天文館の行きつけの居酒屋で、おかみさんがカウンターの向こうから「天文館夜話を書いたのはいつでした?」と尋ねた。「確か2001年でした」と私。「先日来た男の人が『献血の夜話を母が今も大切に持ってるんですよ』と話してました」とおかみさんは教えた。
2001年10月発行の「天文館夜話」の中の一話「茶髪青年の献血」のことかな、と思い出した。ある夜この店で隣り合わせた当時20代の茶髪青年から聞いた話をまとめたものだ。
その夜、居合わせた2人の中年男性客も交えてなぜか献血の話になった。この日ボランティア活動として献血をしてきたという2人は、青年に「たまに献血をしてみたら。人のため、自分のためになるよ」と自慢げに勧めた。と、青年は「自分もよく献血しているんですよ。そうは見えないでしょうけど」と明かした。見かけによらない意外な発言だった。
高校3年生の時、仲間とバイクで霧島をツーリング中、もらい事故に遭い青年は頭に重傷を負った。救急車で病院に運ばれ、手術・輸血を受けて一命をとりとめた。そして月日がたつほどに、輸血のありがたみがわかってきた。
いつからか献血を始めて、「今では回数が増えるのが楽しみなんですよ」と青年は話した。
現在は自分で飲食店を開いているという元青年は、「店をしようと思ったきっかけになった店を今夜たどってるんです」とおかみさんに伝えた。あの夜以来の入店だったようだ。そして「当時、自分には何もなかった。献血することで世の中のためになることくらいしか」と振り返った。
息子の命を救った輸血。そして献血で恩返しを始めた息子。そんないきさつをつづった「天文館夜話」を大事にしているというお母さん。これもまた一話に加えたい、と思った一夜だった。
※ただし、後で知ったのですが、日本赤十字社ホームページによると「献血をご遠慮いただく場合」の一つに「輸血歴がある」が例示してあり、青年の行為に疑問も残ります。そして、当時それをそのまま本に載せた私自身にも責任があるかもしれません。