の境内末社が鎮座されています。
境内末社:蛭子社・鷺大明神社・稲荷明神社・荒神社・須賀神社・六之神社・天満宮・皇大神宮・秋葉明神社・大海積神社
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