建仁寺〇△□の庭(中央に〇、奥に□の井戸、手前斜めの線でできた△)
セザンヌは「自然は、円筒、球、円錐 として扱いなさい」と言った。
つまり自然は、絵描きの目から見て、円筒、球、円錐という要素からなるということだ。そこに遠近法(自分)のかかわりが出来て絵が出来るという。
面白いことに、
円筒を真横から見たら□
球は横から見ても〇
円錐は真横から見たら△
それどれを中心の垂線で回転させたら円筒・球・円錐が出来る。
己の描く自然の中に単純な原型〇△□を見ているのだ。
建仁寺〇△□の庭は、
単純な三つの図形は宇宙の根源的な形態を示し、密教の六大思想(地水火風空識)を
地(□)、水(○)、火(△)で象徴したものといわれる。(パンフより)
こんな絵もある
仙厓と建仁寺は禅つながりでわかるが、フランスの画家ポール・セザンヌが同じ答えを自分の絵画論の中で導き出していることに驚かされる。
まったく違う立ち位置から
同じ答えを見出す。
それは真実に触れている証しではないのか。
有名な「セントビクトワール山」だが、
その絵画論のとおり、円錐や円筒が配されている。その気になればいくつもの球体をこの絵に見ることが出来る。
宇宙の始まりは
おそらく単純だ。
そして我々人間にもその単純さは貫かれている。
個人という殻の中で
孤独を強いられる我々だが、
共有できる真理は我々が生まれる前から
きっと存在している。
外に向かって探し求めなくとも
この内に
必ず共通の真理がある。
しかも探すのではなく
気付くだけでいい
己の〇△□に気付けば
仲間外れの孤独から
立派な宇宙の一員となるだろう。
建仁寺の双龍がまだ私の中で渦巻いているようだ。
〇△□の中で遊ぶ龍は五本の爪で如意宝珠を握っている。
五本の爪は最高位、皇帝を表しているという
庶民が持つ龍は三本爪
貴族が四本爪
と、中国では考えるそうだが、
見方によれば、この天井に描かれた双龍、
己の宇宙に気付いたものはみな皇帝なのだと言っているような気がする。
おはようございます!
如意宝珠を握っている
双龍の掌ですが、
神力の篭った五本の爪は
魔を撃退する五芒星☆
双龍掌の力強いたなごころは、
宇宙ミクロからマクロに至るまで
隈無くみなぎっている
宇宙エネルギー六角パワーの
六芒星のように感じられます☆
筆触法☆すばらしいです^ね^
第三週も学ばせて頂いております。
いつもご尽力ありがとうごさいます。
今日も一瞬☆一瞬☆神鮮鳴る天開♪
善き日をお過ごしくたさいませね☆
感謝一念
まかこ 拝
見ていると、その如意宝珠は、私たち一人ひとりがすでに持っているのだと気付かされます。
如意とは思うまま、すなわち意志のことですし、宝珠とは至福を意味すると思えます。
つまり私たちが生まれながらに持っている宝ものですね。
心の奥底にしまい込まれていて、なかなか取り出せませんが、
如意宝珠は、全宇宙の力がその一点につながっている「今」を宿しているのです。
如意宝珠を心に思い描いて
天空に遊びましょう^か^