九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

荒穂神社(佐賀県基山町)

2007-08-05 14:20:02 | 神社参拝ー九州
 荒穂神社(佐賀県基山町)を掲載しました。

 荒穂神社(あらほじんじゃ)
【鎮座地】〒841-0204 佐賀県三養基郡基山町大字宮浦2050 旧肥前国 基肄郡
【御祭神】瓊瓊杵尊 (合祀)住吉大神 春日大神 五十猛命 加茂大神 八幡大神 寶滿大神
【例祭】 9月22日 神幸祭 9月23日 神幸祭
【旧社格等】県社 式内社 肥前國基肄郡 荒穂神社
【御由緒】
 荒穂神社由緒
祭神 瓊々杵尊 五十猛命 他六社
 当社は「日本三代実録」貞観二年(八六〇)の項の荒穂天神の名で神階昇叙の記事がみえ、延喜五年(九二七)撰進の「延喜式」神名帳に社名がみえる式内社(肥前国では四社)で由緒が古く格式の高い古社である。
 藩政時代は基肄郡上郷総社・明治六年郷社 昭和三年県社・戦前は、基山村(町)の産土神社であった。
祭神は古来諸説があるが民俗学上の原初は基肄山山頂の玉々石を盤座として農業に恵みを与え、豊穣をもたらす、自然神・産霊神であると考えられる。貞享元年(一六八四)の「荒穂神社縁起」には、中央に荒穂大明神左一に下鴨大神、左二に八幡大神、右一に宝満大神、右二に春日大明神、右三に住吉大明神の六社としている。
 創建は同縁起に人皇第三十七代孝徳天皇の御代(六四五~六五四)基肄国造物部金連の後裔金村臣によるとされている。社殿は最初基山山頂にあったが、戦国の兵火にかかって転々とし、当地に造営されたのは貞享二年である。現社殿(流れ造り)の拝殿は文政二年(一八一九)神殿・中殿は安政五年(一八五八)の改建になる。神課は十二人であった。
 祭礼
歳旦祭  一月一日        茅の輪    七月三十一日より
春 祭  二月十九日       人形流し       三日間
斎 祭  五月一日より七日間   神幸祭  九月二十三日(秋分の日)
夏 祭  七月十九日       月次祭  毎月十九日
(社殿前案内板より)


 佐賀県の東端に位置し、福岡県筑紫野市に隣接する三養基郡基山町にあります。基山の麓、宮浦地区に鎮座しています。
 九州自動車道「筑紫野IC」から鳥栖筑紫野道路(かささぎロード)の「宮浦IC」で降り、県道300号線を1KMほど西に上ると右手に一の鳥居が見えてきます。

 社号碑、一の鳥居から参道
社号碑、裏に昭和3年11月17日縣社昇格とあります、一の鳥居には昭和2年5月吉日の日付があります。
 後方の山は当社の起源の盤座「玉々石」のある基山です。

  境内入口の鳥居

 拝殿 
右下に手水舎

 本殿 
見事な彫刻が随所に見られ往時が偲ばれます。

 新緑がまぶしい

 拝殿から本殿
拝殿は文政二年(1819)神殿・中殿は安政五年(1858)の改建になります。

 伝説の石
拝殿の右手にあります。
  伝説の石
右、 子宝石
   この石に腰を掛け祈願すると子が授かると言ます
中、 荒穂の神と高良の神の投合された石と伝えられ石の上部に指の跡形がついています
   荒穂の神の投げた石は高良の神の神殿の下に有る言ます
左、 荒穂の神の馬が基山の頂上より飛降りた石と伝えられ馬の蹄の跡形がついています
   この謂れが斎祭の起りと伝えられています
(案内石碑より)

境内社

  神池の水神社
社殿のある境内右手下に池があり島のようになっています。 

 境内から参道
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