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ベトナム(ホーチミン)視察記

2012年10月07日 09時31分54秒 | 海外経済
9/28~10/4でベトナム(ホーチミン&ハノイ)とマレーシア(クアラルンプール&マラッカ)を視察してきました。アジアは多くの国を訪問していますが今回のベトナムは数年前にチャンスを逃していて初めての訪問でした。今日は先ず最初の訪問地であるホーチミン市の感想を記します。
ホーチミン市は南北に長いベトナムの南に位置するので成田から約6時間一寸の長いフライトでした。5月~10月は雨季なのでホーチミン空港についてらどんよりした曇り空でやや蒸し暑い天気でしたが幸い雨は落ちませんでした。
ベトナムの首都は北の中国にも近い「ハノイ」ですが最大の都市で経済の中心はこの「ホーチミン」です。奇跡と思われた米国との戦争に勝ってベトナム戦争当時は「サイゴン市」と呼ばれていた名称を立国の英雄「ホー・チ・ミン氏」の名を取って今の「ホーチミン市」に変ったのは記憶に新しいところです。

以下ホーチミン市訪問で気付いた事を列記します。

1、1867年以降太平洋戦争までフランスの植民地だった事で市の中心部には到る所にフランスの香りがするお洒落な建物が多く建っていて、1960年12月~1975年4月30日のベトナム戦争の傷跡が殆ど目立たない思った以上に端正な街でした。丁度1990年頃訪れたタイのバンコク市に似た雰囲気でした。ただ街角にまだ乞食がいるのが哀れでした。

2、市の内外は日本資本が多く入っていて活発な産業振興中ですが、近年の急激過ぎた土地価格の上昇はその反動で今年40%も下落したそうで、今後の外資の導入は一服感がありますが、経済活動自体は順調で外資メーカの工場が順次稼動を始め雇用も改善し景況感は良いようです。

3、現地ガイドの話では政治は完全に北のハノイに掌握されているが経済ではホーチミンの方が活発で発展しているとの話ですが、ベトナム戦争で旧サイゴン陥落後、南の要人、知識層、富裕層は殆ど国を脱出したそうです。

4、人口が9千万人近くで元気な若者層が多いのと社会主義国で仏教徒が80%の人口構成で真面目な国民性もあり、その安くて豊かな労働力が魅力なので当面は隣の中国のカントリーリスクを逃れてくる輸出目的の工場の進出などの期待が大きい。

5、東南アジア共通の政策で車の関税が高いので(100%)市内はスクーターとオートバイだらけで殆ど車道を占領して走る風景で、おまけに暑い国のせいかエアコンの無い家にいるより良いのか、勤務が終わった後の夜に特に目的も無く市内を家族で夕涼みドライブする習慣があるそうで、夜はいよいよスクーター&オートバイのラッシュでした。

6、車もスクーターも日本メーカが大半で車はトヨタオートバイはホンダが多いそうですが、ガイドの話では近年トヨタは事故の際に脆いと言う理由で欧州プジョーや韓国ヒュンダイ等に押されているそうです。またオートバイはホンダが仕様で現地向き対応をしてくれないとの理由で現地対応をやってくれるヤマハが人気だそうです。

7、街の人民はまだ質素な服が多く、アオザイを着た女性は主に観光スポットの販売員や高級レストランスタッフには見られましたが普段着ではなさそうです。また伝統的な麦わらで作った山笠帽子は街の到る所に居る行商の女性に多く見られました。

総括するとホーチミン市は土地バブルの崩壊で一寸一服感があるものの発展途上の元気な街でした写真を多数フォトチャンネルに掲載しましたのでご覧下さい!