鵜戸神宮(宮崎県日南市)を掲載しました。
鵜戸神宮(うどじんぐう)
【鎮座地】〒887-0101 宮崎県日南市大字宮浦3232 旧日向国 那珂郡
【御祭神】日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊
(配祀)大日孁貴尊 天忍穗耳尊 彦火瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 神日本磐余彦尊
【例祭】 2月1日 例大祭
【旧社格等】官幣大社 (現別表神社)
【御由緒】
当神宮は、「鵜戸さん」と愛称され、国定公園日南海岸の風光明媚な所、日南市鵜戸山の日向灘に面した、自然の神秘な洞窟の内に、朱塗の色あざやかにご鎮座されている。
この洞窟は、主祭神の産殿の址と伝えられる霊地で、およそ千平方メートル(約三百坪)ほどの広さがある。強烈な太陽のもと、おりなす奇岩怪礁、紺碧の海、波状岩に砕ける白波と、自然の景勝につつまれたロードパーク日南海岸の中心地に当神宮はお鎮まりになっている。
当神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧、光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」
と賜った。また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、一時は「西の高野」とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して鵜戸神社となり、後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。
明治を一二〇余年経過した今日、全国津々浦々から、日本民族の祖神誕生の聖地を訪れる参拝者は、四時絶えることなくつづいている。
現在のご社殿は、建造以来二百五十八年を経た昭和四十三年七月修改築を終え、本殿(八棟造)、末社の総てが色彩も鮮やかに復元された。
御祭神の母君の豊玉姫命が御子の育児のため、両乳房をご神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産・育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。
かって当地方には、新婚夫婦が「シャンシャン馬」に乗って鵜戸詣りをする風習があった。いまではこのゆかしい慣わしはなくなてしまったが、車で訪れる現代の新婚旅行の参拝者も数多くある。新婚旅行のメッカといわれるゆえんである。
このほか、念流、陰流の剣法発祥の地として、また漁業、航海の守護神としての信仰は愈々篤く、今後とも神秘な霊気によって人々の魂を高めて行くであろう。
また、神域の最高地、速日峰の頂に主祭神を葬める吾平山上陵(宮内庁御陵墓参考地)がある。
(平成祭データ)
宮崎県日南市にあります。宮崎市から国道220号線を国定公園日南海岸の景観を楽しみながらおよそ40km南下、風光明媚な鵜戸崎と呼ばれる岬に鎮座しています。
境内入口の鳥居大鳥居から鵜戸港を経由して海岸沿いの狭い道路を進むとおよそ1kmで到着です。
神門鳥居をくぐり土産物屋を通り抜けると朱の鮮やかな神門です。
神門から楼門神門を入ると左に社務所、大きな儀式殿が並んでいます。
楼門
稲荷神社と吾平山上陵への入口楼門を入って直ぐ左にあります。
吾平山上陵(あひらのやまのうへのみささぎ)への入口
此処から約350m、神域の最高地速日峰の山頂にあります。鵜戸陵墓参考地として宮内庁の管轄になっています。残念ながら、土砂崩れのため立入禁止となっていました。
神橋・玉橋から本殿のある洞窟
この先は御神域、霊場になるのでかつては履物を脱いで裸足で参拝していました。
本殿前の奇岩
楼門を過ぎると千鳥橋から本殿までの参道下の海岸には夫婦岩、雀岩、扇岩など日向灘の荒波に浸食された奇岩が続いています。
本殿への階段
洞窟入口の鳥居
本殿の鎮座する大洞窟はおよそ1000平米(約300坪)あり、主祭神鸕鷀草葺不合尊の産殿の址と伝えられています。
本殿
県指定史跡 鵜戸神宮本殿 宮崎県教育委員会 平成7年3月23日指定
鵜夕神宮本殿は、鵜戸崎の日向灘に面した岩窟内に建てられている。
本殿創建の年代は不詳であるが、社伝によると崇神大皇の代に創建し、桓武天皇の勅命により、丸喜坊快久が神殿及び仁王護国寺を再興した、と伝えている。中世には、「鵜戸六所大権軋」、江戸時代以降は「鵜戸山大権現」として、日向国内外から厚い信仰を得ていた。
現在の本殿は、正徳元年(1711)に飫肥藩五代藩主伊東祐実が改築したものを明治23年(1890)に大修理を行い、さらに昭和42年(1967)に修理したものである。平成9年度(1997)には屋根や内装等の修理が行われた。このように幾度の改修を実施したものの、岩窟内に見事に収めた権現造風の八棟造は、往時のままであり、その丈化的価値は高い。
説明板管理者/日南市教育委員会
(現地案内板より)
境内社、皇子神社本殿左に並んであります。
主祭神鸕鷀草葺不合尊の第一皇子で神武天皇の御兄君・彦五瀬命が祀られています。
境内社、九柱神社洞窟の左奥にあります。
伊邪那岐命が日向の橘の小戸の阿波岐原で禊をされた時に生まれた、神直日神以下九柱 の神様のお社です。
おちち水洞窟の右奥にあります。
御母君の豊玉姫命が竜宮に帰る時、両乳房をこの岩にくっつけて行かれたと伝えられています。
霊石亀岩本殿前の磯にあります。
母君豊玉姫が竜宮から出産の為に乗ってきた亀と云われています。四角い枡形の穴に「運玉」と云う素焼きの玉を投げて中に入ると願い事が叶うといわれています。
こういうものには必ず挑戦することにしていますので、5ケ/100円で早速挑戦しました。男性は左手、女性は右手となっていますので、右利きの者は不利ですが、なんと3投目でみごと命中しました。まわりの方々から拍手を頂戴しました。
参道海側に休息所(茶店)があり、おちち水、おちち飴が売られています、眼下の景観を楽しみながら一服できます。
山側に歴史を感じさせる燈籠が10基並んでいます、飫肥藩主伊東祐久公が慶安元年(1,648年)奉納したものです。
参道楼門前修復工事
天皇陛下御即位20年記念事業として、緩んだ地盤等の修復工事が行われています。
鵜戸神宮(うどじんぐう)
【鎮座地】〒887-0101 宮崎県日南市大字宮浦3232 旧日向国 那珂郡
【御祭神】日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊
(配祀)大日孁貴尊 天忍穗耳尊 彦火瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 神日本磐余彦尊
【例祭】 2月1日 例大祭
【旧社格等】官幣大社 (現別表神社)
【御由緒】
当神宮は、「鵜戸さん」と愛称され、国定公園日南海岸の風光明媚な所、日南市鵜戸山の日向灘に面した、自然の神秘な洞窟の内に、朱塗の色あざやかにご鎮座されている。
この洞窟は、主祭神の産殿の址と伝えられる霊地で、およそ千平方メートル(約三百坪)ほどの広さがある。強烈な太陽のもと、おりなす奇岩怪礁、紺碧の海、波状岩に砕ける白波と、自然の景勝につつまれたロードパーク日南海岸の中心地に当神宮はお鎮まりになっている。
当神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧、光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」
と賜った。また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、一時は「西の高野」とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して鵜戸神社となり、後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。
明治を一二〇余年経過した今日、全国津々浦々から、日本民族の祖神誕生の聖地を訪れる参拝者は、四時絶えることなくつづいている。
現在のご社殿は、建造以来二百五十八年を経た昭和四十三年七月修改築を終え、本殿(八棟造)、末社の総てが色彩も鮮やかに復元された。
御祭神の母君の豊玉姫命が御子の育児のため、両乳房をご神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産・育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。
かって当地方には、新婚夫婦が「シャンシャン馬」に乗って鵜戸詣りをする風習があった。いまではこのゆかしい慣わしはなくなてしまったが、車で訪れる現代の新婚旅行の参拝者も数多くある。新婚旅行のメッカといわれるゆえんである。
このほか、念流、陰流の剣法発祥の地として、また漁業、航海の守護神としての信仰は愈々篤く、今後とも神秘な霊気によって人々の魂を高めて行くであろう。
また、神域の最高地、速日峰の頂に主祭神を葬める吾平山上陵(宮内庁御陵墓参考地)がある。
(平成祭データ)
宮崎県日南市にあります。宮崎市から国道220号線を国定公園日南海岸の景観を楽しみながらおよそ40km南下、風光明媚な鵜戸崎と呼ばれる岬に鎮座しています。
境内入口の鳥居大鳥居から鵜戸港を経由して海岸沿いの狭い道路を進むとおよそ1kmで到着です。
神門鳥居をくぐり土産物屋を通り抜けると朱の鮮やかな神門です。
神門から楼門神門を入ると左に社務所、大きな儀式殿が並んでいます。
楼門
稲荷神社と吾平山上陵への入口楼門を入って直ぐ左にあります。
吾平山上陵(あひらのやまのうへのみささぎ)への入口
此処から約350m、神域の最高地速日峰の山頂にあります。鵜戸陵墓参考地として宮内庁の管轄になっています。残念ながら、土砂崩れのため立入禁止となっていました。
神橋・玉橋から本殿のある洞窟
この先は御神域、霊場になるのでかつては履物を脱いで裸足で参拝していました。
本殿前の奇岩
楼門を過ぎると千鳥橋から本殿までの参道下の海岸には夫婦岩、雀岩、扇岩など日向灘の荒波に浸食された奇岩が続いています。
本殿への階段
洞窟入口の鳥居
本殿の鎮座する大洞窟はおよそ1000平米(約300坪)あり、主祭神鸕鷀草葺不合尊の産殿の址と伝えられています。
本殿
県指定史跡 鵜戸神宮本殿 宮崎県教育委員会 平成7年3月23日指定
鵜夕神宮本殿は、鵜戸崎の日向灘に面した岩窟内に建てられている。
本殿創建の年代は不詳であるが、社伝によると崇神大皇の代に創建し、桓武天皇の勅命により、丸喜坊快久が神殿及び仁王護国寺を再興した、と伝えている。中世には、「鵜戸六所大権軋」、江戸時代以降は「鵜戸山大権現」として、日向国内外から厚い信仰を得ていた。
現在の本殿は、正徳元年(1711)に飫肥藩五代藩主伊東祐実が改築したものを明治23年(1890)に大修理を行い、さらに昭和42年(1967)に修理したものである。平成9年度(1997)には屋根や内装等の修理が行われた。このように幾度の改修を実施したものの、岩窟内に見事に収めた権現造風の八棟造は、往時のままであり、その丈化的価値は高い。
説明板管理者/日南市教育委員会
(現地案内板より)
境内社、皇子神社本殿左に並んであります。
主祭神鸕鷀草葺不合尊の第一皇子で神武天皇の御兄君・彦五瀬命が祀られています。
境内社、九柱神社洞窟の左奥にあります。
伊邪那岐命が日向の橘の小戸の阿波岐原で禊をされた時に生まれた、神直日神以下九柱 の神様のお社です。
おちち水洞窟の右奥にあります。
御母君の豊玉姫命が竜宮に帰る時、両乳房をこの岩にくっつけて行かれたと伝えられています。
霊石亀岩本殿前の磯にあります。
母君豊玉姫が竜宮から出産の為に乗ってきた亀と云われています。四角い枡形の穴に「運玉」と云う素焼きの玉を投げて中に入ると願い事が叶うといわれています。
こういうものには必ず挑戦することにしていますので、5ケ/100円で早速挑戦しました。男性は左手、女性は右手となっていますので、右利きの者は不利ですが、なんと3投目でみごと命中しました。まわりの方々から拍手を頂戴しました。
参道海側に休息所(茶店)があり、おちち水、おちち飴が売られています、眼下の景観を楽しみながら一服できます。
山側に歴史を感じさせる燈籠が10基並んでいます、飫肥藩主伊東祐久公が慶安元年(1,648年)奉納したものです。
参道楼門前修復工事
天皇陛下御即位20年記念事業として、緩んだ地盤等の修復工事が行われています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます