篠崎八幡神社(北九州市小倉北区)をフォトギャラリー(福岡)に掲載しました。
北九州都市高速の紫川ICの入口に鎮座、小倉市街地にも近く例年初詣も多数の参拝で賑わいます。
当社も神功皇后の三韓征伐にまつわる社で、創建は敏達天皇十二年(583年)とあります。
「神功皇后三韓から御凱旋の時、筑紫宇美で皇子を御安産、翌年穴門(長門)豊浦宮にお向かいになる途中、鷹尾山頂の大石(力石)に皇子(応神天皇)をお立たせ遥に菊の長浜や文字ヶ関を望んで「穴門が近し」とお懐かしなさいました。
敏達天皇の御代、右古事に基き、鷹尾山の麓に神祠を建て仲哀天皇、応神天皇、神功皇后を祭祀られました。これが篠崎八幡神社の起源です。」
(境内案内板より抜粋)
石段の参道を登りきったところに荘厳な鳥居門、その奥に随身門(朱門)が迎えてくれます。
どちらも昭和54年竣工
皇子(応神天皇)がお立ちになった「力石」
計7回目の造営となる八幡造りの御神殿
昭和46年竣工
北九州都市高速の紫川ICの入口に鎮座、小倉市街地にも近く例年初詣も多数の参拝で賑わいます。
当社も神功皇后の三韓征伐にまつわる社で、創建は敏達天皇十二年(583年)とあります。
「神功皇后三韓から御凱旋の時、筑紫宇美で皇子を御安産、翌年穴門(長門)豊浦宮にお向かいになる途中、鷹尾山頂の大石(力石)に皇子(応神天皇)をお立たせ遥に菊の長浜や文字ヶ関を望んで「穴門が近し」とお懐かしなさいました。
敏達天皇の御代、右古事に基き、鷹尾山の麓に神祠を建て仲哀天皇、応神天皇、神功皇后を祭祀られました。これが篠崎八幡神社の起源です。」
(境内案内板より抜粋)
石段の参道を登りきったところに荘厳な鳥居門、その奥に随身門(朱門)が迎えてくれます。
どちらも昭和54年竣工
皇子(応神天皇)がお立ちになった「力石」
計7回目の造営となる八幡造りの御神殿
昭和46年竣工
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