のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

旅立ちっていいね

2016年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 新しい安保法案施行を歓迎して金ちゃんが日本海にミサイルを撃ち込んだ模様です。お疲れ様金ちゃん!

 ご自慢の核爆弾。霧の都北京に落としてみてはいかがでしょうか?爆風で霧が晴れて環境が改善されれば世界から称賛されますよ。金ちゃん。

 エジプトではハイジャック事件が起きてキプロスに緊急着陸させたみたいですが、犯人は別れた女房との再会を望む元教師らしい。エジプトにも馬鹿がいるんですね。それより気になったのがハイジャックされた飛行機の乗客の数が報道されるたびに違う。空港の安全対策の甘さもさることながら国内線とは言え乗客の数さえ把握できないこのおおらかさ。つい最近ロシアの飛行機が自爆テロの被害にあったばかりなのに。

 この5月連休、エジプト旅行考えている人、いるとは思えないけど観光には影響出そうですね。

 そんな中、進学のために旅立つ旧高校生に会いました。たまたま別の用事で伺ったら孫息子が旅立ちの時で、駅まで送って行くという母

親に対してみっともないからバスで行くと問答していたので、家を離れることに後ろめたさがあるんだなと察し、私が駅まで乗せて行くよと送って行きました。

 新天地への期待と郷里を捨てるような後ろめたさ。こうした葛藤がある若者は都会に飲み込まれないと思います。後ろめたさや迷いがあるから踏みとどまれる。青春の門に立っているんですね。

 迷いがないってことは怖いですよ。交通事故だって自爆の死亡事故なんざブレーキの痕跡さえ残さず迷うことなく突っ込んでいるもんです。怪しい宗教やプロ市民にかぶれる人だって迷いがないでしょう。言われるがまま疑うこともせず教義に従う。実は迷うときって自分が見えていないようで見えているんですね。自分の立ち位置や能力がわかっているから迷う。「みんな平等!」とハッピーな馬鹿って迷わないでしょう。親の庇護を離れれば自分の弱さが気になるもんです。

 ベストな選択なんてあろうはずもない。少しでも「よくなる」方向に進むだけのことで、4-5年前には決断できずにおろおろしている指導者を見て怒りがこみ上げた経験は国民全体が共有したでしょう。

 駅に向かう車中で、自分がいなくなったら家庭は大丈夫だろうか?と心配していましたが、「お前さんを育てた親だ、どんなことが起きても大丈夫だよ。心配なら頻繁に帰ってくればいいじゃないか。」と肩をたたきましたが、帰郷するたびに老けて行く親や周囲の人たち、変わらないのは景色だけ。殺伐としているかもしれないけれど、こういうのを味わって心乱すことも大切な郷土愛の成長の糧です。

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」室生犀星は小景異情の中でこう歌っていますが、そのあと「うらぶれて 異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」と申しています。とらえ方を変えれば恨み節のような詩ですが、郷里を離れる時にこのフレーズがよぎったもんです。

 旅は帰って来るから旅で、帰る場所がなけりゃ単なる流浪です。

 まぁ、当人にとっちゃ大きな問題なんだろうけど、通過儀礼みたいなものさ。

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