8/15(金)、63回目の終戦記念日を迎え、全国戦没者追悼式が開催されました。
このような時代が二度と来ないことを祈念して回天神社(大分県日出町)を掲載しました。
回天神社(かいてんじんしゃ)
【鎮座地】〒879-1504 大分県速見郡日出町大字大神5489番地 旧豊後国 速見郡
【御祭神】楠木正成
【例祭】
【旧社格等】
【御由緒】
回天神社由来
御祭神 天照大神 應神天皇 楠正成
祭祀者 大神突撃隊司令 海軍大佐 山田盛重
御分神 昭和二十年四月二十日
大神突撃隊廰舎内に鎮座 同 年四月二十三日
同隊開隊式(於神前) 同 年四月二十五日
同隊南西高地ニ御遷宮 同 年八月二十五日
同隊解隊ニ付一時住吉神社境内ニ
御奉遷 同 年 月 日
舊隊内ニ御奉遷
御例祭 毎年四月二十五日
大東亜戦争の末期 堅く神州の不滅と皇國乃必勝とを信し一死國難に殉ぜんとする弱冠二十の若櫻相競ひて大神突撃隊に入り水明の海辺に菊水の大旆打ち樹てて特攻兵器回天の訓練に烈々精魂を傾倒せり
回天隊歌
一、悠久不滅神州の國難誰か救ふべき
若き盡忠丈夫の血潮逆巻く回天隊
二、其の名も清き大神に楠公精神體得の
戦友は微笑み今ぞ征く無敵の誇り回天隊
三、七度人と生れ出て巨艦轟沈必殺乃
弱冠二十の若櫻従容散り行く回天隊
四、水漬く屍の礎も天皇の弥栄を
訪ふ春を信ずこそああ義烈なり回天隊
(拝殿前掲示板より)
回天神社
大平洋戦争末期の昭和19(1944)年に入ると戦局を逆転するために、魚雷を人間が一人搭乗できるように改造し、母艦の潜水艦から発進して敵艦に体当たりする戦法が考え出された。
昭和19年9月1日、山口県徳山市大津島で回天の訓練基地が開隊、続いて光基地(山口県光市)、平生基地(山口県平生町)が順次開隊し、ここ大神では昭和20(1945)年4月25日に大神突撃隊として、司令・山田大佐以下2,000名で発足した。
昭和20年8月2日、隊員8名が回天8基と共に愛媛県宿毛湾麦ヶ浦へ出撃のため進出した。
昭和20年8月15日の終戦とともに解隊したため、大神突撃隊からは突撃による戦死者は出ていない。しかし、終戦10日後の25日、松尾秀輔少尉が基地内で白決したほか、空襲による犠牲者が出ている。
終戦に伴い神体を奉納していた回天神社は山田司令の依頼により住吉神社境内に遷座し、地区民がお祭りするようになった。
慰霊祭は3年に一度、関係者が全国より集まって行われ、その他の2年間は地区氏子の手で慰霊されている。
(参道入口案内板より)
大分県日出町大神漁港にあります。国道213号線大神駅前交差点を南へ直進10分ほどの住吉神社境内に末社として鎮座。
社叢全景
大神漁港そばの鬱蒼とした小山です。木々の間に見える社殿は本社の住吉神社です。
人間魚雷「回天」大神基地跡
参道入口の案内板です、大神基地の配置図です。
人間魚雷「回天」大神基地跡
「回天」の特攻作戦はイ号潜水艦に搭載されたものと基地に進出してそこから発射されたものとの二種類があった。大神基地はその訓練基地である。
昭和16(1941)年大神村真那井、秋貞、軒の丼、牧の内など海岸部の広大な土地が海軍工廠建設を目的に強制買上げされた。
しかし、大神村の海軍工廠建設は中止となり、用地は特攻基地用地に転用された。
昭利19年暮、大神村牧の内で人間魚雷「回天J基地の建設が始まった。
配置図は当時の資料と基地関係者の記憶を基に、各施設を現在の概略図に示したもの。
現在残っているのは調整堤などと、当時掘られた地下壕だけである。
大分県日出町観光協会 2002年3月作成
(参道入口案内板より)
社殿
昭和20年4月23日、大神突撃隊司令海軍大佐山田盛重により大神突撃隊庁舎内に鎮座されたのが始まりです。
現在の社殿は平成13年4月25日、住吉神社社殿の東側に並列して新築されました。
社殿の扁額
扁額の右は昭和20年8月25日(朝)自決した松尾秀輔少尉の遺影です。
社殿と回天模型収納棟
回天模型収納棟
回天模型と九三式魚雷機関部が収納展示されています。
回天模型前方から
実物の三分の一の模型です、昭和56年9月20日、大神回天隊の関係者によって奉納されました。
前に石碑がありつぎの碑文が刻まれています。
回天
太平洋戦争の末期 堅く神州の不滅と皇国の必勝を信じ一死国難に殉ぜんとする若干二十の若桜相競ひ大神突撃隊に参加 水明の海辺に菊水の大旆打ち樹てゝ特攻兵器「回天」の訓練に烈々と精魂を傾倒せり
こゝに吾等関係者往時を偲び相計って回天模型を奉納する
昭和五十六年四月二十五日
大神回天隊
回天模型後方から
実物は全長14.75m、胴直径1.00m全重量8.3tあります、1.55tの爆薬を積載します。
九三式魚雷機関部
平成7年7月大分空港の沖合いで漁網により引き揚げられ、平成14年4月25日、このあづま屋(収納棟)新築と同時に収納されました。
純粋酸素と白灯油を燃焼させ海水を噴霧して発生する高圧ガスでピストンを動かしています。
九三式魚雷推進部
ピストンの出力で二重反転プロペラを回転して、推進するようになっています。
長崎被爆クスノキ2世
境内東側の入口にあります、平成15年4月25日植えられました。
境内から大神漁港
直ぐ手前は養魚場、その向こうは住吉ふれあい公園です。
このような時代が二度と来ないことを祈念して回天神社(大分県日出町)を掲載しました。
回天神社(かいてんじんしゃ)
【鎮座地】〒879-1504 大分県速見郡日出町大字大神5489番地 旧豊後国 速見郡
【御祭神】楠木正成
【例祭】
【旧社格等】
【御由緒】
回天神社由来
御祭神 天照大神 應神天皇 楠正成
祭祀者 大神突撃隊司令 海軍大佐 山田盛重
御分神 昭和二十年四月二十日
大神突撃隊廰舎内に鎮座 同 年四月二十三日
同隊開隊式(於神前) 同 年四月二十五日
同隊南西高地ニ御遷宮 同 年八月二十五日
同隊解隊ニ付一時住吉神社境内ニ
御奉遷 同 年 月 日
舊隊内ニ御奉遷
御例祭 毎年四月二十五日
大東亜戦争の末期 堅く神州の不滅と皇國乃必勝とを信し一死國難に殉ぜんとする弱冠二十の若櫻相競ひて大神突撃隊に入り水明の海辺に菊水の大旆打ち樹てて特攻兵器回天の訓練に烈々精魂を傾倒せり
回天隊歌
一、悠久不滅神州の國難誰か救ふべき
若き盡忠丈夫の血潮逆巻く回天隊
二、其の名も清き大神に楠公精神體得の
戦友は微笑み今ぞ征く無敵の誇り回天隊
三、七度人と生れ出て巨艦轟沈必殺乃
弱冠二十の若櫻従容散り行く回天隊
四、水漬く屍の礎も天皇の弥栄を
訪ふ春を信ずこそああ義烈なり回天隊
(拝殿前掲示板より)
回天神社
大平洋戦争末期の昭和19(1944)年に入ると戦局を逆転するために、魚雷を人間が一人搭乗できるように改造し、母艦の潜水艦から発進して敵艦に体当たりする戦法が考え出された。
昭和19年9月1日、山口県徳山市大津島で回天の訓練基地が開隊、続いて光基地(山口県光市)、平生基地(山口県平生町)が順次開隊し、ここ大神では昭和20(1945)年4月25日に大神突撃隊として、司令・山田大佐以下2,000名で発足した。
昭和20年8月2日、隊員8名が回天8基と共に愛媛県宿毛湾麦ヶ浦へ出撃のため進出した。
昭和20年8月15日の終戦とともに解隊したため、大神突撃隊からは突撃による戦死者は出ていない。しかし、終戦10日後の25日、松尾秀輔少尉が基地内で白決したほか、空襲による犠牲者が出ている。
終戦に伴い神体を奉納していた回天神社は山田司令の依頼により住吉神社境内に遷座し、地区民がお祭りするようになった。
慰霊祭は3年に一度、関係者が全国より集まって行われ、その他の2年間は地区氏子の手で慰霊されている。
(参道入口案内板より)
大分県日出町大神漁港にあります。国道213号線大神駅前交差点を南へ直進10分ほどの住吉神社境内に末社として鎮座。
社叢全景
大神漁港そばの鬱蒼とした小山です。木々の間に見える社殿は本社の住吉神社です。
人間魚雷「回天」大神基地跡
参道入口の案内板です、大神基地の配置図です。
人間魚雷「回天」大神基地跡
「回天」の特攻作戦はイ号潜水艦に搭載されたものと基地に進出してそこから発射されたものとの二種類があった。大神基地はその訓練基地である。
昭和16(1941)年大神村真那井、秋貞、軒の丼、牧の内など海岸部の広大な土地が海軍工廠建設を目的に強制買上げされた。
しかし、大神村の海軍工廠建設は中止となり、用地は特攻基地用地に転用された。
昭利19年暮、大神村牧の内で人間魚雷「回天J基地の建設が始まった。
配置図は当時の資料と基地関係者の記憶を基に、各施設を現在の概略図に示したもの。
現在残っているのは調整堤などと、当時掘られた地下壕だけである。
大分県日出町観光協会 2002年3月作成
(参道入口案内板より)
社殿
昭和20年4月23日、大神突撃隊司令海軍大佐山田盛重により大神突撃隊庁舎内に鎮座されたのが始まりです。
現在の社殿は平成13年4月25日、住吉神社社殿の東側に並列して新築されました。
社殿の扁額
扁額の右は昭和20年8月25日(朝)自決した松尾秀輔少尉の遺影です。
社殿と回天模型収納棟
回天模型収納棟
回天模型と九三式魚雷機関部が収納展示されています。
回天模型前方から
実物の三分の一の模型です、昭和56年9月20日、大神回天隊の関係者によって奉納されました。
前に石碑がありつぎの碑文が刻まれています。
回天
太平洋戦争の末期 堅く神州の不滅と皇国の必勝を信じ一死国難に殉ぜんとする若干二十の若桜相競ひ大神突撃隊に参加 水明の海辺に菊水の大旆打ち樹てゝ特攻兵器「回天」の訓練に烈々と精魂を傾倒せり
こゝに吾等関係者往時を偲び相計って回天模型を奉納する
昭和五十六年四月二十五日
大神回天隊
回天模型後方から
実物は全長14.75m、胴直径1.00m全重量8.3tあります、1.55tの爆薬を積載します。
九三式魚雷機関部
平成7年7月大分空港の沖合いで漁網により引き揚げられ、平成14年4月25日、このあづま屋(収納棟)新築と同時に収納されました。
純粋酸素と白灯油を燃焼させ海水を噴霧して発生する高圧ガスでピストンを動かしています。
九三式魚雷推進部
ピストンの出力で二重反転プロペラを回転して、推進するようになっています。
長崎被爆クスノキ2世
境内東側の入口にあります、平成15年4月25日植えられました。
境内から大神漁港
直ぐ手前は養魚場、その向こうは住吉ふれあい公園です。
私の知人が大分県日出町にいて、
その方がこのほど回天の保存継承会(名称未定)
の会長に成るそうです
それでここをみて投稿しました
見てきたところ以外の写真もあり
嬉しく思っております
私は北海道ですが、知人と又行く予定です
今度は鹿児島の零戦基地と日出町と
山口の大津島です
情報
ありがとうございました。
当地福岡にも昨年(平成21年)10月開館した「大刀洗平和記念館」があります。
此処はかつて、陸軍の飛行場のあったところで、訓練を受けた多くの若者が知覧等から
特攻に出撃しました。
次回お越しの際、お立ち寄りください。
大刀洗平和記念館
http://tachiarai-heiwa.jp/
〒838-0814 福岡県朝倉郡筑前町高田2561-1
TEL:0946-23-1227