
埴生神社(福岡県中間市)を掲載しました。
埴生神社(はにゅうじんじゃ)
【鎮座地】〒809-0001 福岡県中間市大字垣生424 旧筑前国 遠賀郡
【御祭神】應神天皇 仲哀天皇 神功皇后
(合祀)天照大神 素盞嗚命 日本武命 天兒屋根命 保食神 別雷命 底筒男命
事解男之命 布津御魂神 猿田彦神 武甕槌命 大山咋命 譽田別命 禍津日神
伊弉册尊
【例祭】10月13日 例祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
御祭神 仲哀天皇 神功皇后 應神天皇
相殿 天照皇大神
十五社神社(昭和二十七年十月合祀)
当社は昔 仲哀天皇、神功皇后と御船にて この埴生の地にお着きになられ暫く熊襲征伐の行宮の旧跡にて航海の安全を祈念され船魂を祀られた由緒によりて「開運(武運) 家内安全 縁結び 安産 交通安全」の守護神として諸大名を始め人々の崇敬を厚く受けてきた。
社説に曰く、「当社は埴生郷の大社なり。埴生郷は西北数ヶ村を包合せる大村である。」また源順の古書和名類聚抄に「岡の六郷の第一なり」と記されている。
当時としては社殿も大社造りであったが戦国時代、度重なる大友軍の兵火により焼失。その後、元亀二年(一五七一年)花尾城主 麻生隆實によって現在の地に社殿が再建された。
また、昭和二十七年に十五社神社を合祀し、埴生八幡宮を埴生神社に社名変更。氏子を始め近隣市郡の人々の崇敬厚く今日に至る。
例祭日 十月十三日 北九州市、遠賀郡、中間市の神職による「筑前御殿神楽」奉納
境内地 桜(三月下旬~四月上旬)
ツツジ(四月中旬~四月下旬) 見頃
(境内案内板より)
北九州市八幡西区に隣接し、ベットタウンとして発展している中間市にあります。
JR福北ゆたか線、筑前垣生駅から徒歩約5分、市民の憩いの場「垣生公園」の高台に鎮座。
一の鳥居(大正11年建立)をくぐり、朱の欄干の太鼓橋をわたると長い階段の参道が続きます。
参道の鳥居(二の鳥居)
安永七年(1778年)の年号が見られます。
参道から拝殿
参道を上りきると境内左手に手水舎、正面に社殿、最近改修されたようです。
手水舎から拝殿

本殿
仲哀天皇と神功皇后が熊襲征伐の折、この地に暫く滞在された行宮の旧跡で、航海の安全を祈念され船魂を祀られたと伝えられています。
絵馬
中には、ほほ笑ましいのも見られます。
狛犬
参道および境内に年代を感じさせる狛犬が多数奉納されています。
参道
朱の太鼓橋
池にはボートを楽しむ人も。
埴生神社(はにゅうじんじゃ)
【鎮座地】〒809-0001 福岡県中間市大字垣生424 旧筑前国 遠賀郡
【御祭神】應神天皇 仲哀天皇 神功皇后
(合祀)天照大神 素盞嗚命 日本武命 天兒屋根命 保食神 別雷命 底筒男命
事解男之命 布津御魂神 猿田彦神 武甕槌命 大山咋命 譽田別命 禍津日神
伊弉册尊
【例祭】10月13日 例祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
御祭神 仲哀天皇 神功皇后 應神天皇
相殿 天照皇大神
十五社神社(昭和二十七年十月合祀)
当社は昔 仲哀天皇、神功皇后と御船にて この埴生の地にお着きになられ暫く熊襲征伐の行宮の旧跡にて航海の安全を祈念され船魂を祀られた由緒によりて「開運(武運) 家内安全 縁結び 安産 交通安全」の守護神として諸大名を始め人々の崇敬を厚く受けてきた。
社説に曰く、「当社は埴生郷の大社なり。埴生郷は西北数ヶ村を包合せる大村である。」また源順の古書和名類聚抄に「岡の六郷の第一なり」と記されている。
当時としては社殿も大社造りであったが戦国時代、度重なる大友軍の兵火により焼失。その後、元亀二年(一五七一年)花尾城主 麻生隆實によって現在の地に社殿が再建された。
また、昭和二十七年に十五社神社を合祀し、埴生八幡宮を埴生神社に社名変更。氏子を始め近隣市郡の人々の崇敬厚く今日に至る。
例祭日 十月十三日 北九州市、遠賀郡、中間市の神職による「筑前御殿神楽」奉納
境内地 桜(三月下旬~四月上旬)
ツツジ(四月中旬~四月下旬) 見頃
(境内案内板より)
北九州市八幡西区に隣接し、ベットタウンとして発展している中間市にあります。
JR福北ゆたか線、筑前垣生駅から徒歩約5分、市民の憩いの場「垣生公園」の高台に鎮座。
一の鳥居(大正11年建立)をくぐり、朱の欄干の太鼓橋をわたると長い階段の参道が続きます。
参道の鳥居(二の鳥居)

安永七年(1778年)の年号が見られます。
参道から拝殿

参道を上りきると境内左手に手水舎、正面に社殿、最近改修されたようです。
手水舎から拝殿


本殿

仲哀天皇と神功皇后が熊襲征伐の折、この地に暫く滞在された行宮の旧跡で、航海の安全を祈念され船魂を祀られたと伝えられています。
絵馬

中には、ほほ笑ましいのも見られます。
狛犬

参道および境内に年代を感じさせる狛犬が多数奉納されています。
参道

朱の太鼓橋

ずっと、はぶ神社と思っていましたが、はにゅう神社なんですね。
日頃宮司さんはいませんが、今年の正月にご朱印をいただきました。
(境内、社前等に由緒板等案内があればそちらを優先するようにもしています。)
時々明らかな間違い(誤植)が見られますので神社に電話して確認しました。
祝詞では「はにゅう、(はにふ)」と言うそうですのでこちらが正式かと思いますが
「はにゅう」「はぶ」どちらでも良いそうです。
由緒に『源の須之和名抄によると当社は岡の六郷の第一なり、当所より西北数ケ村埴生郷の内なりしに、中古夫々村名分かれて数ケ村となり今は埴生村の村社となれり。』とあるようにもとはこの地区は「埴生(はにゅう)」と呼ばれていたものが、転じて「垣生(はぶ)」となったようですね。