姪浜住吉神社(福岡市西区)を掲載しました。
姪浜住吉神社(めいのはま すみよしじんじゃ)
【鎮座地】〒819-0002 福岡県福岡市西区姪の浜3丁目5-5 旧筑前国 早良郡
【御祭神】住吉三神 志賀三神 神功皇后 武内宿禰 (合祀)菅原道眞
【例祭】 10月22日 秋季例大祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
上西区総鎮守
姪浜 住吉神社 略記
本社祭神 住吉三神 【表筒雄命・中筒雄命・底筒雄命】
神功皇后 【息長帯比売命】
志賀三神 【表津綿津見神・中津綿津見神・底津綿津見神】
武内宿禰 【武内宿禰命】
末社祭神 須賀神社 【素盞鳴尊・大己貴命・稲田姫命】
(祇園社)
事代神社 【事代主命】
大神宮 【大日霊命・天児屋根命・応神天皇】
少童神社 【事代主命・火酢芹神・少童神】
埴安神社 【埴安命】
厳島神社 【市杵嶋姫命(弁財天)】
早船神社 【彌彦神】
宇賀神社 【倉稲魂命】
由緒
住吉神社の起源は、奈良時代の天平十五年(西暦七四三年)九月二十九日の夜半、住吉明神のご出現があり、翌年四月十三日にも異国船来襲の調伏祈願の折りにご出現され、このため一宇の小社を建立し住吉三神をお祭りしたことによります。西網屋町の社がそれで、住吉古宮といいます。くだって室町時代、応永二十三(西暦一四一六)正月十四日夜のご神託により、翌年八月二十九日に牛頭社地(現、住吉神社)で新社建立・ご還座の儀式を終え、ここに住吉三神は牛頭社(現、須賀神社)と相並んで、当地の産土神として尊崇されるようになりました。
住吉三神は、『日本書紀』神代巻には、伊弉諾尊が筑紫の日向の橘の小戸の檍原(あわぎはら)で、御身の濁穢(けがれ)を禊祓われた時に出生された神と記されています。
内書巻九や『古事記』によると、神功皇后が応神天皇を胎内に宿したまま新羅に遠征された折り、住吉三神は「和魂は王身の命を守り荒魂は先鋒として軍船を導くであろう」と申されその霊験あらたか新羅軍を破り、無事帰国されました。その時、神功皇后は当地の小戸付近の浜に上陸し濡れた衵(あこめ)の御衣を乾かされたので衵ヶ浜(後、転じて姪浜)といい、宇瀰(宇美)において応神天皇を出産されたと伝えられています。
また伊弉諾尊が禊祓をされるとき河童が現れ、道案内のお手伝いをしたことにより除災招福の神の使いになったという伝承があります。
なお、本社祭神は、海上安全・交通安全・厄除け・災難除け・安産・商売繁盛の御神徳があります。
(拝殿前由緒掲示板より)
福岡市西区の中心、姪浜にあります。福岡市営地下鉄空港線の終点「姪浜駅」から北に数百mの旧唐津街道沿いにに鎮座しています。
姪浜の地名は由緒にあるように、神功皇后が三韓征伐からご帰還の際、当地の小戸の浜に上陸され、濡れた衵(あこめ)の御衣を乾かされたので衵ヶ浜、後に転じて姪浜となりました。
境内入口の鳥居にはとありました。
お聞きしたところ、みごと1000万獲得されたとのことでした。
神門から拝殿
神門をくぐると右に小さな池があり除災招福の河童が迎えてくれます。
除災招福の神の使いの河童
伊弉諾尊が禊祓をされるとき河童が現れ、道案内のお手伝いをしたことにより除災招福の神の使いになったという伝承があります。
参道から拝殿
長髪?で面白い参道の狛犬文政9年丙戌9年(1826)と刻まれています。
拝殿朱塗りの柱と白壁のコントラストがみごとです。
本殿
軒下の部分は板壁で覆われ保護されています。
奈良時代の天平15年(743年)に建てられ、室町時代の応永23年(1416年)北側の海岸近くから現在地に移転しました。
神木の公孫樹
樹齢700年、樹高14m,幹周り4.8m、かつては漁に出た舟の帰港の目印となったと伝えられています。
境内社、須賀神社
御祭神は素盞鳴尊・大己貴命・稲田姫命、本殿右にあります。
境内左には早船神社、厳島神社 少童神社など多数の石祠があります。
旧唐津街道
社前の道路は江戸時代の参勤交代などが通った唐津街道(北九州市小倉~唐津)です、今も当時の面影が感じられます。
旧唐津街道
唐津街道は、江戸時代の主な街道のひとつで、現在の北九州市小倉北区から佐賀県唐津市までの区間です。
福岡藩が長崎警備(2年に1回で、佐賀藩と交代で警備)にあたるときや唐津藩の参勤交代のときなどに通りました。唐津街道は、はじめの頃は小倉から福岡藩に入り若松、芦屋、赤間、畦町、青柳、箱崎、博多、姪浜」、今宿、前原、深江、浜崎を経て唐津に入っていましたが、後には小倉から黒崎、木屋瀬を経て赤間に至るコースになりました。
唐津街道の宿場のひとつである姪浜宿は、福岡藩の茶屋(大名や幕府役人のための宿泊所、他の街道の本陣にあたる)が置かれたほか、漁業や海運業、良質の塩の産地として栄えました。
今なお、古い町並みが残っており、昔を感じることができます。
平成12年3月
(案内板より)
姪浜住吉神社(めいのはま すみよしじんじゃ)
【鎮座地】〒819-0002 福岡県福岡市西区姪の浜3丁目5-5 旧筑前国 早良郡
【御祭神】住吉三神 志賀三神 神功皇后 武内宿禰 (合祀)菅原道眞
【例祭】 10月22日 秋季例大祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
上西区総鎮守
姪浜 住吉神社 略記
本社祭神 住吉三神 【表筒雄命・中筒雄命・底筒雄命】
神功皇后 【息長帯比売命】
志賀三神 【表津綿津見神・中津綿津見神・底津綿津見神】
武内宿禰 【武内宿禰命】
末社祭神 須賀神社 【素盞鳴尊・大己貴命・稲田姫命】
(祇園社)
事代神社 【事代主命】
大神宮 【大日霊命・天児屋根命・応神天皇】
少童神社 【事代主命・火酢芹神・少童神】
埴安神社 【埴安命】
厳島神社 【市杵嶋姫命(弁財天)】
早船神社 【彌彦神】
宇賀神社 【倉稲魂命】
由緒
住吉神社の起源は、奈良時代の天平十五年(西暦七四三年)九月二十九日の夜半、住吉明神のご出現があり、翌年四月十三日にも異国船来襲の調伏祈願の折りにご出現され、このため一宇の小社を建立し住吉三神をお祭りしたことによります。西網屋町の社がそれで、住吉古宮といいます。くだって室町時代、応永二十三(西暦一四一六)正月十四日夜のご神託により、翌年八月二十九日に牛頭社地(現、住吉神社)で新社建立・ご還座の儀式を終え、ここに住吉三神は牛頭社(現、須賀神社)と相並んで、当地の産土神として尊崇されるようになりました。
住吉三神は、『日本書紀』神代巻には、伊弉諾尊が筑紫の日向の橘の小戸の檍原(あわぎはら)で、御身の濁穢(けがれ)を禊祓われた時に出生された神と記されています。
内書巻九や『古事記』によると、神功皇后が応神天皇を胎内に宿したまま新羅に遠征された折り、住吉三神は「和魂は王身の命を守り荒魂は先鋒として軍船を導くであろう」と申されその霊験あらたか新羅軍を破り、無事帰国されました。その時、神功皇后は当地の小戸付近の浜に上陸し濡れた衵(あこめ)の御衣を乾かされたので衵ヶ浜(後、転じて姪浜)といい、宇瀰(宇美)において応神天皇を出産されたと伝えられています。
また伊弉諾尊が禊祓をされるとき河童が現れ、道案内のお手伝いをしたことにより除災招福の神の使いになったという伝承があります。
なお、本社祭神は、海上安全・交通安全・厄除け・災難除け・安産・商売繁盛の御神徳があります。
(拝殿前由緒掲示板より)
福岡市西区の中心、姪浜にあります。福岡市営地下鉄空港線の終点「姪浜駅」から北に数百mの旧唐津街道沿いにに鎮座しています。
姪浜の地名は由緒にあるように、神功皇后が三韓征伐からご帰還の際、当地の小戸の浜に上陸され、濡れた衵(あこめ)の御衣を乾かされたので衵ヶ浜、後に転じて姪浜となりました。
境内入口の鳥居にはとありました。
お聞きしたところ、みごと1000万獲得されたとのことでした。
神門から拝殿
神門をくぐると右に小さな池があり除災招福の河童が迎えてくれます。
除災招福の神の使いの河童
伊弉諾尊が禊祓をされるとき河童が現れ、道案内のお手伝いをしたことにより除災招福の神の使いになったという伝承があります。
参道から拝殿
長髪?で面白い参道の狛犬文政9年丙戌9年(1826)と刻まれています。
拝殿朱塗りの柱と白壁のコントラストがみごとです。
本殿
軒下の部分は板壁で覆われ保護されています。
奈良時代の天平15年(743年)に建てられ、室町時代の応永23年(1416年)北側の海岸近くから現在地に移転しました。
神木の公孫樹
樹齢700年、樹高14m,幹周り4.8m、かつては漁に出た舟の帰港の目印となったと伝えられています。
境内社、須賀神社
御祭神は素盞鳴尊・大己貴命・稲田姫命、本殿右にあります。
境内左には早船神社、厳島神社 少童神社など多数の石祠があります。
旧唐津街道
社前の道路は江戸時代の参勤交代などが通った唐津街道(北九州市小倉~唐津)です、今も当時の面影が感じられます。
旧唐津街道
唐津街道は、江戸時代の主な街道のひとつで、現在の北九州市小倉北区から佐賀県唐津市までの区間です。
福岡藩が長崎警備(2年に1回で、佐賀藩と交代で警備)にあたるときや唐津藩の参勤交代のときなどに通りました。唐津街道は、はじめの頃は小倉から福岡藩に入り若松、芦屋、赤間、畦町、青柳、箱崎、博多、姪浜」、今宿、前原、深江、浜崎を経て唐津に入っていましたが、後には小倉から黒崎、木屋瀬を経て赤間に至るコースになりました。
唐津街道の宿場のひとつである姪浜宿は、福岡藩の茶屋(大名や幕府役人のための宿泊所、他の街道の本陣にあたる)が置かれたほか、漁業や海運業、良質の塩の産地として栄えました。
今なお、古い町並みが残っており、昔を感じることができます。
平成12年3月
(案内板より)
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