九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

2014年初詣 篠崎八幡宮(小倉北区篠崎)

2014-01-02 21:35:25 | 神社参拝ー九州

 例年のとおり元旦の午前中に篠崎八幡宮、高見神社、妙見神社の三社に参拝しました。
2014年の元旦は快晴とはなりませんでしたが、3月上旬並みの気温となりおだやかや天候に恵まれました。
 
 最初はいつものとおり、篠崎八幡宮(小倉北区篠崎)です。早めに出て8時30分頃に到着しましたが思ったより人出は多く、いつもは空いている境内下の駐車場もすでにほぼ満杯状態でした。皆さんは境内近くの駐車場に向かいますが、小生は階段の参道からが参拝順路としています。

 篠崎八幡神社(しのざきはちまんじんじゃ)
宮尾様(みやのおさま)
【鎮座地】〒803-0861 福岡県北九州市小倉北区篠崎1-7-1 旧豊前国 企救郡  
【御祭神】帶中津日子命 品陀和氣命 息長帶比賣命 (配祀)市寸嶋比賣命 多紀理比賣命 多岐都比賣命 玉依比賣命
【例祭】 4月29日 春季例祭 10月第4土曜日 例大祭 
【旧社格等】県社
【御由緒】
 篠崎八幡神社略記
仲哀天皇九年神功皇后三韓から御凱旋の折り、筑紫の宇美にて皇子(応神天皇)を御安産になりました。その翌年穴門の豊浦宮にお向かいになる途中、鷹尾山(当神社の西方約一千メ-トルに在った山)にお登りになり、山頂の大石(後に此の石を力石という)に皇子をお立たせし、遥に菊の長浜や文字ヶ関・穴門(現在の門司・下関)の方向を望み、「穴門が近し」と仰せられ、お懐かしみになりました。この古事にもとずき、敏達天皇十二年勅命を以て鷹尾山の麓に祠廟を建て応神天皇をお祀り申し上げました。これが篠崎神社の起源となっております。
天平二年、宇佐八幡宮により御分霊をいただき「篠崎八幡神社」になりました。
天平十二年、太宰少弐反逆せし時勅命により大将軍大野束人、篠崎八幡神社に祈請し遂に賊軍を破り、神鏡・神馬をご奉納。
嘉祥三年、宮尾山の祇園の森を美しき神域なりと御遷座になりました。今の篠崎八幡神社の地なり。
天慶五年、藤原純友・小野好古の兵火に罹りしばらく御神璽の御筥を守護し今村の高丘に移し奉る。
文治二年、現在地に遷る。
貞和三年、足利将軍尊氏公、本殿を造立。天正六年、大友宗麟の兵火のため本殿を始め古文書・社宝等悉く焼失。
慶長五年、細川忠興公の入国あり、当社の崇敬いと厚く社頭の造営・神領の寄進などあり。歴代藩主の御信仰甚だ厚く、小笠原忠真公・忠総公により本殿・楼門・回廊・幣殿・中門以下表鳥居に至る迄造立する。隋神門の御額は小笠原忠苗公御筆なり。
明治六年、郷社となる。
昭和二年、県社となる。
 (平成祭データ)

階段下の鳥居
 享和2年(1802年)建立の石鳥居です。

鳥居門から随身門
 当社では神門、楼門をこのように呼ぶようです。

随身門から拝殿

拝殿 

境内社
 左から、賀茂別雷命、品田和気命、市寸島比売命を祀る賀茂宮、稲荷神社、多くの神社が合併され、保食神、胸形三柱大神、神功皇后、事勝國勝長沙神、國勝長勝面勝神、闇弥都波神、闇淤加美神、譽田和気尊、住吉三神、菅原神、蔵春實朝臣、新田義基朝臣、他34神が祀られた、宮地嶽神社です。

社殿全景
 現在の社殿は昭和46年竣工のわりと新しいものです。

福みくじ 
 当社新春恒例の福みくじです、運試しに多くの人が並んでいます。当たると太鼓が鳴らされ、小生も早速試しましたが、おみくじは吉、景品は末等の亀賞、いつも失敗していますので今年は高望みせず、何事もほどほどにしたいと思います。
  
授与所 
 数多くの縁起物、お守りがあります。

鳥居門から階段
 正面の高架は北九州都市高速です。

全部をフォトチャンネルにしました。スライドショーでご覧ください。

2014年初詣 篠崎八幡宮(小倉北区篠崎)


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