別宮八幡社(大分県豊後高田市)を掲載しました。
別宮八幡社(べつぐうはちまんしゃ)
<通称>八幡様(はちまんさま)
【鎮座地】〒872-1207 大分県豊後高田市見目885 旧豊後国 国東郡
【御祭神】譽田別命 息長足姫命 市杵嶋姫命 田心姫命 湍津姫命
【例祭】4月2日 例祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
創立は元正天皇の養老年間(七一七)、宇佐神宮の分霊を鎮め奉りて別宮の名がある。
古く社殿は大字見目伏原にあって、永延年間(九八八)、営造の棟礼今催に遺り留まっている。
長享年間社人宝庫の什物を奉斎し、豊前国京都郡稲光村に至る。
依ってその遺宝を奉じて鎮祭せしを国埼八幡と称す。
その社の旧記に「当社往古豊後の国、見目という処より八幡宮を勧請す」とあり。
正親町天皇の天正十四年(一五八六)の兵乱に残余の宝物も焼亡し唯永安後造営の棟礼のみを存す。その後、異国降伏の祈祷ありて武者役祭というを行い、十二番の流鏑馬をなし後例現となる。
明治五年、郷社に列せられ、更に昭和十三年、県社に昇格す。
(平成祭データ)
国東半島の北西部、豊後高田市の中心部より周防灘沿いの国道213号線をおよそ20km北上した香々地(旧西国東郡香々地町)にあります。
境内は香々地小学校に隣接し、松林に囲まれて鎮座されています。国東半島に4カ所ある宇佐八幡宮の別宮社の一つで、その内でも規模は随一です。
潮観橋 「潮観橋序碑」と石燈籠
昭和57年㋂30日、県指定有形文化財です。
安政年間(1854~60)に建造された石橋、参道はこの橋を渡ります。
鳥居から楼門
鳥居をくぐると松林に囲まれた平坦な参道の向こうに荘厳な造りの楼門が見えます。
狛犬鳥居の前の亀?に乗った狛犬。
楼門
明治12年(1879)棟梁日田の宮大工(専蔵)と地元の大工とのコラボレーションにより完成しました。
木鼻など随所にみごとな彫刻が施されて往時が偲ばれます。
拝殿
両脇には珍しい形をした灯篭などが多数奉納されています、左手に手水舎。
横に長い建物です、その奥に幣殿から本殿が独立して並んでいます。
本殿
本殿にも竜の彫刻など見事な匠の技が見られます。左右に立派な社殿が並んでいます。
別宮八幡社碑
由緒が書かれています、明治36年の文字が読み取れますのでこの年に奉納されたと思われます。
拝殿から楼門
別宮八幡社(べつぐうはちまんしゃ)
<通称>八幡様(はちまんさま)
【鎮座地】〒872-1207 大分県豊後高田市見目885 旧豊後国 国東郡
【御祭神】譽田別命 息長足姫命 市杵嶋姫命 田心姫命 湍津姫命
【例祭】4月2日 例祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
創立は元正天皇の養老年間(七一七)、宇佐神宮の分霊を鎮め奉りて別宮の名がある。
古く社殿は大字見目伏原にあって、永延年間(九八八)、営造の棟礼今催に遺り留まっている。
長享年間社人宝庫の什物を奉斎し、豊前国京都郡稲光村に至る。
依ってその遺宝を奉じて鎮祭せしを国埼八幡と称す。
その社の旧記に「当社往古豊後の国、見目という処より八幡宮を勧請す」とあり。
正親町天皇の天正十四年(一五八六)の兵乱に残余の宝物も焼亡し唯永安後造営の棟礼のみを存す。その後、異国降伏の祈祷ありて武者役祭というを行い、十二番の流鏑馬をなし後例現となる。
明治五年、郷社に列せられ、更に昭和十三年、県社に昇格す。
(平成祭データ)
国東半島の北西部、豊後高田市の中心部より周防灘沿いの国道213号線をおよそ20km北上した香々地(旧西国東郡香々地町)にあります。
境内は香々地小学校に隣接し、松林に囲まれて鎮座されています。国東半島に4カ所ある宇佐八幡宮の別宮社の一つで、その内でも規模は随一です。
潮観橋 「潮観橋序碑」と石燈籠
昭和57年㋂30日、県指定有形文化財です。
安政年間(1854~60)に建造された石橋、参道はこの橋を渡ります。
鳥居から楼門
鳥居をくぐると松林に囲まれた平坦な参道の向こうに荘厳な造りの楼門が見えます。
狛犬鳥居の前の亀?に乗った狛犬。
楼門
明治12年(1879)棟梁日田の宮大工(専蔵)と地元の大工とのコラボレーションにより完成しました。
木鼻など随所にみごとな彫刻が施されて往時が偲ばれます。
拝殿
両脇には珍しい形をした灯篭などが多数奉納されています、左手に手水舎。
横に長い建物です、その奥に幣殿から本殿が独立して並んでいます。
本殿
本殿にも竜の彫刻など見事な匠の技が見られます。左右に立派な社殿が並んでいます。
別宮八幡社碑
由緒が書かれています、明治36年の文字が読み取れますのでこの年に奉納されたと思われます。
拝殿から楼門
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