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般若心経を読み解く?(五次元的解釈)20 Q&A2

2020-10-24 | 般若心経を読み解く(五次元)

空体の風景(自画像)

 

Q:空体というのは、実際にあるものなのですか?それとも単なる空想なのですか?もし実際にあるというのなら、どうして確かめるのですか?もし空想なら、それは役に立つのでしょうか。絵に描いた餅ならとらえ方もまちまちで何かオカルト的にも思えます。もしそうでないというなら空体というのは私のどこにあるのですか。

 

A:空体は実在します。それは超自然現象(オカルト)とは正反対のものです。私たちは自分の身体をオカルトとは思いませんね。それと同じで 、空体はその身体を現実に成り立たせている、確かに存在しているものです。ただ見えないだけなのです。見えないものを科学が見えるようにしてくれたためにその存在に気付いただけで、空体は常に身体と共に存在していたのです。そうでなければ身体はありえなかったでしょう。

 

空体とは何かという問いに、ザックリと答えますとそれは心のことです。

心は身体に宿るという考え方は、私達のいわば王道ですね。この常識を支えている考え方を振り返ってみると、こんなことがことが分かります。

1、心は確かに存在する。

2、心は身体と関係を持っている

3、心が宿らなければ、人は身体(物質)だけの空き家である。

4、身体は家で、心は住人。すなわち心こそ真実の主体である。

これがおそらく、私達の常識ではないでしょうか。つまり私達は心の実在性を疑うのではく、むしろそこに真実を感じているのですね。しかし実体のありのままの姿を認識できないために、心の探求は科学、哲学、宗教、芸術と、多岐にわたって行われてきたのだと思います。見えないもの、実体のないものをあるもののごとく認めるのはそれだけ難しいのですね。

 

基本に帰って、心は身体の住人と言われるのはなぜかを考えてみましょう。

その答は単純明快です。心は見えない、触れない、その実在が確かめられないからです。それは空間と全く同じですね。そこで私は、心の正体は空間だと考えたのです。空間と同じくそれは無いとしか言いようがないのです。

にもかかわらず心は確かに作用していますね。私達は身体を通して間接的にその存在を知るばかりか、心が身体を動かしているのを体験的に知っています。見えない操縦士がいるのです。心が身体に宿ると考えるのは自然の成り行きでしょう。身体が家なら、心はその住人という訳ですね 。

般若心経はそんな心と空間に対する無知の時代に書かれたものだという理解は大切です。その時代に心は空だと悟りそして空に至る道を説いたのです。

一方そんな時代から急激に科学が発達してきました。そして今や空間を認識できる時代に入ったのです。

古来私達は、上の図の人型に意識を集めて、これが「私」だと考えてきました。黒い点の集まりは目に見え、触ることも出来る。紛れもない「私」の身体です。白地の空間は見ることも触ることも出来ないもので、想像さえ出来ない意識に無いものだったのです。

しかし今。私達はこの空間が無かったら、肉体は存在しないことを知っています。身体は素粒子単位で空間に浮かんで存在していることを科学が明らかにしました。私達の身体でさえ、地上に立っていると思っているのは地球の重力のせいであって、実際は空間に浮かんでいるのです。事実私達は宇宙空間に漂う宇宙飛行士の姿を目にすることが出来ます。私達はすべて、空間に浮かんでいるのです。空間が無かったら私達は存在しないのです。

もし空間が無かったら、私達は地球も惑星も、全天の一切の物質が隙間なくくっついて動かない一つの塊りとなってしまうでしょう。上の図の白地が無ければ黒い点は一つの塊りになって、命すら存在しないと、容易に想像がつきますよね。私達が手をグッパーできるのは空間があるからですし、想像し得るすべての生命活動は空間なしには成り立たないのです。

空体というのは、この空間を「私」と認めることを意味した言葉なのです。オカルトではなく、それは自然そのものなのです。空間を「私」と認めたら、「私」はどこまで行っても「私」の境界線が無いことに気付きます。

つまり空体とは、宇宙そのものだということが分かると思います。

その上、空間は身体に宿るものではなく、空間が身体を造りだしているという実態を科学が実証したのです。まさに空間は物質を地にも置かない愛情で子育てしているようなものです。

このように現在は、般若心経の世界を科学が実証する。そんな時代が来ているという事ですね。

 

見ることも触ることも出来ない空間をどうして確かめるのかというお尋ねですが、それは古くからたくさんあったと思います。気功術など、身体を極限まで意識することで空の力を体現する方法などがすぐに思い浮かびます。

しかし空間の実態を知れば、空体を実感し体感することは簡単です。ただ、空間に浮かんでいる自分の姿を思い浮かべればいいのです。自分は空間に浮かんでいる。宇宙空間に浮かぶ自分を思い浮かべたら、意識を自分の身体から空間の方に移すだけです。空間の身になって考え、空間の気持ちになって浮かべている身体を見るのです。するとこの感覚は物質を外から見た意識であり、空体の意識として認識できるのです。

空体を知らなければ、それは幽体離脱というような感覚で考えるしかありませんが、事実はごくありふれた自然の「私」の姿なのです。幽体離脱現象はたまたま何かのきっかけで認識する対象が身体から空体に切り替わったためだと考えられるのです。

自分の身体を浮かべるというこの感覚は、自然に大きく広がって感じられます。浮かべているのは自分だけではないのです。それは自分の身体は元より、地球、太陽、銀河・・・と、空体は宇宙そのものの大きさまで広げることが出来るのです。それを「私」と考えることが出来る。それを否定できる根拠は何処にもありませんね。

こうして「私」の意識を、身体から空体に切り替えると、地上にへばりついている小さな存在と思っていた自分が、実は宇宙そのものの大きさだったことを実感と共に気付くのです。

このように身体(上の図の黒い点の集まり)から空体(上の図の白地)に、意識を移してみるだけで私達は空間を内側から感じているという実感を持つことが出来ます。

この実感を空体と呼ぶのです。それは空間の実在を意識させる言葉なのです。

あらためて想いを馳せれば、この空体は、素粒子を集めて「私」の身体を造っている空間でもあり、その空間は切れ目なく「私」の外につながっていて、「私」の身体全体を浮かべる空間になっている。念のため上の図の白地を指で追ってみてください。どこまで行っても境界線はありませんね。理論的にも空間を切り分けることはできないのです。

宇宙遊泳を想像してみるまでも無く私達は地球や太陽と同じ空間に浮かんで生きているのです。この事実を私達は科学の発達とともにまのあたりにしてきました。必然的に意識は変わっていくのです。

今や空体が身体に収まらず全宇宙に拡がっている存在であることは簡単に想像がつきますね。

空間は分割できません。つまり空体とは、私達全てを育んでいる存在であり、同時に私達はその空体を自分のからだとして生きているのです。この身体を育む空間。これを愛と呼ぶなら、空体とは愛そのものなのです。

あるいは、この空体は空間として科学も実証する現実です。決して超自然現象(オカルト)などではありません。日々肌に触れ、呼吸し、自由に活動できる。このすべてはただ一つの空間の中で起こっていることなのです。

何とも不思議な話ですが、この不思議はオカルトではありません。事実とは不思議なものと受け止めるしかないのです。

身体と空体を考えた時、「私」を身体だけを切り離した存在だと考えることはもはやできませんね。身体と空間は切り離せないのです。

するとこれは、こんな言い方が許されるということでもあります。すなわち、身体を意識した世界観(四次元世界)があるなら、空体を意識した世界観(五次元世界)も必ずあるのだと。

身体に意識を向ける四次元思考では、自分はちっぽけな宇宙のゴミのような存在にしか見えません。孤独で存在理由も見いだせないそんな苦悩を背負わされます。物質に目を向けたら事実はそう見えます。

しかしその意識を空間に向けるだけで、見え方は一変します。主体と背景が反転するのです。私はこれを五次元思考と呼んでいます。五次元思考で見る「私」の姿は宇宙そのものです。「私」そのものが存在理由であり、命であり、それは無償の愛なのです。在るというただそれだけが尊いのだと考えられるのです。

 

しかしそうだからと言って、四次元思考をダメだと云っているのではありません。四次元思考の意識が社会を動かしていますね。社会は時間の意識が無くては成り立ちません。様々な個性が集まって社会をつくり上げていくためには四次元思考は必要不可欠の考え方なのです。

しかし一方で社会は一個の人間の目から見た時、必ずしも良いものではありません。適応できない人々は苦悩します。なぜなら四次元思考は身体を認識して必然的に個を分割し競合する社会をつくるからです。

その時五次元は救いになるのです。それは空体を認識させてくれ、それが一個の人間を宇宙そのものとして確立させてくれるからなのです。自分はそのままでいい(身体能力や知的能力の差異など無意味)という思いが、その人の持っている能力を逆に最大限解放してくれるのです。五次元は個性の母体となりうるでしょう。人間固有の文化がより深くそこに根付くのではないかと思えるのです。

この世は物質と空間で成り立っています。四次元を精一杯生きる私達が無ければ、五次元は意味をなしません。物質の意識(四次元)と空間の意識(五次元)は図のようにセットで存在しているからです。

 

空間だけでも、物質だけでもこの世は成り立たないのです。

宇宙=空体+身体という生々しい現実を私達はまのあたりにしているのです。

 

 

(以下参考記事)

(Q&A)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)19 Q&A1

(私の体験)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)18 私の体験6

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)17 私の体験5

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)16 私の体験4

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)15 私の体験3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)14 私の体験2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)13 私の体験

(量子力学を考える)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)12 量子力学との合流4

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)11 量子力学との合流3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)10 量子力学との合流2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)9 量子力学との合流1

(般若心経をどう理解するか)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)1

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)3

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)4

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)5

般若心経を読み解く?  五次元的解釈)6

般若心経を読み解く? (五次元的解釈)7 一部加筆

般若心経を読み解く?   (五次元的解釈)8 追補

(以下は数回分をまとめた長文です)

凡人の語る宇宙論(アインシュタイン讃歌E=mc2)1

凡人の語る宇宙論( アインシュタイン讃歌E=mc2)2

 

 

 

 

 

 


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