こんにちは。突然失礼いたします。本記事非常に参考になりました。既にご存知かも知れませんが、ロシアで、「Сага древних булгар(The saga of ancient Bulgars)」という、古代ブルガリア族を扱った連作映画が2005年から製作されており、その2作目が、キエフのヴラジーミル聖公を扱っているのですが、ヴォルガ・ブルガール国が登場します。映画の中での存在感の大きさと、首都の立派さに、「田舎の弱小国だったんだろう」という先入観が打撃を受け、調べているうちに本記事を見つけました。正直歴史映画としては微妙(ディズニーランドみたいな映像が多数登場する)な作品なのですが、ヴィルガ・ブルガールへの認識を改めるきっかけとはなりました。
とともに隆盛を誇っていたビザンツ帝国のヘラクリウス帝も641年に亡くなっています。しかもヘラクリウスの晩年から第二代カリフのウマルの攻勢にさらされています。似ていなくも情勢です。
ビザンツ帝国史で注目すべきは、680年のブルガール族との条約です。その条約は、どうやらブルガール族に補助金を支払っているんです。698年にはユスティニアヌス2世はハザールに亡命し、ハザールから逃れブルガール族へ、その力で復位と。
すいません。釈迦に説法でしたか。この当時の4国(イスラム・アラブ、ハザール、ビザンツ帝国、ブルガール)には、興味はつきません。
つい、一面的な見方=ビザンツ帝国からみがちなのですが、つまりブルガール族は強国にみえてしまいますので、長い間ハザールの貢納国からの地位から脱しえなかったという事実に驚きを感じてしまいます。
なにぶん国の強弱ってのは波があるでしょうし、必ずしもブルガールが強国ではなかった、ということではないかもしれません。
ごりごりの支配というよりは、貢納さえしておけば悶着が起きないというような、安定した国際秩序がハザールを軸に築かれていたということなのかも知れませんし。
「支配から脱する」とか「独立する」とかいう表現をしてしまいましたが、新しい国際秩序の再構築に向けた動きというような言い方の方がいいのかなと思えてきました。