ニセコ生活

2000年4月にニセコに移住、その生活を紹介します。

くや爺

2012-09-16 05:25:36 | Weblog

ソフトボール会場は帯広駅から車で10分程の広々とした河川敷にあった。田畑もそうだが全てにスケールがでかい帯広は。

 

我々の対戦相手音更チームで2試合目。一試合目の札幌と芽室チームの試合を見ていたら十分に対抗できると思われるほどの動き。ちょっと自信を持つ。その試合が終わり、我々の対戦相手音更チームの守備練習を見たらビックリ。シニア60歳以上の人たちのチームではない、若いチームに感じる。何よりも身長も大きく、守備練習も鍛えられていた。その守備練習を見ていた仲間達も俺と同じような考えを持ったのか、少しびびる。

 

良く鍛えられていた。肝心なところはバンド攻撃、数回試みられアウトにしたのは一回だけ。バンドだけではない、打つも打った。ボカスカ打たれた。柵越え1本を含め、外野手の頭を越えたボールは7,8本あったのか。

 

結局、12対5で破れる。俺は3番キャッチャーで出場したが、ショートゴロ2本、セカンドゴロの3打数無安打。相手投手にやられてしまった。打てそうなボールを見逃し、上手く打たされてしまった。悔しいな。打てはしなかったがあえて自分を褒めるとするとゴロの投球が10球ほどあったが、後逸はしなかった。

 

それにしても暑かった、予報では30度。守っていて、ヘルメットにマスク、プロテクターが暑さを助長する。髪の毛から汗がひたたり落ちる。真夏の試合だった。

 

最高年齢64歳、平均は61歳前後の音更チームは若かった。シニアクラブ倶知安の平均年齢は65歳、この差が大きく感じた。また、練習も良くやっているのだろう。練習では我がチームも負けない自負はあるが、それなりに実績を積んだ経験者のチーム、強いチームだった。

 

午前中に試合は終わり、午後は池田町のワイン城見学。そして十勝川温泉で「乾杯(完敗?)」する。久しぶりにこういった旅館で仲間と酒を酌み交わせるなんて幸せなんだろう。60歳過ぎて、ソフトの試合をするためバスで遠征し、試合をし、温泉宿で一泊する。そして酒を酌み交わし、負けた悔しさや、来年度以降のやる気を起こさせる。俺は半分寝ていたが、皆さん、夜遅くまで激論していた。これがいいのか。

 

9月16日朝。ニセコマラソンの日だな。交流試合2試合を行って帰る。

コメント
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