壇鏡神社(島根県隠岐の島町)を掲載しました。
壇鏡神社(だんきょうじんじゃ)
【鎮座地】〒685-0104 島根県隠岐郡隠岐の島町都万那久1617 旧隠岐国 越智郡
【御祭神】瀬織津姫命 (配祀)諾浦姫命 事代主命 大山咋命
【例祭】 4月1日 例祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
壇鏡神社
主祭神 瀬織津姫命
合祀神 諾浦姫命(峯津神社)
大山咋命(日吉神社)
事代主命(三保神社)
祭日 例祭 四月一日 八朔祭 九月一日
特殊行事
毎年九月一日に八朔祭の神賑行事として隠岐最大の牛突き、八朔本場所が行われている。
由緒
壇鏡神社の創立は不詳だが、およそ一二〇〇年前と考えられる。松尾山光山寺の二代目慶安法師が夢のお告げを受けて険しい横尾山中をさまよっていると、目前に大きな滝が現れたと伝えられる。これがこの壇鏡の滝である。
法師は更に滝の上を少し登ると、もう一つの源来の滝があり、傍の壇の上に一個の神鏡を発見し、この滝の傍に小祠を建てゝ祀ったのが社名の起りであると伝えられている。
後世になって今の社地に祀られるようになった。寛永六年(一六二九)の棟札がある。古文書によると勝者(女神)の水、火難防止、家運隆盛、海島守護、航海安全の神として古くから崇敬された神社である。
平成十五年七月吉日
(神門由緒掲示板より)
隠岐島後隠岐の島町那久(旧都万村)からおよそ4km、横尾山(標高572m)山中にあります。県道44号線上那久から町道壇鏡線に入りおよそ15分で一の鳥居に到着です。
参道入口
一の鳥居から1.3km、右に社号標と日本名水百選の碑、左に平成19年8月の豪雨で流された参道などの復旧に尽力された有志会(闘牛愛好会)の功績を称える「功労之碑」があります。日本名水百選の碑には島根県知事恒松制治とあります。
鳥居の手前の二本の大きな杉には、つぎの言い伝えがあります。
隠岐島後民話・伝説案内板 No.15
壇鏡神社と杉の木
松尾山光山寺の二代目住職の慶安が夢のお告げを受けて二つの滝を見つけ、現来(げんらい)の滝のそばで発見した神鏡を祀ったのが、壇鏡神社の始まりです。
昔、壇鏡神社に出雲大社の神殿修理に協力するよう文書が送られてきて、境内の杉の木を要求されました。出雲大社の横暴に村人は腹を立てたものの仕方なく、境内の杉を伐り出しましたが、その時神社の鳥居を本殿の方へ動かす者がいました。男は「こうしておけば鳥居の外の杉は壇鏡神社の所有でないことになる。」というので一同は感心して手伝って鳥居を動かしました。
それで今でも、この神社の鳥居の外には二本の杉の大木が残っています。
(参道入口案内板より)
参道から境内
鬱蒼とした杉の大木に囲まれた参道を進むとおよそ300mで到着します。
神橋境内へは左の壇鏡の滝、雌滝から流れる小川に架かる神橋を渡ります。
神門鳥居をくぐり石段を上ると神門です。
神門から社殿全景
神門を出て直ぐ参道左右に数組の狛犬、さらに進むと左に境内社?の小祠、右に拝殿から本殿です。
拝殿
屏風のような岩壁のくぼみに建てられています。屋根は岩壁に接するようです。
扁額には「壇鏡神社 出雲国造出雲大社宮司 千家 尊裕」とあります。
社殿全景
およそ1200年前、松尾山光山寺の二代目住職の慶安が現来の滝のそばで発見した神鏡を祀ったのが始まりと伝えられています。御祭神は祓戸四神のお一人瀬織津姫命です。
社殿は平成11年に焼失しましたが、神門由緒に平成十五年七月吉日の日付がありますのでこの時再建されたと思われます。
壇鏡の滝
社殿左右に二つあります。松尾山光山寺の二代目住職慶安が夢のお告げにより発見したと伝えられ、日本の名水百選・滝百選に選ばれています。これは社殿右の高さ50mの雄滝です。
雄滝の裏から
裏見の滝としても有名です。参拝当日は水量が少なくあまり迫力を感じません。右は雌滝の斜面です。
雌滝の高さは40m、参拝当日は水が無く見逃して正面から撮影していませんでした。
参道脇の杉
平成19年8月の豪雨の傷跡と思われます、参道沿い川岸の杉の根元がえぐられて剥き出しになっていて豪雨のすごさが想像されます。
壇鏡神社(だんきょうじんじゃ)
【鎮座地】〒685-0104 島根県隠岐郡隠岐の島町都万那久1617 旧隠岐国 越智郡
【御祭神】瀬織津姫命 (配祀)諾浦姫命 事代主命 大山咋命
【例祭】 4月1日 例祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
壇鏡神社
主祭神 瀬織津姫命
合祀神 諾浦姫命(峯津神社)
大山咋命(日吉神社)
事代主命(三保神社)
祭日 例祭 四月一日 八朔祭 九月一日
特殊行事
毎年九月一日に八朔祭の神賑行事として隠岐最大の牛突き、八朔本場所が行われている。
由緒
壇鏡神社の創立は不詳だが、およそ一二〇〇年前と考えられる。松尾山光山寺の二代目慶安法師が夢のお告げを受けて険しい横尾山中をさまよっていると、目前に大きな滝が現れたと伝えられる。これがこの壇鏡の滝である。
法師は更に滝の上を少し登ると、もう一つの源来の滝があり、傍の壇の上に一個の神鏡を発見し、この滝の傍に小祠を建てゝ祀ったのが社名の起りであると伝えられている。
後世になって今の社地に祀られるようになった。寛永六年(一六二九)の棟札がある。古文書によると勝者(女神)の水、火難防止、家運隆盛、海島守護、航海安全の神として古くから崇敬された神社である。
平成十五年七月吉日
(神門由緒掲示板より)
隠岐島後隠岐の島町那久(旧都万村)からおよそ4km、横尾山(標高572m)山中にあります。県道44号線上那久から町道壇鏡線に入りおよそ15分で一の鳥居に到着です。
参道入口
一の鳥居から1.3km、右に社号標と日本名水百選の碑、左に平成19年8月の豪雨で流された参道などの復旧に尽力された有志会(闘牛愛好会)の功績を称える「功労之碑」があります。日本名水百選の碑には島根県知事恒松制治とあります。
鳥居の手前の二本の大きな杉には、つぎの言い伝えがあります。
隠岐島後民話・伝説案内板 No.15
壇鏡神社と杉の木
松尾山光山寺の二代目住職の慶安が夢のお告げを受けて二つの滝を見つけ、現来(げんらい)の滝のそばで発見した神鏡を祀ったのが、壇鏡神社の始まりです。
昔、壇鏡神社に出雲大社の神殿修理に協力するよう文書が送られてきて、境内の杉の木を要求されました。出雲大社の横暴に村人は腹を立てたものの仕方なく、境内の杉を伐り出しましたが、その時神社の鳥居を本殿の方へ動かす者がいました。男は「こうしておけば鳥居の外の杉は壇鏡神社の所有でないことになる。」というので一同は感心して手伝って鳥居を動かしました。
それで今でも、この神社の鳥居の外には二本の杉の大木が残っています。
(参道入口案内板より)
参道から境内
鬱蒼とした杉の大木に囲まれた参道を進むとおよそ300mで到着します。
神橋境内へは左の壇鏡の滝、雌滝から流れる小川に架かる神橋を渡ります。
神門鳥居をくぐり石段を上ると神門です。
神門から社殿全景
神門を出て直ぐ参道左右に数組の狛犬、さらに進むと左に境内社?の小祠、右に拝殿から本殿です。
拝殿
屏風のような岩壁のくぼみに建てられています。屋根は岩壁に接するようです。
扁額には「壇鏡神社 出雲国造出雲大社宮司 千家 尊裕」とあります。
社殿全景
およそ1200年前、松尾山光山寺の二代目住職の慶安が現来の滝のそばで発見した神鏡を祀ったのが始まりと伝えられています。御祭神は祓戸四神のお一人瀬織津姫命です。
社殿は平成11年に焼失しましたが、神門由緒に平成十五年七月吉日の日付がありますのでこの時再建されたと思われます。
壇鏡の滝
社殿左右に二つあります。松尾山光山寺の二代目住職慶安が夢のお告げにより発見したと伝えられ、日本の名水百選・滝百選に選ばれています。これは社殿右の高さ50mの雄滝です。
雄滝の裏から
裏見の滝としても有名です。参拝当日は水量が少なくあまり迫力を感じません。右は雌滝の斜面です。
雌滝の高さは40m、参拝当日は水が無く見逃して正面から撮影していませんでした。
参道脇の杉
平成19年8月の豪雨の傷跡と思われます、参道沿い川岸の杉の根元がえぐられて剥き出しになっていて豪雨のすごさが想像されます。
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