パナマ文書が世界を震撼させている中、フィリピンではバナナの木を枯らしてしまう感染症が流行しており、この病気を「新パナマ病」と言うのだそうです。
今でこそ安価な果物のバナナですが、私が幼少期は八百屋さんに注文しないと入ってこない高価な果物で、トラックでバナナ売りが行商に来ることもありましたがその多くは「台湾バナナ」と呼ばれる種類でした。
そのうち、テレビコマーシャルで「チキータバナナ」と呼ばれるバナナを宣伝していましたが、チキータはUSAの貿易会社だと知ったのははるかに後のことで、チキータと言うバナナ栽培をしている国があるのかと思ってました。
昭和40年に砂田と言う代議士の会社に裏金を渡しバナナ輸入の独占利権を得ていたことが問題になった砂田商事事件がありました。松野頼三なんかも引っかかったと記憶していますが、昭和43年に大手商社によるフィリピンや南米からのバナナの輸入が始まります。それまでは台湾バナナの独占状態でした。独占の影に裏金アリですね。
台湾のバナナを独占していたのが大陸から台湾に入り込んできた外省人で陳杏村と言う女性、その息子が日本で貿易会社を作って台湾バナナ輸入を取り仕切っていた謝哲信。その娘が蓮舫ですね。
一番でなけりゃダメなんですか?二番じゃダメなんですか?と、一番にならなくていいから参議院なんか出ないで都知事選で活躍してください。
さて、市場でのバナナの取引と言うのがこれまた怪しい雰囲気満載で、学生時代築地の市場でアルバイトしているときに2回ほど見に行ったことがあります。市場ではなくて船が横付けできる晴海のふ頭でセリが行われるのですが、まだ夜が明けきらない薄暗いふ頭の路上で、ただでさえ怪しい風体の青果商のおじさんたちが集まりあまり元気は良くないセリが始まり落札されていきます。
バナナを買い取る青果業者は限られており、まだ青々した落札したバナナはムロと呼ばれる部屋で蒸して熟成させてから出荷されます。このムロを持った業者でなければ落札しても売りようにならない。まあ、だいたいセリが始まる前に業者間でどこの店がどのバナナを競り落とすかなど打ち合わせてあるようで、結構スムーズに落札していきます。この光景が怪しい取引で、多分商社など輸入業者だと思いますが、乗用車に乗った怪しいスーツ姿の人なんかも様子を見に来ていました。
バナナが日本に初めて入ってきたのが明治36年で、神戸に向かう船中のバナナが予想より早く熟成してしまったために北九州で荷卸ししてたたき売りしたのがバナナのたたき売りの発祥だそうです。今やバナナのたたき売りも伝統芸能の世界です。
石もて追われる。舛添さんがさっさと都庁から出て行ったようです。
同じように途中で辞任して、公民権停止の身分にもかかわらず討論番組などに平気で出てきている猪瀬さんとは対照的ですが、舛添さんには再び人前に出てきてもらいたくはないし、出てはならない人です。残り少ない余生と髪の毛を労わる価値もないけど、無残な末路をたどってください。
しら
バナナも雑魚も叩き売りしてスッキリしたいものですね。
バナナマフィアの娘も都知事選に派手に様なことを言ってますが、参議院落選のあかつきには・・・。
しばらくにぎやかですね。
この山奥にはクマ蚊イノシシしか出ないのかな?と思っていたら、今日は共産党が出たみたいです。
獣害対策もっと厳しくせねば。