高樹神社(福岡県久留米市)を掲載しました。
高樹神社(たかきじんじゃ)
【鎮座地】〒839-0851 福岡県久留米市御井町神篭石121 旧筑後国 御井郡
【御祭神】高皇産靈神
【例祭】 12月13日 例祭
【旧社格等】郷社
式外社 高樹神 久留米市高良山中高樹神社
【御由緒】
祭神は高皇産霊神(造化の三神の一)。
古くは「高牟礼権現」と称し、高良山の地主神と伝えられる。
この神社はいわゆる国史現在社(正史=六国史に名の現れる神社)で、「三代実録」元慶二年(八七八)十一月十三日の条に「筑後国高樹神ニ従五位ヲ授ク」とあり、やがて正五位下に進んだことが、天慶七年(九四四)の「筑後国内神名帳」によって知られる。
もと地主神として山上に鎮座していたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ、高良の神が神籠石を築いて結界(区画を定め出入を禁ずること)の地としたため山上にもどれず、ここに鎮座するに至ったという伝説が、高良大社の古縁起に見えている。高良山の別名を「高牟礼山」と称するのも、この神の名に因むものである。
明治六年(一八七三)三月十四日郷社に列し、大正十一年(一九二二)十一月二十四日神饌幣帛料供進神社に指定された。
例祭日 十二月十三日
(社前案内板より)
筑後一宮「高良大社」の鎮座する高良山の麓にあります。高良大社の参道入口の大鳥居をくぐり九州自動車道の高架下を抜けて100mに境内入口の鳥居です。
鳥居から参道鳥居をくぐると社殿へは階段の参道を上ります。
鳥居から拝殿階段を上ると文化15年(1818)3月吉日奉納の鳥居です。
狛犬
神殿前庭の狛犬としては筑後地方最古で享保9年(1724)に奉納されたものです。
市指定民族文化財です。かなり老朽化して300年の風雪を感じます。
拝殿
社殿のある境内はかなり狭く、社殿左は山が迫り、右下は高良大社への参道です。
郷社としてはかなり簡素な社殿です。
本殿
御祭神は造化の三神の一である高皇産霊神、古くは「高牟礼権現」と称し、高良山の地主神と伝えられています。
元は高良山地主神として山上に鎮座していたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ返してもらえなくなり、此処に鎮座したと伝えられています。
創建は不詳、明治10年社地が定められています。
本殿から拝殿
社殿全景拝殿の赤と本殿屋根の青のコントラストが綺麗です。
御手洗橋
安永年間(1772~80)久留米藩により整備された、放生池に架かる享和3年(1803)9月建造の石橋です。
御手洗橋から社殿全景
橋の擬宝珠は藩の御用鋳物師植木家の作です。御手洗のいわれは高良の神がここで御手を洗って山に登られたことによります。
高樹神社(たかきじんじゃ)
【鎮座地】〒839-0851 福岡県久留米市御井町神篭石121 旧筑後国 御井郡
【御祭神】高皇産靈神
【例祭】 12月13日 例祭
【旧社格等】郷社
式外社 高樹神 久留米市高良山中高樹神社
【御由緒】
祭神は高皇産霊神(造化の三神の一)。
古くは「高牟礼権現」と称し、高良山の地主神と伝えられる。
この神社はいわゆる国史現在社(正史=六国史に名の現れる神社)で、「三代実録」元慶二年(八七八)十一月十三日の条に「筑後国高樹神ニ従五位ヲ授ク」とあり、やがて正五位下に進んだことが、天慶七年(九四四)の「筑後国内神名帳」によって知られる。
もと地主神として山上に鎮座していたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ、高良の神が神籠石を築いて結界(区画を定め出入を禁ずること)の地としたため山上にもどれず、ここに鎮座するに至ったという伝説が、高良大社の古縁起に見えている。高良山の別名を「高牟礼山」と称するのも、この神の名に因むものである。
明治六年(一八七三)三月十四日郷社に列し、大正十一年(一九二二)十一月二十四日神饌幣帛料供進神社に指定された。
例祭日 十二月十三日
(社前案内板より)
筑後一宮「高良大社」の鎮座する高良山の麓にあります。高良大社の参道入口の大鳥居をくぐり九州自動車道の高架下を抜けて100mに境内入口の鳥居です。
鳥居から参道鳥居をくぐると社殿へは階段の参道を上ります。
鳥居から拝殿階段を上ると文化15年(1818)3月吉日奉納の鳥居です。
狛犬
神殿前庭の狛犬としては筑後地方最古で享保9年(1724)に奉納されたものです。
市指定民族文化財です。かなり老朽化して300年の風雪を感じます。
拝殿
社殿のある境内はかなり狭く、社殿左は山が迫り、右下は高良大社への参道です。
郷社としてはかなり簡素な社殿です。
本殿
御祭神は造化の三神の一である高皇産霊神、古くは「高牟礼権現」と称し、高良山の地主神と伝えられています。
元は高良山地主神として山上に鎮座していたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ返してもらえなくなり、此処に鎮座したと伝えられています。
創建は不詳、明治10年社地が定められています。
本殿から拝殿
社殿全景拝殿の赤と本殿屋根の青のコントラストが綺麗です。
御手洗橋
安永年間(1772~80)久留米藩により整備された、放生池に架かる享和3年(1803)9月建造の石橋です。
御手洗橋から社殿全景
橋の擬宝珠は藩の御用鋳物師植木家の作です。御手洗のいわれは高良の神がここで御手を洗って山に登られたことによります。
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