昨今、街にもスマホの中にも「動画」があふれています。街角の動画には、それほど目を留める人もいないようです。いわば勝手に垂れ流し状態。昭和人間には、もったいない気がします。わずらわしい気もします。
天文館本通り。店先に軒並み動画モニターが並ぶ。足を止めて見入る人はまずいない。
国道225号の産業道路入り口交差点。T字路の突き当りの建物壁面の動画は交通信号の邪魔にならないか。
鹿児島中央駅東口駅前広場観光案内所から一日中流れる観光動画は、バス乗り場を探す人などにはうるさいだけだ。こんな所で鹿児島観光の押し売りをしなくていいのに。
動画氾濫の中で、静止した画像(スチール写真)や文字(特に手書き)の価値が高まっているのではないかと私は考えます。想像をかき立ててくれるからです。例えば、バス停の名前もその一つ。下の2つなどは、歌や物語を連想させます。
鹿児島交通32-1番線が停車。
市営バス5-3番線が停車。