5/19(土)、玄界灘沿いの佐賀県唐津市から福岡県二丈町を巡ってきました。
サッカーくじ「ビッグ」で『6億円が数本当る』と連日、新聞、テレビなどで話題になっています。
「宝くじ」が当る神社として全国的に有名になり、年間20万人が訪れる「宝当神社」にも参拝しました。
当社は佐賀県唐津市の沖合い2kmの玄界灘に浮かぶ周囲約3km、標高170mの台形の小島「高島」にあります。
天正年間、海賊の吉井圭吾を討ち、当島を治めた野崎隠岐守綱吉のの徳を慕い、その墓所に祠を建てたのが創始です。
当初は「綱吉神社」と呼ばれていましたが、島の人が「当島の宝」として改名されたと伝えられています。
宝当神社(ほうとうじんじゃ)
【鎮座地】〒847-0027 佐賀県唐津市高島523 旧肥前国 松浦郡
【御祭神】野崎綱吉
【例祭】旧暦8月23日 宝当神社祭 (祭神 野崎綱吉公の命日)
【御由緒】
祭神 野崎隠岐守綱吉(のざき おきのかみ つなよし)
天文23年(1554年)
信州は諏訪の国に生誕する。12歳 生まれつきの才能があり、哀れみの心も篤く、道理をわきまえ、礼儀も正しく、勇気と力持ちで、当時の人は、偉丈夫であると称していた。豊後の大友義鎮公につかえ、数度の軍功著しく、恩賞を戴く。
◎義鎮公は後に大友 宗麟(おおともそうりん)と名乗る。
大友義鎮公は、肥前国草野城主として草野鎮永に迎えられた。
元亀4年(1574年)3月2日
草野城は、龍造寺隆信率いる5400騎に取り囲まれる。
野崎隠岐守綱吉と原瀬久太郎久国は、やおもてに立ち奮戦。これにより、龍造寺は勢力を失い敗走した。草野城はこれで安堵したが、草野家の老臣は綱吉の勇力を恐れ、ねたみ、主家に綱吉の居場所が無いようにしむける。
同年 9月21日綱吉はやむを得ず三人を引き連れ、夜影に紛れ小船を操り高島に逃れる。
同年12月29日 龍造寺は、再度草野城に至り連戦の末、草野城を陥城した。(平原の合戦)
綱吉が高島に移り住みし頃である。
当時世人は、筑前国吉井の海賊、火山神九朗の猛悪異名に恐れおののいていた。ある日の事、吉井荊娯が神九朗の手下30余名を率いて、高島の人家を襲った。穀物や金銭を強奪し、船に積み込み、とも綱を解き、浜辺を去ろうとしていた。これを聞きつけた綱吉は、海辺に走り出て飛鳥の如く賊船に飛び乗り、帆柱を引き抜き横一文字に振りまいた。賊徒は、その場に倒れ、各自物を取って綱吉にたち向かってきた。綱吉は、車輪の如く早業で投げ飛ばし、骨折、流血、転倒、負傷をおいながわも賊徒を倒した。
生き残った者はわずか5人であった。
5人は、強奪した物を前にして命乞いをし、綱吉は、それをねんごろに諭し許した。
その後、近遠の賊船は、綱吉の勇力を聞き、二度と高島を襲うことはなかった。
天正9年(1581年)
綱吉は島民とはかり、祖先を奉る氏神として塩屋神社(山王宮)を設立。
天正12年(1585年)
綱吉の嫡男、吉道(姶称主馬之助)高島において生誕。
天正13年(1586年)8月23日
綱吉は、にわかに病に犯され再起することができず、高島において逝去。(若干32歳)
島民は、綱吉を島の大権現として葬を厚くし祠を建てる。
明治34年(1901年)
当島の宝『寶当神社』として称し、鳥居が奉献され、年々奉を催す事怠らず。ー野崎家の系図よりー
平成5年(1993年)12月1日より
宝当袋なる縁起物を、島おこしとしてこさえたあげく、宝くじが当選というご利益が現れ、宝くじが当たる神社として全国区で有名になり、今では多くの方にご参拝戴いております。塩屋神社も同様にご参拝ください。
島民一同
(社前案内板より)
『ニューたかしま』
高島へは唐津城の下から定期船、定員99名の『ニューたかしま』が出ています。所要時間:10分、料金:片道200円です。
唐津城全景
唐津城の雄姿を見ながら11:40定刻に出発しました。
松浦川河口の橋をくぐって唐津湾に出ます。正面に高島が見えます。
日本テレビ取材班
桟橋を降りると「ビッグ」はお持ちですかと聞いてきました、購入した「宝くじ」を持参して当選祈願する人が多く、今話題の「ビッグ」の祈願に来た人を取材するためでした。番組名は日曜夕方6:00からの「番記者、、」とのことで今日(5/20)放送されるかもしれません。
境内入口の鳥居
社務所から拝殿
狭い境内の右に小さな藤棚、参道を挟んで社務所があります。
お守り、お札などはありますが縁起物の宝当袋、宝くじなどはありません。
本殿
ご祭神、野崎隠岐守綱吉のご遺体がここの地中深く安置されていると伝えられています。
天正13年(1586年)に祠を建立し大権現としてお祭りし、現在の石の祠は明和5年(1768年)に建てられたものです。
「宝当の館」
宝くじ、縁起物等を販売しています。
3億円ジャンボを購入、これで3億円の当選は確約されました。
船の出港(13:20)までに時間がありましたので港の周りを散策しました。
高島漁港
初夏のそよかぜにゆれる黄色い花がきれいでした。
珍しい?小さな花道端にひっそりと咲いていました。
唐津城に戻ってきました。
サッカーくじ「ビッグ」で『6億円が数本当る』と連日、新聞、テレビなどで話題になっています。
「宝くじ」が当る神社として全国的に有名になり、年間20万人が訪れる「宝当神社」にも参拝しました。
当社は佐賀県唐津市の沖合い2kmの玄界灘に浮かぶ周囲約3km、標高170mの台形の小島「高島」にあります。
天正年間、海賊の吉井圭吾を討ち、当島を治めた野崎隠岐守綱吉のの徳を慕い、その墓所に祠を建てたのが創始です。
当初は「綱吉神社」と呼ばれていましたが、島の人が「当島の宝」として改名されたと伝えられています。
宝当神社(ほうとうじんじゃ)
【鎮座地】〒847-0027 佐賀県唐津市高島523 旧肥前国 松浦郡
【御祭神】野崎綱吉
【例祭】旧暦8月23日 宝当神社祭 (祭神 野崎綱吉公の命日)
【御由緒】
祭神 野崎隠岐守綱吉(のざき おきのかみ つなよし)
天文23年(1554年)
信州は諏訪の国に生誕する。12歳 生まれつきの才能があり、哀れみの心も篤く、道理をわきまえ、礼儀も正しく、勇気と力持ちで、当時の人は、偉丈夫であると称していた。豊後の大友義鎮公につかえ、数度の軍功著しく、恩賞を戴く。
◎義鎮公は後に大友 宗麟(おおともそうりん)と名乗る。
大友義鎮公は、肥前国草野城主として草野鎮永に迎えられた。
元亀4年(1574年)3月2日
草野城は、龍造寺隆信率いる5400騎に取り囲まれる。
野崎隠岐守綱吉と原瀬久太郎久国は、やおもてに立ち奮戦。これにより、龍造寺は勢力を失い敗走した。草野城はこれで安堵したが、草野家の老臣は綱吉の勇力を恐れ、ねたみ、主家に綱吉の居場所が無いようにしむける。
同年 9月21日綱吉はやむを得ず三人を引き連れ、夜影に紛れ小船を操り高島に逃れる。
同年12月29日 龍造寺は、再度草野城に至り連戦の末、草野城を陥城した。(平原の合戦)
綱吉が高島に移り住みし頃である。
当時世人は、筑前国吉井の海賊、火山神九朗の猛悪異名に恐れおののいていた。ある日の事、吉井荊娯が神九朗の手下30余名を率いて、高島の人家を襲った。穀物や金銭を強奪し、船に積み込み、とも綱を解き、浜辺を去ろうとしていた。これを聞きつけた綱吉は、海辺に走り出て飛鳥の如く賊船に飛び乗り、帆柱を引き抜き横一文字に振りまいた。賊徒は、その場に倒れ、各自物を取って綱吉にたち向かってきた。綱吉は、車輪の如く早業で投げ飛ばし、骨折、流血、転倒、負傷をおいながわも賊徒を倒した。
生き残った者はわずか5人であった。
5人は、強奪した物を前にして命乞いをし、綱吉は、それをねんごろに諭し許した。
その後、近遠の賊船は、綱吉の勇力を聞き、二度と高島を襲うことはなかった。
天正9年(1581年)
綱吉は島民とはかり、祖先を奉る氏神として塩屋神社(山王宮)を設立。
天正12年(1585年)
綱吉の嫡男、吉道(姶称主馬之助)高島において生誕。
天正13年(1586年)8月23日
綱吉は、にわかに病に犯され再起することができず、高島において逝去。(若干32歳)
島民は、綱吉を島の大権現として葬を厚くし祠を建てる。
明治34年(1901年)
当島の宝『寶当神社』として称し、鳥居が奉献され、年々奉を催す事怠らず。ー野崎家の系図よりー
平成5年(1993年)12月1日より
宝当袋なる縁起物を、島おこしとしてこさえたあげく、宝くじが当選というご利益が現れ、宝くじが当たる神社として全国区で有名になり、今では多くの方にご参拝戴いております。塩屋神社も同様にご参拝ください。
島民一同
(社前案内板より)
『ニューたかしま』
高島へは唐津城の下から定期船、定員99名の『ニューたかしま』が出ています。所要時間:10分、料金:片道200円です。
唐津城全景
唐津城の雄姿を見ながら11:40定刻に出発しました。
松浦川河口の橋をくぐって唐津湾に出ます。正面に高島が見えます。
日本テレビ取材班
桟橋を降りると「ビッグ」はお持ちですかと聞いてきました、購入した「宝くじ」を持参して当選祈願する人が多く、今話題の「ビッグ」の祈願に来た人を取材するためでした。番組名は日曜夕方6:00からの「番記者、、」とのことで今日(5/20)放送されるかもしれません。
境内入口の鳥居
社務所から拝殿
狭い境内の右に小さな藤棚、参道を挟んで社務所があります。
お守り、お札などはありますが縁起物の宝当袋、宝くじなどはありません。
本殿
ご祭神、野崎隠岐守綱吉のご遺体がここの地中深く安置されていると伝えられています。
天正13年(1586年)に祠を建立し大権現としてお祭りし、現在の石の祠は明和5年(1768年)に建てられたものです。
「宝当の館」
宝くじ、縁起物等を販売しています。
3億円ジャンボを購入、これで3億円の当選は確約されました。
船の出港(13:20)までに時間がありましたので港の周りを散策しました。
高島漁港
初夏のそよかぜにゆれる黄色い花がきれいでした。
珍しい?小さな花道端にひっそりと咲いていました。
唐津城に戻ってきました。
でもコツコツと宝くじは買い続けています。続ける事が肝心です。サッカーくじも買いました。
それから珍しい花は露草の一種(セトクレアセア・パリダ)です。珍しくないです。ではまた・・・
それにしても「セトクレアセア・パリダ」云いにくい名前ですね。
英名 (purple heart)、園芸名 紫御殿(ムラサキゴテン)とありました、こちらは何となくしっくりきます。
今度の3億円は1口予約してきましたのでご期待ください。