船路八幡宮(山口県山口市)を掲載しました。
船路八幡宮(ふなじはちまんぐう)
【鎮座地】〒747-0342 山口県山口市徳地船路2617 旧周防国 佐波郡
【御祭神】道反大神 (配祀)八幡大神 羽明玉命
【例祭】 9月最終日曜日 例大祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
八幡宮(はちまんぐう)八坂地区船路字神田二六一七 旧郷社
宮司 上野栄延
主神
道反(ちがえし)大神 配祀 応神天皇・羽明玉命(玉祖神)
由緒
社伝では延喜五年(九〇五)に陽悦山の麓に鎮座したと伝え、永保二年(一〇八二)に社殿が焼失したので宮河内へ移建され、ついでまた寛元二年(一二四四)に大内弘貞が山口氷上の妙見分霊を勧請したと伝う。
応仁元年(一四六七)に洪水のため社殿が破損したので、現在地へ移建され、その後の再建棟札等によれば、文明十四年(一四八二)・元亀二年(一五七一)・万治四年(一六六一)二月十四日・天和元年(一六八一)十二月・元文三年(一七三八)八月九日にそれぞれ氏子中再建のことが棟札に見える。
宝永年間(一七〇四~一〇)から岸見村の三坂神社と式内社論争が始まったが、明治四年三月二十日に至って式内三坂神社は岸見村の方と決定され、社号替を命ぜられ御坂大明神の社名を廃し八幡宮と改めたのである。
同六年十月郷社に列せられた。現在の神殿は明治九年に、拝殿と釣屋は同十三年に建立されたものである。
(略) (『徳地町史』より)
(山口縣神社誌より)
山口市東部に位置する徳地船路にあります、国道489号線から佐波川を渡った西側の道路沿いに鎮座しています。
参道から拝殿
石段参道の両脇に御神木の大杉はじめ数本の高い木が並んでいます。
神池鳥居をくぐると右手にあります、鯉が数匹泳いでいました。
御神木の大杉から拝殿
拝殿
かなり老朽化が進んでいますが往時の風格が感じられます。
本殿
旧号は「式内御坂神社」でしたが、江戸時代より続いた三坂神社との式内社論争に敗れ、明治4年社号換えを命ぜられ「八幡宮」となりました。
明治9年再建の流造本殿、屋根は二重構造になっていて石州瓦で覆っています。
速玉之男神を祀る
境内社熊野社、拝殿右にあります。
拝殿から参道
周囲はのどかな田園風景が広がっています。
船路八幡宮(ふなじはちまんぐう)
【鎮座地】〒747-0342 山口県山口市徳地船路2617 旧周防国 佐波郡
【御祭神】道反大神 (配祀)八幡大神 羽明玉命
【例祭】 9月最終日曜日 例大祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
八幡宮(はちまんぐう)八坂地区船路字神田二六一七 旧郷社
宮司 上野栄延
主神
道反(ちがえし)大神 配祀 応神天皇・羽明玉命(玉祖神)
由緒
社伝では延喜五年(九〇五)に陽悦山の麓に鎮座したと伝え、永保二年(一〇八二)に社殿が焼失したので宮河内へ移建され、ついでまた寛元二年(一二四四)に大内弘貞が山口氷上の妙見分霊を勧請したと伝う。
応仁元年(一四六七)に洪水のため社殿が破損したので、現在地へ移建され、その後の再建棟札等によれば、文明十四年(一四八二)・元亀二年(一五七一)・万治四年(一六六一)二月十四日・天和元年(一六八一)十二月・元文三年(一七三八)八月九日にそれぞれ氏子中再建のことが棟札に見える。
宝永年間(一七〇四~一〇)から岸見村の三坂神社と式内社論争が始まったが、明治四年三月二十日に至って式内三坂神社は岸見村の方と決定され、社号替を命ぜられ御坂大明神の社名を廃し八幡宮と改めたのである。
同六年十月郷社に列せられた。現在の神殿は明治九年に、拝殿と釣屋は同十三年に建立されたものである。
(略) (『徳地町史』より)
(山口縣神社誌より)
山口市東部に位置する徳地船路にあります、国道489号線から佐波川を渡った西側の道路沿いに鎮座しています。
参道から拝殿
石段参道の両脇に御神木の大杉はじめ数本の高い木が並んでいます。
神池鳥居をくぐると右手にあります、鯉が数匹泳いでいました。
御神木の大杉から拝殿
拝殿
かなり老朽化が進んでいますが往時の風格が感じられます。
本殿
旧号は「式内御坂神社」でしたが、江戸時代より続いた三坂神社との式内社論争に敗れ、明治4年社号換えを命ぜられ「八幡宮」となりました。
明治9年再建の流造本殿、屋根は二重構造になっていて石州瓦で覆っています。
速玉之男神を祀る
境内社熊野社、拝殿右にあります。
拝殿から参道
周囲はのどかな田園風景が広がっています。
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