志賀海神社(福岡市東区志賀島)を掲載しました。
志賀海神社(しかうみじんじゃ)
【鎮座地】〒811-0323 福岡県福岡市東区志賀島877 旧筑前国 糟屋郡
【御祭神】底津綿津見神 仲津綿津見神 表津綿津見神 (配祀)玉依姫命 神功皇后 應神天皇
【例祭】 10月9日 御神幸祭 10月10日 国士祭
【旧社格等】旧官幣小社 現別表神社
式内社 筑前國糟屋郡 志加海神社3座(並名神大)
【御由緒】
古来、玄海灘に臨む交通の要衝として聖域視されていた志賀島に鎮座し、「龍の都」「海神の総本社」と称えられ、海の守護神として篤く信仰されている。
御祭神は伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において禊祓(みそぎはらい)をされた際に、住吉三神と共に御出現された綿津見三神で、神裔阿曇族によって奉斎されている。
御祭神が、禊祓で御出現された神であることから不浄を特に嫌い、諸々の穢・厄・災・罪をはらい清め、また、海の主宰神であることから水と塩を支配し、私達の生活の豊凶をも左右する御神威を顕現されている。
当社の創建は明らかではないが、古来、勝馬の地に表津宮・中津宮・沖津宮の三社で奉斎されていた。2世紀(遅くとも4世紀)に表津宮(底津綿津見神)が当地勝山に遷座、併せて仲津綿津見神・表津綿津見神が奉祀されたと伝えられる。
往時の社殿は壮麗で、末社三七五社、社領五十石有し、奉仕する者も百数十名いたなど繁栄を極めた。社伝には神功皇后の伝説を多く残し、元冦の役(げんこうのえき)など国家の非常の際に嚇々(かくかく)たる御神威を顕示されたことから、社格も貞観元年(八五九年)従五位上、『延喜式』には明神大社、大正十五年(1927年)には官幣小社の処遇をうけている。
(境内志賀海神社略記より)
「ちはやぶる金之三崎を過ぎぬとも吾は忘れじ牝鹿の須売神」(万葉集巻七)
「名にし負ふ龍の都のあととめて波をわけゆく海の中道」 (細川幽斎)
当社は「漢倭奴国王」の金印で有名な志賀島に鎮座されています。
海水浴客で賑わう海ノ中道を過ぎ、志賀島橋を渡り右手に進むとすぐに
一の鳥居が見えてきます。狭い商店街?の突き当たりに参道入口があります。
一の鳥居
参道入口の鳥居の下に御潮井(清めの砂)が置いてあります。
緩やかな登坂の参道が続きます。
石造宝篋(ほうきょう)印塔
過去、現在、未来の幸福を願う仏典(宝篋印陀羅尼経を)納めた塔
貞和3年(1347年)の日付がある。
参道から楼門 楼門
拝殿 本殿
亀石
神功皇后の三韓征伐のおり、志賀大神が老翁の姿になって金色雌雄の亀にお立ちになって現れ皇后を擁護された。この金色雌雄の亀はのちに石になって寛文10年(1670年)当社に移された。
遥拝所
遥か東方の伊勢神宮を拝む
遥拝所からの景観(和白、新宮海岸の望む)
鹿角堂(ろっかくどう)
拝殿前の広場の隅にある建物。奉納された1万本以上鹿の角が建物を埋め尽くしている。
楼門から参道
志賀海神社(しかうみじんじゃ)
【鎮座地】〒811-0323 福岡県福岡市東区志賀島877 旧筑前国 糟屋郡
【御祭神】底津綿津見神 仲津綿津見神 表津綿津見神 (配祀)玉依姫命 神功皇后 應神天皇
【例祭】 10月9日 御神幸祭 10月10日 国士祭
【旧社格等】旧官幣小社 現別表神社
式内社 筑前國糟屋郡 志加海神社3座(並名神大)
【御由緒】
古来、玄海灘に臨む交通の要衝として聖域視されていた志賀島に鎮座し、「龍の都」「海神の総本社」と称えられ、海の守護神として篤く信仰されている。
御祭神は伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において禊祓(みそぎはらい)をされた際に、住吉三神と共に御出現された綿津見三神で、神裔阿曇族によって奉斎されている。
御祭神が、禊祓で御出現された神であることから不浄を特に嫌い、諸々の穢・厄・災・罪をはらい清め、また、海の主宰神であることから水と塩を支配し、私達の生活の豊凶をも左右する御神威を顕現されている。
当社の創建は明らかではないが、古来、勝馬の地に表津宮・中津宮・沖津宮の三社で奉斎されていた。2世紀(遅くとも4世紀)に表津宮(底津綿津見神)が当地勝山に遷座、併せて仲津綿津見神・表津綿津見神が奉祀されたと伝えられる。
往時の社殿は壮麗で、末社三七五社、社領五十石有し、奉仕する者も百数十名いたなど繁栄を極めた。社伝には神功皇后の伝説を多く残し、元冦の役(げんこうのえき)など国家の非常の際に嚇々(かくかく)たる御神威を顕示されたことから、社格も貞観元年(八五九年)従五位上、『延喜式』には明神大社、大正十五年(1927年)には官幣小社の処遇をうけている。
(境内志賀海神社略記より)
「ちはやぶる金之三崎を過ぎぬとも吾は忘れじ牝鹿の須売神」(万葉集巻七)
「名にし負ふ龍の都のあととめて波をわけゆく海の中道」 (細川幽斎)
当社は「漢倭奴国王」の金印で有名な志賀島に鎮座されています。
海水浴客で賑わう海ノ中道を過ぎ、志賀島橋を渡り右手に進むとすぐに
一の鳥居が見えてきます。狭い商店街?の突き当たりに参道入口があります。
一の鳥居
参道入口の鳥居の下に御潮井(清めの砂)が置いてあります。
緩やかな登坂の参道が続きます。
石造宝篋(ほうきょう)印塔
過去、現在、未来の幸福を願う仏典(宝篋印陀羅尼経を)納めた塔
貞和3年(1347年)の日付がある。
参道から楼門 楼門
拝殿 本殿
亀石
神功皇后の三韓征伐のおり、志賀大神が老翁の姿になって金色雌雄の亀にお立ちになって現れ皇后を擁護された。この金色雌雄の亀はのちに石になって寛文10年(1670年)当社に移された。
遥拝所
遥か東方の伊勢神宮を拝む
遥拝所からの景観(和白、新宮海岸の望む)
鹿角堂(ろっかくどう)
拝殿前の広場の隅にある建物。奉納された1万本以上鹿の角が建物を埋め尽くしている。
楼門から参道
その後、御足の具合は如何でしょうか?
自分も、登山で左足を痛めてしまって
サポーターの世話になっております。
さて、今度の11月大潮の日にこちらに再訪しようと考えております。
目的は、勝馬側の参拝です。(雨が降らなければ。。。)
また、色々参考にさせて頂きますので
よろしくお願い致します。
朝夕は大分過ごしやすくなりました。
左足を痛められたとのことですが、お大事になさってください。
小生の右足の方は、ほぼ全快となりましたが、右肩から右腕の痺れが良くならず、毎日整形外科に通っています。
一の宮巡拝もそろそろ再開したいと思っていますが、思案中です。
>目的は、勝馬側の参拝です。(雨が降らなければ。。。)
当社の摂社沖津宮ですね、以前は地震の後遺症で島の北側には行けなかったようですが、近々、行って近況をお知らせできたらと思います。
もし可能であれば、よろしくお願い致します。
でも、お体の負担になるようであれば、
無理をなさらなくても大丈夫ですよ。
当ブログに掲載しました。島を廻る道路も綺麗に整備され、時計回りに一周しましたがドライブも快適でした。
仲津宮も完全に復旧していました。