水天宮(福岡県久留米市)をフォトギャラリー(福岡)に掲載しました。
JR久留米駅から西方に徒歩で約15分、筑後川の河畔の約7000坪の広大な敷地に鎮座されています。
御祭神は
天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)、安徳天皇(あんとくてんのう)、
建礼門院(けんれいもんいん、安徳天皇の母)、二位の尼(にいのあま、安徳天皇の祖母)の四柱。
由来は寿永4年(1185)3月24日の壇ノ浦の合戦の後、高倉平中宮(建礼門院)に仕えていた、女官按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ…後に千代と改名した)が建久初年(1190)、千歳川(現筑後川)河畔の鷺野(さぎの)に水天宮を祀ったのが始まりであると言われています。
水天宮は水徳の神であり水難、安産、火災、疫病、除災の霊験を以って知られ、海運、農業、商業の信仰篤く、子供の守護神としても有名であり、筑後一円では春の大祭に子供を参拝せしめる習慣があります。
この水天宮は全国水天宮の総本社であり、東京の水天宮は藩主有馬頼徳(よりのり)が文政元年(1818)にここから江戸に分霊したものです。
境内には明治維新の先駆者真木泉守保臣を祀る真木神社や水天宮の創建者である按察使局伊勢を祀る千代松神社などがあり、また河童発祥地といわれています。
境内から筑後川の景観
JR久留米駅から西方に徒歩で約15分、筑後川の河畔の約7000坪の広大な敷地に鎮座されています。
御祭神は
天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)、安徳天皇(あんとくてんのう)、
建礼門院(けんれいもんいん、安徳天皇の母)、二位の尼(にいのあま、安徳天皇の祖母)の四柱。
由来は寿永4年(1185)3月24日の壇ノ浦の合戦の後、高倉平中宮(建礼門院)に仕えていた、女官按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ…後に千代と改名した)が建久初年(1190)、千歳川(現筑後川)河畔の鷺野(さぎの)に水天宮を祀ったのが始まりであると言われています。
水天宮は水徳の神であり水難、安産、火災、疫病、除災の霊験を以って知られ、海運、農業、商業の信仰篤く、子供の守護神としても有名であり、筑後一円では春の大祭に子供を参拝せしめる習慣があります。
この水天宮は全国水天宮の総本社であり、東京の水天宮は藩主有馬頼徳(よりのり)が文政元年(1818)にここから江戸に分霊したものです。
境内には明治維新の先駆者真木泉守保臣を祀る真木神社や水天宮の創建者である按察使局伊勢を祀る千代松神社などがあり、また河童発祥地といわれています。
境内から筑後川の景観
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