北九州市出身の作家、松本清張(1909~1992)が復員後、昭和20年(1945)から約8年間住んだ小倉北区の旧居が、生誕101年にあたる12月21日から清張ファンでつくる「清張の会」により一般公開されました。
場所は黒住町とのことで、自宅のすぐ近くで町内会のような場所です。数日前から電柱などに一般公開の案内が張られていて、気になっていました。案内をたよりに行って見ると、自宅から数10mのすぐそばでした。
一般公開は12月21日より一年間、開館は午前10時~午後5時。無料。年末年始も開館とのことです。
旧居への入りぐち、黒住商店街
今の自宅に越してきた20数年前と違って商店街とは名ばかりですっかりシャッター街となって、建物も取り壊されて駐車場も目立ちます。
黒住公園
商店街を進むと右にあります。お年寄りは早朝からゲートボール、子供たちはサッカー、キャッチボールなど、楽しんでいます。
ヒヨドリ
近くのお宅の庭先にいました。以前は全く興味はありませんでしたが、いまでは、どんな鳥でも気になります。
商店街の終点左に入り4軒目が旧居です。
正面の山は足立山です。
旧居全景
玄関
玄関を入ると左が6畳間の書斎、奥、四畳半の部屋、左奥は四畳半の茶の間となっています。
執筆中の清張玄関に掲げてあります。
書斎 当時の写真をもとに再現されています。
この部屋で、デビュー作の短編「西郷札」、53年には「芥川賞を受賞した「或る『小倉日記』伝」が生まれました。
茶の間
昭和のレトロを感じさせる雰囲気が漂います。右奥は台所です。
庭狭いですがちょとした家庭菜園などできそうです。
史跡
松本清張小倉旧居
この家は、小倉陸軍造兵廠職員住宅として昭和11年頃建設されました。
1945(昭和20)年日本の敗戦にともない、造兵廠は米軍に接収され、同時に多くの職員住宅が空き家となりました。
終戦後、朝鮮から復員したばかりの松本清張さんが同じ朝日新聞の同僚の紹介で1945(昭和20)年にこの家を借り受け1952(昭和27)年に購入しました。
この間、朝日新聞に勤めるかたわら創作活動に取り組み、1950(昭和25)年週刊朝日が募集した100万人の懸賞小説に応募、「西郷札」が三等に入選、作家としてのデビューを果たしました。
つづいて1952(昭和28)年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞受賞、その年の暮、朝日新聞東京本社へ転勤となりました。
翌年の1953(昭和29)年6月に、朝日新聞の同僚水野シズコさんが松本清張さんからこの家を購入、爾来、親子三代にわたって大事に守り続けて来ました。
(現地案内板より)
住所 〒802-0056 北九州市小倉北区黒住町16-14 Tel O93-931-4515
場所は黒住町とのことで、自宅のすぐ近くで町内会のような場所です。数日前から電柱などに一般公開の案内が張られていて、気になっていました。案内をたよりに行って見ると、自宅から数10mのすぐそばでした。
一般公開は12月21日より一年間、開館は午前10時~午後5時。無料。年末年始も開館とのことです。
旧居への入りぐち、黒住商店街
今の自宅に越してきた20数年前と違って商店街とは名ばかりですっかりシャッター街となって、建物も取り壊されて駐車場も目立ちます。
黒住公園
商店街を進むと右にあります。お年寄りは早朝からゲートボール、子供たちはサッカー、キャッチボールなど、楽しんでいます。
ヒヨドリ
近くのお宅の庭先にいました。以前は全く興味はありませんでしたが、いまでは、どんな鳥でも気になります。
商店街の終点左に入り4軒目が旧居です。
正面の山は足立山です。
旧居全景
玄関
玄関を入ると左が6畳間の書斎、奥、四畳半の部屋、左奥は四畳半の茶の間となっています。
執筆中の清張玄関に掲げてあります。
書斎 当時の写真をもとに再現されています。
この部屋で、デビュー作の短編「西郷札」、53年には「芥川賞を受賞した「或る『小倉日記』伝」が生まれました。
茶の間
昭和のレトロを感じさせる雰囲気が漂います。右奥は台所です。
庭狭いですがちょとした家庭菜園などできそうです。
史跡
松本清張小倉旧居
この家は、小倉陸軍造兵廠職員住宅として昭和11年頃建設されました。
1945(昭和20)年日本の敗戦にともない、造兵廠は米軍に接収され、同時に多くの職員住宅が空き家となりました。
終戦後、朝鮮から復員したばかりの松本清張さんが同じ朝日新聞の同僚の紹介で1945(昭和20)年にこの家を借り受け1952(昭和27)年に購入しました。
この間、朝日新聞に勤めるかたわら創作活動に取り組み、1950(昭和25)年週刊朝日が募集した100万人の懸賞小説に応募、「西郷札」が三等に入選、作家としてのデビューを果たしました。
つづいて1952(昭和28)年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞受賞、その年の暮、朝日新聞東京本社へ転勤となりました。
翌年の1953(昭和29)年6月に、朝日新聞の同僚水野シズコさんが松本清張さんからこの家を購入、爾来、親子三代にわたって大事に守り続けて来ました。
(現地案内板より)
住所 〒802-0056 北九州市小倉北区黒住町16-14 Tel O93-931-4515
記事が更新されている。うれしい~
今度は松本清張ですか…
なんとなく、私が勝手に想像していたnoyamaさんのお部屋と清張の書斎が似ています。(火鉢までは登場しませんが…笑)
一般公開も随分長いのですね。地域の方の愛情を感じました。
北九州は親切な方が多いのですね。
私は、北九州で事故に遭い宮崎病院に入院した事があります。私は病院が大嫌いで、どういう気持ちで過ごすか悩んでいたら、親切な古い入院患者さんから「ここは、病院の方針で売店はありません。みんなで助けあうように、退院した方の置いていかれた物や、ない物があれば私に言って下さいね。」と言われ、心が溶けました。その後も、動けない私の為に細やかな気配りをし、他の方にもされていました。全体的にそのような意識の方達ばかりでした。素敵な病院です。
松本清張の家。北九州に、また1つ訪れたい場所が増えました。もう1つは、白野江植物公園です。ここは、お花を楽しみたいです。noyamaさんは紹介するのが上手ですね。ボランティアのガイドさんとかされたら、大人気!モテモテ!かもですよ。
さて 北九州見学を真剣に考えなくては・・・
小生の部屋も多くの本で一杯です。いわゆる積読で中には読んでないのもあります。最近は記憶力も落ちて、ある記事を探すときなど以前読んだ本がすぐに出てきません。
まもなく、また一つ歳を取りますが、お断りするわけにもいかず、困ったものです。
早速、松本清張記念館に年末年始のお休みを聞こうと電話をしたら、「営業時間は終了しました。」のみでした。ウ~ン残念。
noyamaさん。みんな歳を取りますよ~。私も1つもらいます。歳は関係ないですよ~ 心ですよ~
年末 (12月29日~12月31日)のみとなっていますので、元旦から開館しているようです。
公式サイト
http://www.kid.ne.jp/seicho/html/access.html
近くに八坂神社がありますので、初詣で賑わうと思います。
新年がよい年でありますようお祈りいたします。