
祓戸神社(鹿児島県霧島市)を掲載しました。
祓戸神社(はらえどじんじゃ)
【鎮座地】〒899-4346 鹿児島県霧島市国分府中町14-17 旧大隅国 始羅郡
【御祭神】伊邪那岐尊 伊邪那美尊 (配祀)瀬織津比賣 氣吹戸主神 速開都比賣 速佐須良比賣
【例祭】 10月19日 例祭
【旧社格等】村社
大隅國総社
【御由緒】
祓戸神社由緒
この社にはイザナギ・イザナミの両神のほか瀬織津姫神・気吹主神・速秋津姫神・速佐順良姫神がお祀りしてあり又、天満天神社も合祀されている。
祓戸神社という社号は明治五年以降のことでその以前は守公神宮守君神宮であった。
そして大隅国庁の所在地であったと言われるこの地方での総社であり一の宮でもあった。
この社の歴史は古いがその創建の年代は詳らかではない。
しかし大隅の国が日向の国から分離されたのは西暦七一三年即ち和銅六年で今から凡そ一二九〇年程前のことであるがその後、数十年を経て大隅の国の総社として建立されたのがこの社の起源であると言われている。
守公神宮が大隅国庁の総社であったことは今から凡そ七百年程前にかかれたもので今でも調書家に残っている。
文書によれば三十人程の宮ざむらいが交代で奉仕していたと記録されているのでその格式の高かったことがわかる。
島津藩政時代になってもこの地方の尊信を得ていたが歴史は流れ時は去り萬象移り変わり今はわれら府中に氏神として鎮座されている。
平成十一年七月吉日
祓戸神社氏子一同
(境内案内板より)
かつて大隅國国府の置かれた、霧島市国分府中町(旧国分市府中町)にあります。国分駅から西へ500m、向花小学校を過ぎて、府中地区公民館の隣、道路沿いに鳥居です。
参道から拝殿
鳥居をくぐって、右に「征清役従軍記念碑」さらに由緒掲示板、左には御改修記念碑、正面に社殿です。
境内社
境内左右に門守社と思われる境内社があります。
御祭神等は不明です。
拝殿

現在の社殿は境内の記念碑によると昭和46年9月、直近では平成2年3月改築されたようです。
拝殿右手前に注連縄の架けられた御神木の公孫樹の巨木があります。ちょうど境内を清掃されている人がいて聞いてみましたが樹齢等不明です。
拝殿の扁額
かなり年代を感じます。最後の文字は「宮」のようですが、読めません。
本殿

御祭神は伊邪那岐尊・伊邪那美尊、祓を司どる祓戸四神(瀬織津比賣 氣吹戸主神 速開都比賣 速佐須良比賣)が配祀されています。
創建年代は不詳ですが、大隅国が日向国から分離された和銅六年(713年)の数10年後、大隅国総社として建立されたとも伝えられています。
明治以前は守公神宮守君神宮と称していましたが、明治5年、社号を祓戸神社とされました。その後明治42年、気色の杜の天満天神社を合祀しています。
境内社
境内左(西側)にあります。
中央に石像、両側に石祠です、社名・御祭神等詳細不明です。
拝殿から参道
周辺は住宅街です。
祓戸神社(はらえどじんじゃ)
【鎮座地】〒899-4346 鹿児島県霧島市国分府中町14-17 旧大隅国 始羅郡
【御祭神】伊邪那岐尊 伊邪那美尊 (配祀)瀬織津比賣 氣吹戸主神 速開都比賣 速佐須良比賣
【例祭】 10月19日 例祭
【旧社格等】村社
大隅國総社
【御由緒】
祓戸神社由緒
この社にはイザナギ・イザナミの両神のほか瀬織津姫神・気吹主神・速秋津姫神・速佐順良姫神がお祀りしてあり又、天満天神社も合祀されている。
祓戸神社という社号は明治五年以降のことでその以前は守公神宮守君神宮であった。
そして大隅国庁の所在地であったと言われるこの地方での総社であり一の宮でもあった。
この社の歴史は古いがその創建の年代は詳らかではない。
しかし大隅の国が日向の国から分離されたのは西暦七一三年即ち和銅六年で今から凡そ一二九〇年程前のことであるがその後、数十年を経て大隅の国の総社として建立されたのがこの社の起源であると言われている。
守公神宮が大隅国庁の総社であったことは今から凡そ七百年程前にかかれたもので今でも調書家に残っている。
文書によれば三十人程の宮ざむらいが交代で奉仕していたと記録されているのでその格式の高かったことがわかる。
島津藩政時代になってもこの地方の尊信を得ていたが歴史は流れ時は去り萬象移り変わり今はわれら府中に氏神として鎮座されている。
平成十一年七月吉日
祓戸神社氏子一同
(境内案内板より)
かつて大隅國国府の置かれた、霧島市国分府中町(旧国分市府中町)にあります。国分駅から西へ500m、向花小学校を過ぎて、府中地区公民館の隣、道路沿いに鳥居です。
参道から拝殿

鳥居をくぐって、右に「征清役従軍記念碑」さらに由緒掲示板、左には御改修記念碑、正面に社殿です。
境内社

御祭神等は不明です。
拝殿


現在の社殿は境内の記念碑によると昭和46年9月、直近では平成2年3月改築されたようです。
拝殿右手前に注連縄の架けられた御神木の公孫樹の巨木があります。ちょうど境内を清掃されている人がいて聞いてみましたが樹齢等不明です。
拝殿の扁額

かなり年代を感じます。最後の文字は「宮」のようですが、読めません。
本殿


御祭神は伊邪那岐尊・伊邪那美尊、祓を司どる祓戸四神(瀬織津比賣 氣吹戸主神 速開都比賣 速佐須良比賣)が配祀されています。
創建年代は不詳ですが、大隅国が日向国から分離された和銅六年(713年)の数10年後、大隅国総社として建立されたとも伝えられています。
明治以前は守公神宮守君神宮と称していましたが、明治5年、社号を祓戸神社とされました。その後明治42年、気色の杜の天満天神社を合祀しています。
境内社

中央に石像、両側に石祠です、社名・御祭神等詳細不明です。
拝殿から参道
