
正八幡神社(福岡県行橋市)を掲載しました。
正八幡神社(しょうはちまんじんじゃ)
<通称>正の宮(しょうのみや)
【鎮座地】〒824-0001 福岡県行橋市行事7-17-1 旧豊前国 京都郡
【御祭神】譽田別命 比大神 氣長足姫
【例祭】 2月11日 建国祭・祈年祭 5月2日 神幸祭 5月3日 神幸祭 5月4日 神幸祭 5月5日 神幸祭 10月17日 神
嘗祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
正ノ宮正八幡神社由緒
その昔、当正ノ宮正八幡神社は、行事村・草野村・長音寺村・大橋村・宮市村・小部埜村六ヶ村の土地の霊魂を、この地に一ヶ所に集めて地底に封じ込めて小さな祠を造営し、「産土正宮」として六村の地域住民に崇められていました。
ところが貞観元年(八五九)のこと、宇佐八幡宮を京都の男山に勧請の際に、その御神輿の御旅所としてこの地に仮殿を構えて安置申し上げることがありました。そして翌朝御神輿が出発なされた後に、木綿垂を附けて献納したはずの榊が一本残されていたのを、人々はこれを大神御心にちがいないとして、その榊を大神の御璽として正宮の祠内に納めて宇佐八幡神を勧請申し上げました。
以後は「八幡正宮」と称して産徒の信仰も厚く往時には光養寺・東光寺・神宮寺と呼ばれた神護寺もあって、華麗な社殿が並び建ち多くの社家、社僧が奉仕したと言われるが、応永年間大友氏鑑の兵火に焼亡して今はただその地名を残しているだけであります。
寛永十年の夏の大祓祭の折「いんしゅ撃ち(宮市河原を挟んで石つぶてを投げ合う行事、あるいは青竹で叩き合う行事ともいわれる)」の神事が昂じて多くの怪我人が出るに及び、永い争論の末三村が離脱して現在のように行事・草野・長音寺三村の産土神として尊崇されてきました。
御祭神 誉田別命(応神天皇)・気長足姫命(神功皇后)・比大神。
境内社 水神社・火祖神社・菅原神社・厳島神社。
(平成祭データ)
福岡県行橋市にあります。JR日豊線行橋駅から北に300m、長峡川を越えて行事地区の日豊線の線路の側に鎮座しています。
「行橋」の名称のいわれは、明治22(1889)年、京都都行事村、仲津郡大橋村、宮市村の三村が合併。「行橋」は、行事の「行」と大橋の「橋」を採用し施行された町名です。(社前案内板)
社号標から二の鳥居
享保3年(1718)9月吉祥日の日付のある一の鳥居に続いて、すぐにあります。
社号標は皇紀2600年記念の建立、陸軍大将 松井石根書とあります。氏は南京大虐殺の責任者(BC級戦犯)として昭和23年12月巣鴨プリズンで処刑されています。
猿田彦大神
鳥居をくぐってすぐ参道左に2基並んであります。
右は大正十三年、左には明治三十四年と刻まれています。
参道の石橋
境内入口社前の壱之橋(昭和3年11月建設の石橋)に続いて弐之橋が参道途中の神池に架けられています。参道から境内は綺麗に整備されています。
境内社
参道右、神池の側にあります、厳島神社と思われます。
後方は最近高架化されたJR日豊線、右に300mで行橋駅です。
参道の狛犬から手水舎
参道左にあります。
右には小山の上に境内社、菅原神社です。
拝殿

郷社の風格が漂う白木の美しい社殿です、最近改修されたのかわりと新しく感じます。扁額には「正八幡宮」とあります。
本殿

本殿はコンクリートブロックの瑞垣に囲まれています。
貞観元年(859)、宇佐八幡神を勧請して創建されました。御祭神は誉田別命(応神天皇)・気長足姫命(神功皇后)・比大神の3柱。
彫刻もシンプルですが、そことなく雰囲気があります。
境内社
拝殿左に隣接してあります。
御祭神、迦具土大神の火祖神社です。
境内社
拝殿右側にあります。罔象賣命・闇?神・高?神を祀る水神社です。
拝殿から参道
社殿前境内はわりと広くゆったりとしています。
正八幡神社(しょうはちまんじんじゃ)
<通称>正の宮(しょうのみや)
【鎮座地】〒824-0001 福岡県行橋市行事7-17-1 旧豊前国 京都郡
【御祭神】譽田別命 比大神 氣長足姫
【例祭】 2月11日 建国祭・祈年祭 5月2日 神幸祭 5月3日 神幸祭 5月4日 神幸祭 5月5日 神幸祭 10月17日 神
嘗祭
【旧社格等】郷社
【御由緒】
正ノ宮正八幡神社由緒
その昔、当正ノ宮正八幡神社は、行事村・草野村・長音寺村・大橋村・宮市村・小部埜村六ヶ村の土地の霊魂を、この地に一ヶ所に集めて地底に封じ込めて小さな祠を造営し、「産土正宮」として六村の地域住民に崇められていました。
ところが貞観元年(八五九)のこと、宇佐八幡宮を京都の男山に勧請の際に、その御神輿の御旅所としてこの地に仮殿を構えて安置申し上げることがありました。そして翌朝御神輿が出発なされた後に、木綿垂を附けて献納したはずの榊が一本残されていたのを、人々はこれを大神御心にちがいないとして、その榊を大神の御璽として正宮の祠内に納めて宇佐八幡神を勧請申し上げました。
以後は「八幡正宮」と称して産徒の信仰も厚く往時には光養寺・東光寺・神宮寺と呼ばれた神護寺もあって、華麗な社殿が並び建ち多くの社家、社僧が奉仕したと言われるが、応永年間大友氏鑑の兵火に焼亡して今はただその地名を残しているだけであります。
寛永十年の夏の大祓祭の折「いんしゅ撃ち(宮市河原を挟んで石つぶてを投げ合う行事、あるいは青竹で叩き合う行事ともいわれる)」の神事が昂じて多くの怪我人が出るに及び、永い争論の末三村が離脱して現在のように行事・草野・長音寺三村の産土神として尊崇されてきました。
御祭神 誉田別命(応神天皇)・気長足姫命(神功皇后)・比大神。
境内社 水神社・火祖神社・菅原神社・厳島神社。
(平成祭データ)
福岡県行橋市にあります。JR日豊線行橋駅から北に300m、長峡川を越えて行事地区の日豊線の線路の側に鎮座しています。
「行橋」の名称のいわれは、明治22(1889)年、京都都行事村、仲津郡大橋村、宮市村の三村が合併。「行橋」は、行事の「行」と大橋の「橋」を採用し施行された町名です。(社前案内板)
社号標から二の鳥居

享保3年(1718)9月吉祥日の日付のある一の鳥居に続いて、すぐにあります。
社号標は皇紀2600年記念の建立、陸軍大将 松井石根書とあります。氏は南京大虐殺の責任者(BC級戦犯)として昭和23年12月巣鴨プリズンで処刑されています。
猿田彦大神

右は大正十三年、左には明治三十四年と刻まれています。
参道の石橋

境内入口社前の壱之橋(昭和3年11月建設の石橋)に続いて弐之橋が参道途中の神池に架けられています。参道から境内は綺麗に整備されています。
境内社

後方は最近高架化されたJR日豊線、右に300mで行橋駅です。
参道の狛犬から手水舎

右には小山の上に境内社、菅原神社です。
拝殿


郷社の風格が漂う白木の美しい社殿です、最近改修されたのかわりと新しく感じます。扁額には「正八幡宮」とあります。
本殿


本殿はコンクリートブロックの瑞垣に囲まれています。
貞観元年(859)、宇佐八幡神を勧請して創建されました。御祭神は誉田別命(応神天皇)・気長足姫命(神功皇后)・比大神の3柱。
彫刻もシンプルですが、そことなく雰囲気があります。
境内社

御祭神、迦具土大神の火祖神社です。
境内社

拝殿から参道
